2004/03/28 Qちゃんの真実?

本日は、産経新聞一面コラム「産経抄」(朝日の「天声人語」に相当)で取り上げられている話題について書いてみようと思います。ということで、まずは本日分のコラムを以下に転載させてもらいます。

マラソンの高橋尚子選手(31)がアテネ五輪の代表選考で落ちた“Qちゃんショック”で、一番のナゾは最後の選考舞台の名古屋国際をなぜ走らなかったかにあった。その真相の一端がQちゃんの本音ともども、小出義雄監督の本紙インタビューでやっと知れた。

▼「もう走らなくていいよ。アテネの準備をしておくように」。Qちゃんは終盤で失速した東京国際の後、陸連関係者からこう「いわれたようだ」という。「だから本人は名古屋に出ず…走らないで落ちたので、あきらめきれません、と言っていた」。

▼東京国際は日本人1位ながら、まさかの2時間27分台。沈んだ心に陸連関係者の言葉は「天の声」とも染み込み、「実績でアテネ」を確信させたに違いない。しかし現実の選考は「記録重視」で、結果的にその言葉は「悪魔のささやき」に一変した。

昭和23年、戦後初のロンドン五輪に敵国だった日本は参加を拒否された。当時、水泳で「フジヤマのトビウオ」と世界に恐れられた古橋広之進さんは、無念さを五輪日程に合わせた日本選手権で爆発させ、世界新記録を連発して五輪の顔色を失わしめた。

▼Qちゃんの無念さの質は古橋さんとは異なろうが、「私、走ります。アテネが最後どころじゃないです」と健気な決意も語ったという。ならば今一度、無念さを極限の闘争心に高めた「古橋さん精神」で「北京五輪出場」でも「世界新記録」でも狙ってほしい。

▼小出監督はかわいさ余ってまな弟子の真情を代弁したが、Qちゃん自身、泣き言は一切外部に語ってはいない。陸連の一部の声にすがって自らの判断を誤ったとの内省もあろう。アテネ争いには敗れても、「人生の五輪」の階段は一つ、一つと上っている。

お読みになっておわかりのように、例のアテネ・オリンピック女子マラソン代表選考を巡る問題について書かれています。そして、みなさんご承知のように、前回のシドニー・オリンピックで見事金メダルに輝いた「Qちゃん」こと高橋尚子選手の落選が日本中にショックを与えました(←「日本中にショックを」云々といういい方は、ちと大げさという気もしないではありませんが)。

ちなみに、彼女の愛称となっている「Qちゃん」というのが、「オバケのQ太郎」から来ていることはご存知だろうと思います。私はそれについて書かれた週刊誌を読んだことを鮮明に憶えています。というのも、読んだのが病院のロビーだったからです。

私事になってしまいますが、シドニー・オリンピックが開かれた2000年の秋、私の姉が突然倒れ、そのまま病院に担ぎ込まれました。その後、10日目ぐらいに亡くなってしまったわけですが、その頭が混乱した中で、それでも何とか平静さを取り戻そうと思ってその週刊誌を読んだので、鮮明な記憶として私の中に残ってしまっているのです。

で、なぜ彼女が「Qちゃん」と呼ばれるようになったかですが、高橋尚子選手は大学時代まで、全くの無名選手でした。高校・大学を通し、人々の関心を集めるような華々しい活躍とは無縁で、陸上長距離界では全く知られた存在ではなかったのです。

その彼女が、有森裕子さんや鈴木博美さんらといった一流選手を育てた小出義雄監督のもとを訪ね、ほとんど強引に入門を申し出たというのです。申し出られた小出監督としても、はじめはおそらく困ったことだろうと思います。なぜなら、名前さえ聞いたことがない海のものとも山のものともわからない“その他大勢”のような選手でしかなかったでしょうから。

しかし、結局は彼女の熱意に絆されたのか、入門を認めるところとなり、彼女の方からすれば晴れて小出監督の指導を仰げるところとなりました。

その高橋選手が、小出監督の関心をひこうとしたのか、ある宴席で、自らの身体をアルミ箔でぐるぐる巻きに包み、即席の「オバケのQ太郎」となり、「オバQ」の主題歌を歌ったとか歌わなかったとかの話です。

この一件だけで小出監督から認められたわけではないでしょうが、「ああ、面白い子がいるな」とは思ったことだろうと思います。そうやって、監督の注目を次第に確認できるようになっていった高橋選手は、その後頭角を現し、ついにはオリンピックにおいてこれまで日本の女子陸上選手が誰一人成し得ることが出来なかった頂点の獲得までも実現してしまったというわけです。

その高橋選手は、前回のシドニー大会が終わった直後から、アテネにも当然出場して連覇を目指すものと誰もが考えていました。その出場の権利を得るために走った昨年の「東京国際女子マラソン」でしたが、予想外の凡記録(=2時間27分21秒)に終わってしまいました。

