今、日本を含む主要国を中心に、健康に過ごしていた人が突然亡くなる「異変」が起きていることを本コーナーで取り上げたばかりです。
私が想像する「異変」が起きている理由も付け加えておきました。
健康に過ごしていた人が突然亡くなることを「頓死(とんし)」ともいいます。
芥川龍之介(1892~1927)が最晩年に書いた短編小説に、主人公が頓死する話があります。それも、話のはじめの方で表舞台を去ってしまいます。通常、主人公は話のはじめから終わりまで関わります。
その主人公を話のはじめに失う話を小説家は扱いたがらないでしょう。もし扱うとすれば、話のはじめに亡くなったのは主人公ではなく、そのあとの話の中心になる人物を主人公というべきです。
芥川が描く短編の主人公は、はじめの方で亡くなりながら、主人公であり続けます。
その主人公が登場するのは『馬の脚』という作品です。芥川の全集に収められていたため、読むともなく読みました。
主人公は忍野半三郎(おしの・はんざぶろう)という30前後の男です。学校を出たあと三菱に入社し、その二カ月後には中国の北京にある三菱公司へ赴任します。
芥川が本小説を書いた頃、日本では、中国という代わりに支那(しな)が一般認識だったのでしょう。中国という国名は一度も登場しません。支那という国の人ですから、その国の人は中国人ではなく支那人です。
半三郎はどこから見ても平均的な男です。仕事の出来も中ぐらい、見てくれも中ぐらいです。彼が結婚した妻の常子(つねこ)も、半三郎と同じ中ぐらいの女です。
中ぐらいの男と女が支那で中ぐらいの生活をしています。毎日、これといって変わったことも起きず、その日も、仕事が終われば、中ぐらいの女である常子が待つ社宅へ帰るところでした。
しかし、その日の真昼、半三郎の人生を一変させることが起きます。それが、頓死です。
半三郎がいつものように、デスクに向かい、巻煙草をくわえて、マッチで火をつけいようとしていたときです。彼は口に煙草をくわえ、指にはマッチを握ったまま、机の上に突っ伏してしまいます。
半三郎はそのとき、脳溢血(脳出血)を起こし、息絶えてしまったのです。そこまで描かれた彼は、これまで書いたように、これといった特徴もなく、主人公としては物足りないです。
しかも、始まって早々に頓死してしまったのですから、この先の話はどうなるのだろう、です。
ところが芥川は、半三郎を簡単には死なせませんでした。
芥川は書いていませんが、半三郎が死んだため、妻の常子と知り合いは、驚き悲しみ、葬式の準備をしたでしょう。
その一方で、半三郎は自分が死んだとは思っていません。彼は、見知らぬ事務所へ入っていきます。窓はあるものの、見えるはずの風景が窓からは見えません。
事務所内には、若い支那人とその上司の年とった支那人のふたりだけがいました。西洋人の男が訪れることになっていたようで、半三郎が若い支那人の前に立つと、次のように対応されます。
二十 前後 の 支那 人 は 帳簿 へ ペン を 走ら せ ながら、 目 も 挙げ ず に 彼 へ 話しかけ た。 「ア アル・ユウ・ミスタア・ヘンリイ・バレット・アアント・ユウ?」
芥川 龍之介. 『芥川龍之介全集・378作品⇒1冊』 (Kindle の位置No.6059-6060). Ryunosuke Akutagawa Complete works. Kindle 版.
半三郎は、自分は日本人の忍野半三郎だと答えます。
ふたりの男がそこでどんな仕事をしているのかはわかりません。半三郎が自分の名前をいったため、若い男が、厚い帳簿で彼のことを調べていたりしたのでしょう。
その帳簿に半三郎のことが書いてあったようで、男は上司の男に次のようにいいます。
「駄目 です。 忍 野 半 三郎 君 は 三日 前 に 死ん で い ます。」
芥川 龍之介. 『芥川龍之介全集・378作品⇒1冊』 (Kindle の位置No.6073-6075). Ryunosuke Akutagawa Complete works. Kindle 版.
それが耳に入った半三郎は、びっくりします。自分が死んだとは思ってもいないからです。しかも、彼らがいうには、自分の脚は、腿から先が腐っているというのです。
彼は、男らのやり取りのあと、強硬に拒んだにも拘らず、腐った自分の脚の代わりに、死んだばかりの馬の脚をつけられてしまいます。
馬の脚をつけるにしても、手術をするわけでもなく、両腿にがぶりと食らいつかせるようにはめて一丁上がりです。
年をとったほうの支那の男は、馬の脚は丈夫で、山道でも平気だ、と半三郎を励まします。ただし、時々は蹄鉄を打ち返す必要がありますが、とも。
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馬の脚をもって息を吹き返した半三郎は、気がつくと、棺桶の中に横になっていました。馬の脚をつけるのがもう少し遅かったら、埋葬されたあとに気がつくところでした。
主人公の忍野半三郎は、その後、馬の脚を持つようになったため、それを人に気がつかれたら最後、人間の世界では生きていけない、と秘密を必死に隠して生きる運命を背負います。
それにしても、芥川のこの話は、現実的な理解では読んでいけません。どこまでが現実で、どこから先が幻想なのでしょう。
煙草を吸おうとしていた半三郎が頓死した時点で、現実は終わり、そこから先は、黄泉(よみ)の国へ旅立つ過程の半三郎自身の幻想なのでしょうか。
芥川が本作を発表したのは大正14(1925)年です。この年、芥川は33歳で、自殺する2年前です。
大正14年といえば、江戸川乱歩(1894~1965)が、のちに高く評価されることになる、『屋根裏の散歩者』や『人間椅子』を発表した年です。
それらを芥川が読んだかどうかは知りませんが、芥川は芥川で、馬の脚をつけて生きなければならない男の苦しみを描いたことになります。
冒頭でも書いたように、今、人が頓死することが相次いでいます。ある日突然、それまで元気でいた夫や妻、子供を失った人は、馬の脚に変わっていても、息を戻してくれたら、泣いて喜ぶでしょうか。
喧嘩して馬の脚で蹴飛ばされたら、蹴られた方が頓死する悲劇が起きないとも限りません(?)が。