今に続く本サイトを始めたのは1999年10月17日です。
その頃から本サイトで、何度となく書いて来たことがあります。それは、レールにのった生き方は止めよう、です。
世間一般では、良い学校に入り、良い会社に就職し、良い人と結婚し、良い子供を育て、良い時間を過ごすことが良い一生のように考えられています。
もちろん、この教えの通りに過ごし、良い一生だったと息を引き取る人もいるでしょう。それはそれで尊重します。が、それとは別の生き方もあるのではありませんか、と私は考えているのです。
私自身は、自分がそう考えるからか、レールから外れた生き方をしてきました。世間で良いと考えられているものは持たず、世間の人には良い一生を送って来たようには思われないでしょう。
こんなことを書き出したのは、昨日の朝日新聞に載っていた「はみ出す生き方『モガ』は街へ」読み、感じるところがあったからです。
いつの時代も、社会が良いとされる生き方から「はみ出す」人はいます。朝日が記事で紹介するのは、大正デモクラシーの時代に、当初は時代の最先端ともてはやされた「モダンガール」です。
私の想像ですが、こうした流行が、自然発生的に表れたとは思えません。記事では言及していませんが、流行を生み出す何かがあり、流行に乗りやすい女性の一部がそれに乗っただけ(?)と思えなくもありません。
ともあれ、大正末期から昭和初期にかけての時代、周囲からは浮くような、洋装や髪形で街を闊歩(かっぽ)する女性が現れ、彼女らは、当初はモダンガールを縮めた「モガ」といわれ、流行を先取りする自由な生き方の女性、と肯定的に受け止められたそうです。
その時代に谷崎潤一郎(1886~1965)が書いた『痴人の愛』(1925)に登場するナオミがモガ的な生き方をする女性と考えられるそうです。
モガがもてはやされた時期は短く、1930年に初版された『モダン用語辞典』に載った「モダン・ガール、モダン・ボーイ」は、「軽佻浮薄、享楽的な若い男女に対する軽蔑語」と解釈するそうです。
また、当時の新聞は、モガを早速否定的な意味に採り、10代の少女が警察に取り調べられた記事では、「呆れ果てたモガふたり」の見出しをつけたことを紹介しています。
朝日の記事は、持ち上げては落とすようなことを繰り返す社会や時代について書き、翻弄される女性たちに同情するような書き方をしています。
朝日の記事を読み、私は別の感想を持ち、本日分の更新を始めました。
朝日の記事には、東京・銀座を歩くモガ3人組の写真が添えられています。撮影されたのは1927年です。
私はこの写真を見て、「これはモガもどきだろう」と思いました。
モガがはみ出す生き方をする女性を象徴するのであれば、3人で揃ってはみ出すのはおかしいです。映画『男はつらいよ』に寅さんが3人登場したら映画になりません。
マルクス兄弟がハチャメチャをする『我輩はカモである』(1933)は、寅さんが3人出てくる感じといえましょう。初めてこの作品を見る人は、そのデタラメぶりに混乱すること請け合いです(?)。
はみ出す生き方をする人間の比率はいつの時代も高くないはずで、1927年に東京・銀座を3人のモガが揃って闊歩するのは不自然です。
正真正銘のモガであるなら、たったひとりで屹立していなければなりません。それでこそモガだ、と私は認めます。
ということで、記事に添えられた3人の女性は、流行しているようなので、仲間と相談して、モガっぽいことをしてみました、といったところでしょう。
銀座まで電車で来たのだとすれば、家を出る時は近所の目を意識し、ごく普通の服だったかもしれません。どこかでモガっぽい服に着替えたのではありませんか?
この生き方のどこがモガですか。
その程度の人が事件を起こし、モガが起こした事件だ、とマスメディアで否定的に報じられては、流行に関係なく、はみ出した生き方をする人には迷惑です。
誰かに認められたくて、はみ出した生き方をするのではありません。本人が望まなくても、結果的にはみ出してしまうのです。ですから、世間がどう評価しようと関係ないです。
「事典に書かれている『はみ出し人間』の定義が間違っている」と文句をいうはみ出し人間はいません。
朝日の記事は、当時のことを研究する文筆家で挿話蒐集家の平山亜佐子氏に取材し、次のような考えを訊き出しています。
本人たちには不良の自覚がない。挫折したとも思っていない。メディアに報じられることで「こういう生き方もあるんだ」と伝播していったのではないか。
本日分の最初の方で書きましたが、やはり、流行の仕掛けのようなものがあり、当初はメディアが好意的に報じ、それでモガというものがあることを知り、取り入れる人が出てきたのが流行につながったようですね。
だったら、自発的に自分の中から出てきたのではなく、ただ単に流行に乗っただけ、ということもできそうです。そんなことであれば、その生き方が残りの人生で続くことはありません。一過性のものです。
本コーナーで昔に紹介した人に秋山祐徳太子(1935~2020)という人がいます。私が秋山をはじめに知ったのは、NHK教育(今のEテレ)の『日曜美術館』で、牧野邦夫(1925~1986)という画家を取り上げたとき(1989年5月21日)、解説者として秋山が出演したことによってです。
その回の放送はビデオに録画してあり、未だに、見たくなるとビデオを再生させたりします。
取り上げられた牧野邦夫という画家の生き方が魅力的で、その後、牧野の個展が新宿の百貨店で開かれたときは、一番の理解者だぐらいの気持ちで見に行きました。
牧野も変わった生き方をしていますが、牧野について語った秋山も、世間から見ればかなりズレた生き方をしています。
秋山は都知事選にも出馬していますが、扱いは泡沫候補です。実際、選挙戦の端の方でもがいて終わりです。しかし、どんな扱われ方をしても、文句をいうのではなく、自分でそれを楽しめてしまいます。
事典に載っている意味が違う、なんて文句をいうのは、もどきの証拠です。
秋山自身が定義する「泡沫」の定義もいいですね。
目標があってそれに向かっているんだけど、どこか人生が減速していっちゃう人。だからどんどんズレていく。その美しさに自分で気がつかない。欲なし、金なし、力なし。それが泡沫の憲法じゃないかな。
本日分の参考にさせてもらっています朝日の記事に戻りますと、京都大学の落合恵美子教授(家族社会学)(1958~)の考えを、取材して記事を書いた朝日の女性記者が、我が意を得たりとばかりに書いています。
落合氏によれば、近代化する以前の日本には、女性を家に押し込める伝統はなかったとしています。農業や自営業を営む家庭がまだ多くあった20世紀初頭の日本は、仕事をする女性が当たり前にいて、当時の米英に比べた女性の労働人口が多かった、というようなことを述べています。
日本が欧米化し、俸給生活者(サラリーマン)が増えるにつれ、家を守り、家事と育児に専念する女性こそが素晴らしいという良妻賢母思想が確立したそうです。
これもね、「確立」しても、それに従わないのが、はみ出す生き方をする人です。
当時はもう「モガ」が流行語的に扱われなくなっていたかもしれませんが、押し付けの生き方に従う限り、「モガ」的な生き方はできません。
その人の考え方や生き方は、時代の押し付けには左右されないものであるはずだからです。
朝日の記事は、自由な生き方を貫いた女性として津田梅子(1864~1929)を称えていますが、後世の人に称えられようと、称えられなかろうと、自分の意思で、自分の考えに則った生き方を貫くべきなのです。
偉人だけが偉いわけじゃないです。