私もそのレースはテレビで見ていましたが、確か、折り返しの時点では2位以下を大きく引き離し、余裕のレース運びでした。ところがその後信じられないことが起きました。

前触れもなくガクンとスピードが落ちたかと思うと、遥かに引き離していたはずの2位のエルフィネッシュ・アレム選手(エチオピア)にみるみる間に追いつかれ、一気に抜かれてしまったのですから。しかも、その後も彼女は苦しみぬき、やっとでゴール・テープを切る有様でした。

あのレースを見たマラソン・ファンの多くは、素人ながらに「このままでは代表に選ばれるのは難しいだろう」と思ったはずです。

私もそう考えた一人で、どうしてもオリンピックに出たいというのであれば、残りの選考レースである「大阪国際女子マラソン」か「名古屋国際女子マラソン」のどちらかには必ずや出場するに違いないと思っていました。しかし、なぜか残されたレースに出場する気配すら見せず、その後のレースで好タイムを出した坂本直子選手・土佐礼子選手の2名が、それ以前に決定していた野口みずき選手と共に選ばれ、当の高橋選手は補欠にも選ばれずに終わってしまいました。

では、なぜ残りのレースへの出場を見送ってしまったのかということですが、その“内幕”のようなことを今日の産経抄氏は書いています。ただ、これがどこまで信ずるに足ることかどうかはわかりません。何しろ、落選した小出監督側のいい分でしかないからです。

ここから先はズブの素人である私の勝手な推測です。陸連関係者のいわゆる「天の声」はたまた「悪魔のささやき」云々の有無に拘わらず、実は高橋選手本人が残りのレースに出場する意欲がなかったせいではないかと思います。いや、これはあくまでも私の無責任な想像です。

ともかくも、東京のレースが“惨敗”に終わった高橋選手に対し、小出監督は「残りのレースに出ない限り、お前のオリンピック出場の夢は叶わないよ」と一度はいったはずです。その証拠となるのが、レース直後のテレビ中継の中でのインタビューです。その中で小出監督は「今日のタイムでは問題にならない。みんなが納得する形で代表に選ばれるためには、どうしても残りのレースに出るしかない」云々と明確に答えています。

しかし、高橋選手はそうした監督の申し出を快く受け入れなかったのだと推察します。これも証拠はありません。あくまでも私の想像の域です。

では、なぜ高橋選手はそうまでして監督の申し出に従わなかったかです。おそらくは、たとえば名古屋のレースに出場し、そこでも万が一思うような結果が出せなかった場合、「金メダリストの高橋尚子ももうこれまで」と烙印が押されることにもなりかねません。こういうことにでもなれば、陸上選手としては致命的です。

そこで、そうした“危険”を察知した高橋選手は、このままあとのレースを見送り、あとは陸連に「下駄を預ける」“作戦”に出たのではないか、というのが私の“推理”です。

これであれば、そのまま代表に選ばれれば体力的にも楽で、オリンピック出場の夢が黙っていても叶います。また仮に不幸にして選考に漏れた場合でも、高橋選手には世間の同情が集まることが十分に予想され、結果、どちらに転んでも高橋選手に不利な要素はなくなります。

そうした“計算”があったればこそ、落選が決まったあとの記者会見でも、あれだけ笑顔でいられたと思うのです。実際、想定通り、彼女には同情が集まることになりました。ついでまでに、気の毒だったのは最後の最後で代表の座を手に入れた土佐選手で、彼女には、高橋選手のファンと思われる者から、脅迫まがいの電話が相次いだそうです。

思い返せば、あの落選の記者会見は高橋選手にとっても感慨深いものだったのではないでしょうか。なぜなら、彼女の気持ちの中には「私の落選のニュース一つが日本中を巻き込む大ニュースになっている」という実感があったはずだからです。

小出監督の門を叩く以前のことを思い出してみてください。誰も彼女の存在に関心を寄せる人はいませんでした。もしかして、彼女自身、自分自身に対して懐疑的だったかもしれません。それが、今では誰もが認める日本女子陸上界の女王です。もしかしたら、彼女にとってはもうオリンピック出場云々はどうでもいい問題だったのかもしれません。

そんな彼女の人生の転機になったのが、小出監督の前での「オバQ」披露だったわけです。なお、この部分は記憶が定かでないのですが、確か彼女は一糸まとわぬ素っ裸のボディにアルミ箔を巻いたように記憶しているのですが、今、その記事を確かめることはできません。

で、もしそうだったとすると、同じ「オバQ」でも、かなりエロティックな気がしないでもありませんが、小出監督はその「オバQ」スタイルをどんな思いで見ていたのでしょうか。

いずれにしましても、シドニー・オリンピックが開かれた2000年という年は、私は父と姉を相次いで亡くしていることもあって、良くも悪くも印象の強い年でした。

そして迎えた2004年アテネ・オリンピックの年。高橋尚子選手を蹴落として代表の座を手に入れた野口・坂本・土佐3選手は、本番のレースでどのような頑張りを見せてくれるでしょうか。

私個人の予想では、彼女たちの内の誰か一人がいずれかのメダルを獲得してくれそうな気がするのですが、果たして、ド素人の予想は的中するでしょうか?

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