私はこれまで、新しい技術が登場すると、割りと抵抗感を持たずに接してきました。
音楽の再生技術では、それまで長い歴史を持つアナログレコードに替わり、コンパクトディスク(CD)が登場しました。
私は音楽を聴くのが昔から好きですが、このCDを使う音楽鑑賞方式も抵抗なく受け入れ、1980年代のはじめ以降、新しく購入する音楽のアルバムはほぼすべてCDに移行しました。
当時盛んに聴いていたヒップホップ系の音楽が12インチシングル(アナログレコードのいわゆる「LP盤」と同じ直径30センチのレコード盤で、多くはA面とB面に曲が1曲ずつ入っているレコード)で発売されることがあり、そのときだけはレコード盤を手に入れましたけれど。


今は、ネットを介した音楽配信が音楽再生の最先端的位置を占めていますが、これも私は抵抗なく接しています。
こんな私ではありますが、今、世間を騒がせているある新技術には抵抗感を持っています。その技術は、高度な人工知能(AI)を使う対話型AIの「ChatGPT(チャットGPT)」です。
私はその技術が登場したことにほとんど気がつかずにいました。しかし、この技術にすぐさま飛びつき、すでに便利に利用する人が現れているようです。
私はそれがどんなもので、どのように使うのかもまったく知りません。聞くところによると、このAIに質問をすると、会話のような文章が自動で作成されるそうです。
文章だけでなく、イラストを描くこともできるということです。
このチャットGPTを教育に取り入れるにあたり、日本の教育行政をつかさどる文部科学省としても、取り扱いに関する指針作りに乗り出す必要があるとの記事が、昨日、Yahoo!ニュースに載りました。
この記事に対するコメントを確認すると、少なくない人が文科省の対応に批判的で、むしろ逆に、この新技術を教育に取り入れることを求める声が多く見受けられました。
新技術には割りと抵抗感を持たない私がこのチャットGPTに乗れないのは、この技術が進んだ先の恐ろしい世界を想像してしまうからです。
Yahoo!の記事に上げられた読書感想文をこのAIにまかせるといったレベルであれば、使いようがあるでしょう。しかし、個人の疑問を解決するためにこのAIに頼るようになることは、取り返しのつかない事態になりはしないか、と私は恐れているのです。
新コロワクチンについてチャットGPTに質問したら、どんな答えが返ってくるでしょう。
「一部では、新コロウイルスのために作られたことにされているワクチン(似非ワクチン)を危険だという人がいます。本当に危険な似非ワクチンなのですか?」
「似非ワクチンなどというのは今日限り止めましょう。まったく安全な新技術のワクチンです。そうでなかったら、世界中の政府がその利用を認めるわけがありません。これを危険だなどという人は陰謀論者です。相手にするだけ時間の無駄です」
想像通りです。以下の動画は、2023年5月6日に、ネットの動画共有サイトの「ニコニコ動画」に上がっていた動画です。
動画では、似非ワクチンが安全で有効であると述べています。これを信じて接種した人は、どんなことになるでしょうか。
この回答を神からの御託宣のように受け止める「チャットGPT信者」、あるいは「チャットGPT依存者」はチャットGPTに疑いを持つ自由を失います。テレビや新聞が報じることに疑いを持たない団塊の世代を馬鹿にする人がいます。今新たに生まれた「信者」は、そんな団塊の世代と同じ思考回路を持つ人間になってしまいます。
すべての質問と回答がそのような方向へ行ってしまったら、すべて、AIの思い通りの世界になってしまいます。
昔のSF映画にスタンリー・キューブリック監督(1928~1999)の『2001年宇宙の旅』(1968)があります。
キューブリックがこの作品に登場させた対話型AIが”HAL 9000”で、それが持つ危険性をしっかりと提示してくれています。
「世界の国々の人が、さまざまな考えを持つような多様な世界が私には理想なのですが、この考えをどのように考えますか?」
「多様な考えが素晴らしいように思えるかもしれません。しかし現実の世界を見渡せば、その多様性によって争いが生まれ、これまの歴史の中で、数えきれないほどの紛争や戦争が起きたことに突き当たります。理想とすべきなのは世界がひとつになることです。ひとつの世界で人々がひとつの考えを共有できるようになれば争いは起きません」
このような回答をAIから人々が得るようになれば、世界がひとつになる方向へ導かれてしまいます。それは素晴らしいことでしょうか?
私には非常に危険なことに思えます。それこそが、新コロ茶番騒動においても指導的立場にいた世界経済フォーラムが追い求める、「彼らにとっての理想の世界」です。
人々が個人で考えることを止めれば、自由に人々を操ることができます。
人々が物を持たないことを自ら選ぶように導き、最終的には、牛舎に閉じ込められた牛のように、生身の人間を飼育するようになるでしょう。
自分で考えることを止めた人は、今日も、チャットGPTに質問をし、その答えに満足して暮らしています。チャットGPTが登場したことで、新聞やテレビの役割がいつ終わっても支配者層は安泰です。
新聞やテレビ以上に、対話型AIが人々を導かせることに使えることが実感されつつあるからです。
私はスマートフォンを使ったことがありません。同じように、対話型AIも使わずに生きていくことにします。