お寒うございますm(_ _)m 昨日も全国的にお寒うございました。そんなお寒うございます中(←いい加減しつこい(^m^))、私は欲張ってふたつの用事を済ませてまいりました。ということで、本日はそのことについて書きます。
私がまず向かったのは、東京・六本木にあります国立新美術館です。この美術館へ行くのは何度目になりますか。方向音痴を自認します私ではありますが、さすがに迷わずに辿り着けるようになりました。
昨日のお目当ては「未来を担う美術家たち DOMANI・明日展2008 文化庁芸術家在外研修の成果」という実に長い名前の展覧会です。それを、通常は大人【1000円】のところ、私は【1円】も払わずに鑑賞してきました。昨年末、アンドリュー・ワイエス(1917~2009)の展覧会を鑑賞した時と同じで、チケットのプレゼントに当選したからです。

もしかしたら、その当選したチケットは昨年中に届いていたのだったかもしれませんが、まだ余裕があると先延ばししているうち、会期の終了が迫ってしまい(1月26日まで)、昨日、慌てて足を運びました。
チケットは今回も2枚セットで当選し、私が1枚使うだけでもう1枚は使う予定がありません。そこでまた、NHK-FMのリクエスト番組「サンセットパーク」宛てに送り、どなたかに使用してもらおうとも思いましたが、あまりにも押しつけがましいかな? と今回はやめました。メジャーな展覧会ではありませんでしたしね。
昨日、私はその展覧会のあとに映画を1本見る予定で、その開始時刻を睨みながら展覧会場を回りました。そこに展示された作品を制作している作家は、文化庁が次の時代を担う作家を育成する目的で選ばれた人たちで、国の援助によって海外へ派遣されているようです。
今回は15名の作家の作品が展示されていましたが、私がよく知っているのは彫刻家の舟越桂(1951~)の作品で、以前に開かれた展覧会で見た作品も含め、5作品が展示されていました。また、創作の過程のデッサンも5点展示されていました。
会場内はまだ午前中ということもあって混み合っていませんで、間近でじっくり視ることができました。人物像の表面には油絵具で薄く彩色が施されており、額の辺りはその油分で光り、額に小さな汗の粒が浮いているように見えなくもなく、生々しい感じがしました。
その他の展示で私が長く足を止めたのは、開発好明(1966~)の展示スペースです。
私はほとんど初めて聞く名前だったと思いますが、近作をいくつから選んで展示して終わり、というのではなく、継続して行っているアートワークを包み隠さず展示しているところに好感を持ちました。
たとえば、ご自身の顔をアップで1年365日、それを何年にもわたり写真に撮り続け、それを数年単位で0コンマ何秒ぐらいの速さでスライドのように上映して紹介する仕方を面白いと思いました。
同じように、美術大学へ入る前、あるいは入ってから始められたのか忘れてしまいましたが、創作ノートを同じように次々とスライド形式で映し出す“表現手法”も“潔ぎよさ”を感じ、面白く拝見しました。
私自身が収集癖があることも、開発の創作態度に共鳴できた理由かもしれません。
この調子で書いていますと、昨日、そのあとに見た映画について書くスペースがなくなってしまいますので、まだ書き足りない気持ちがないこいともありませんが、次に向かった先へ移動することにします。
昨日の移動ルートは、地下鉄の六本木駅から日比谷線で恵比寿駅まで行き、JR山手線に乗り換えて数駅で新宿駅に到着です。あとはブラブラと歩きながら角川シネマ新宿へと向かいました。
今、当劇場では映画監督・増村保造(1924~1986)の中後期の作品を紹介する「増村保造 性と愛」の企画が組まれています。

それが目当てです。私は増村監督の作品はこれまでほとんど馴染みがありませんでしたが、前回、当館へ行った折、今年の初めにこの企画が組まれることを知り、その時から何本かは見てみたい、と考えていたのでした。
昨日私が見たのは、1967年に制作された『痴人の愛』(1967)です。知りませんでしたが、これは原作が谷崎潤一郎(1886~1965)の同名小説『痴人の愛』で、これまでに3度映画化されているようです。
これを上映する劇場はビルの5階にあり、スクリーンは小ぶりで、見客席も少なめです。昨日は週末ということもあり、思っていたよりも客の入りはよかった印象です。
増村監督の作品2本予告に続き、本編の上映が始まりました。私はどのようなストーリー展開なのかまったく知りませんでしたので、多少ドキドキしながらスクリーンに目を凝らしました。
まずスクリーンに映し出されたのは、現代(といっても1960年代)の風景ともいえる工場の建物です。場所は京浜工業地帯辺りか、そこが主人公が勤務する職場です。昼休みを利用して、工場で働く社員が楽しそうにバレーボールをしています。それを興味なさそうに見ている男がいます。主人公の河合譲治です。年は31歳といっていましたか。
それを演じる俳優が最初誰だかわかりませんでした。何しろ40年以上も前の作品です。見ているうちに、それが小沢昭一(1929~2012)であることに気がつきました。30代はじめの役を演じてもぴったりくるほど若い頃の小沢さんです。
譲治は大学を出て、その会社で技師のような仕事をしているようです。風貌を見れば、縁の厚い眼鏡をかけ、まるで冴えません。仲間のバレーボールの輪に入ろうともしない譲治を見かね、上司が声をかけます。
