夏の風物詩が高校野球だとすれば、差し詰め新春の風物詩は箱根駅伝ということになりましょうか。
というわけで、正月の2日・3日の2日間に行われる箱根駅伝は私の正月の楽しみのひとつです。そういうわけで、今年も見てしまっているわけですが、今日の往路はそれほどの波乱もなくレースが終了したような印象があります。
その箱根駅伝のアクシデントということで真っ先に思い出すのは、10年以上前の1991年の大会で、当時早稲田大学のエースといわれた櫛部静二(くしべ・せいじ)選手(1971~)が引き起こした大ブレーキの場面です。
その話に入る前に、箱根駅伝をご存知ない方がいらっしゃるといけませんので、念のためにこの駅伝について簡単に書いておくことにします。
これは東京と箱根(神奈川県)の間を往復して争う大学対抗駅伝競走です。
参加校は関東の大学に限られ、校数は、記念大会を除いて、15校(今回から10位以内/これまでは9位以内に入ると次の年のシード権を得られる。逆に10位以下の場合は大会前の予選会で9位以内に入らなければ本大会に出場できない)と決められてきましたが、今年からは19校に増やされ、さらにオープン参加として、本選に出場できなかった各大学から選抜された選手による混合チームが参加しています。
リレー区間は往路・復路それぞれ5区間に分けられ、一人当たり20数キロの受け持ち区間を走り、次のランナーにたすきをリレーします。つまりは、東京・箱根間(往路107.2キロ・復路109.2キロ・合計216.4キロ)をたった10人のランナーだけで行って返ってくることになります。いくら鍛えられたランナーが走るとはいえ、考えると凄いことですよね。
で、各校のエースといわれる選手は往路の2区に集中して出場することから、第2区は特別に「花の2区」と呼ばれます(年を追うごとに各校の選手層が厚くなり、今や箱根を制するためには、2区に限らず、満遍なく選手を揃える必要があるようですが)。
そして、かつて早大のエースだった櫛部選手もその2区に出場しました。しかも1年生エースとしてです。彼は1位でたすきを受け、快調に走り出しました。しかしそのあと、あのアクシデントは起きたのです。
原因は確か脱水症によるものだったと記憶していますが、走路区間の途中で朦朧(もうろう)となってしまい、体をフラフラさせ、少し走っては立ち止まり、視線が定まらないような状態で歩き出す、といった状態になってしまいました。
テレビの画面には、そんな彼に懸命に声援を送る沿道の駅伝ファンの姿が映し出されました。
結局はその区間を精神力と母校のたすきを手渡す使命感によって走破し、見事次の選手にリレーされたと記憶していますが、ともあれ後々まで語り継がれるような壮絶な走りではありました。その時のことを振り返ったとき、櫛部選手自身はどのような思いにとらわれるものでしょうか。
その櫛部さんは現在、今回の箱根駅伝にも出場しているチーム(だったと思います)のコーチとして活躍されているハズです。
ここで話は替わりますが、私が箱根駅伝をテレビで観戦する楽しみのひとつに、往路の最終区間である5区の山登りを見る楽しみがあります。
「箱根の山は天下の剣♪」という歌を聴いたことがあると思いますが、その急勾配のコースを選手が駆け上って往路のゴールを目指す最終5区です。
今日のテレビの中継をそれとなく注意して聴いていましたら、最高地点は約4百メートルにもなるそうです。ちなみに、5区のスタート地点は標高は40メートルだそうでから、ほとんどそのままが標高差になり、それは実に東京都庁の庁舎の高さの3.4倍(注意:数字は正確でない場合あり)にも相当するそうです。
さらにその曲がりくねった道が実に変化に富んでおり、また、途中には箱根登山鉄道の踏み切りがあったり、と見ていて見飽きることがありません。もっとも実際に走っている選手にとってはこれ以上厳しいコースは世界中見渡してもないはずで、周りの景色を見ている余裕など到底ないでしょうけれど。
その箱根駅伝も無事に往路が終了し、残すは明日の復路5区間のみです。これまでのところは戦前の予想通り、山梨学院大と駒沢大、それに日大が絡む展開になっています。ともあれ、明日の復路が終了した時点で最後に笑うのは果たしてどの大学になるでしょうか。
その注目の明日ですが、私はどこかへ出かけるか、それとも出かけずにテレビで駅伝観戦するか迷っています。で、もし出かけるのが億劫になったら、またテレビの前で選手たちの勇姿を見守ることになるだろうと思います。