「一体君の楽しみは何だね? 酒も飲まなければ、煙草も吸わない。賭け事も嫌いだろ? おまけに30歳を過ぎて独身ときた。君は何を楽しみに生きているんだね?」。
譲治はつまらなそうに答えました。「ペットを飼っています」。上司は初めて聞いたように、「そうか! それはいい! で、どんなペットだ?」。譲治は「猫を飼っている」と答えました。
譲治の会社は残業がないのか。それとも、譲治は何か事情があって残業をしないよう会社側と決めているのか。まだ明るいうちに自宅を目指します。どうやら海沿いの別荘地に住まいがあるようです。
海が見える丘の下でバスから降り、自宅方向へ歩き出そうとしていたところへ、どうやら知り合いらしき男が譲治に声を掛けました。男は頭がはげ上がり、恰幅のいい体型です。男は町医者のようで、当時はまだ贅沢品だったはずの自家用車に譲治を乗せて丘の上に向かいました。男は譲治の隣りに住んでいたのでした。
譲治は嬉しさを堪えきれないように自宅のドアを開け、「どこにいるんだい?」と家の中に声を掛けました。それはそれは嬉しそうな声です。
すぐに出てこないことがわかると、譲治は「また隠れん坊しているんだな」と洋服かけのカーテンを開けました。すると、中には女性ものの派手な洋服ばかりが下がっていました。
おかしいです。譲治は独身で、女っ気のない暮らしをしているはずでした。ペットの猫が人間の洋服を着るハズもありません。この時点で、見客はピンときます。こなければおかしいです。
上司にいったペットの猫とは、実は一緒に住んでいる人間の雌ではなかろうかと。それも、とびきり若いに違いないと。
突如、上司には猫にされた若い女が登場します。実に野性的な女す。
年の頃は20歳前。グラマラスな肢体です。初めて画面に登場した時は派手な色柄の水着でした。どうやら、譲治の給料から勝手に新しい水着を買ってしまったらしいです。
自分の金で買ったわけでもないのに、女は譲治に水着を着た自分を自慢します。譲治はそれにすっかり乗せられ、「いいよ! いいよ! ナオミ!」と早速ミニ撮影会が始まります。譲治のもうひとつの趣味は写真を撮ることでした。
部屋の中には譲治が撮ったナオミの写真が何枚も貼られています。もちろんヌード写真もあります。それでいながら、一緒に暮らし始めて1年余り。譲治はナオミと結ばれてはいないのでした。
ナオミを演じるのは大楠道代(1946~)という女優です。私はこれまでこの女優にほとんど注目してこなかったと思いますが、魅力的な女優です。なお、この作品に出演した頃は旧姓の安田道代の名前で、のちに結婚して大楠道代となったようです。
谷崎潤一郎の原作がどのようにナオミを描いているのか知りませんが、道代は体を張ってナオミを演じている印象です。
男女の関係を描くからといって、まだ本作を見たことがない人がイメージするほど、きわどい描き方はしていません。それよりもコミカルな味があり、会場内でも、あまりにナオミの奔放な振る舞いにたびたび笑いが起こるほどです。
譲治は、喫茶店でアルバイトしていたナオミと出逢い、「俺が魅力的な女に育ててみせる」と決意し、ナオミの両親の承諾を得た上、一緒に暮らすようになっていたのです。出会った頃のナオミは、どこか暗い陰があったといいます。
譲治はナオミをせっせと磨き上げます。が、肢体は日ごとに磨き上げられていくものの、知性がそれに追いついてきません。根っからの勉強嫌いなのか、英語を勉強しろとテキストを渡すと、「興味ない!」と譲治の目の前で引き裂いて見せたりします。
見ていた私はある話を思い出しました。何十年ぶりかで、ジャングルの奥から助け出された少女の実話です。ジャングルで両親と離ればなれになった少女は、その後野生のオオカミに育てられていたとされる話でした。
人間の身体を持ちながら、オオカミと生活をしていたため、なかなか人間の生活に溶け込めず、せっかく洋服を着せても、すぐに破って裸になりたがったという話です。同じような野生の荒々しさがナオミからも迸(ほとばし)り出ています。
意が沿わないことをいわれたときのナオミの眼がいいです。「キッと睨む」といったいい方がありますが、ナオミの睨みは凄味が一段と増し、「ギッ!」といった感じで強烈です。その眼で譲治を睨み、「馬になれ!」と命令します。
譲治は命令に従うよりほかなくなり、部屋の中に四つんばいになります。すると、裸に近い格好のナオミがまたがり、「走れ! 早く!」と尻をバシッ! バシッ!と力任せに叩きます。また、両足の踵で腹を容赦なく蹴ります。
ナオミを背中に乗せ、部屋の中を四つんばいでグルグル回る譲治の非日常生活を知る者は、隣りに住む町医者をする熟年夫婦以外誰もいません。夜、町医者は双眼鏡で譲治夫妻の行いを観察しています。それに気がついた妻は、双眼鏡を貸せと夫にいい、ふたりで覗き合うのでした。
やがて、譲治とナオミの関係に変化の時が訪れ、譲治の生活が破綻していきます。
そのあらましにつきましては、機会を見つけてご自分で確認なさってみてください。私はこの作品がすっかり気に入り、早速DVDを注文してしまいました。
男女の仲は、他人からは窺い知ることができません。中には、ナオミのような奥方に馬になれ! といわれている殿方もいるかもしれません。
もっとも、その殿方が、いいなりになるたびに、幸せの絶頂を感じる、のかもしれませんけれど。
以上、本日は、昨日鑑賞してきました展覧会と映画について振り返ってみました。展覧会は明日まで。また、映画は昨日までの3日間限定でした。