ある日、ある時、ひとつのきっかけで物事が好転することがあります。その好転が昨日、私に起こりました。何十年もあることが解けずに悶々としていましたが、それが今、答えを得て、目の前が明るくなった気分です。
私が解けずにいたのは、油彩画の技法です。油彩画の技法は、プロでもアマチュアでも、10人いれば10通りぐらいあるでしょう。それぞれが、それぞれの描き方で納得でき、満足できれば、他の人の技法を自分が取り入れる必要はありません。
しかし、もしも、ある人の技法を自分のものにしたいと考える人は、ある人の技法の秘密を知ることが必要です。
私は長いこと、17世紀のオランダの画家、レンブラント(1606~1669)の後半以降の技法に魅せられています。それを現代によみがえらせることにどれほどの意味があるかはわかりませんが、私はその再現を、自分なりに目指しています。
私は、まるで写真のように、細部まで丁寧に描かれた古典絵画は、見るだけであれば嫌いではありませんが、特別な魅力は感じません。それよりも、レンブラントの後半生の作品のように、近づいて見ると、何が描かれているのかわからない描き方をしているのに、ある一定の距離から見ると、それ以上ないほどリアルな描き方をした作品にどうしようもなく惹かれます。
レンブラントはそんな描き方をしたため、注文された宗教画を仕上げますが、その当時の常識では「未完成作品」と見なされ、受け取りの拒否に遭ったりしています。
当時の”常識的”な描き方では、絵具を塗った筆の目を消し、滑らかにすることが良しとされました。それがレンブラントの後半生の作品は、粗い筆のタッチが残り、塗られた色と色が完全に混じりあっていません。一見すると、荒れた描き方で、それだから、未完成と考えられたのでしょう。
自分で油彩画を描いてみればわかりますが、色と色が完全に溶け合った作品は、個々の色が死に、生き生きした感じがしません。
私も昔、油彩画を始めた頃は、色が死んでいるように感じ、どうすれば生き生きした色彩の絵が描けるのか、頭を悩ましました。
レンブラントの死後200年経った頃、フランスに生まれたクロード・モネ(1840~1926)は、パレットで色を作りすぎない描法を会得し、彼の描く絵は印象派と呼ばれるようになりました。はじめは決して褒められたわけではなく、古典的な技法を無視した描き方を非難されたのです。
モネはパレットで色を作りすぎず、時には原色に近い色をカンヴァスに起き、視覚の効果で、見る人の網膜で色が溶け合うような描き方をしました。
その技法が革新的に思われていますが、それをレンブラントは200年以上前に実践していたのです。
理屈はわかりましたが、その描き方を自分が会得するのに何十年もかかりました。
私は昨日、レンブラントの『マルガリータ・デ・ヘール』という婦人を描いた肖像画の顔の部分だけを油絵具で模写してみました。時間にして1時間ぐらいですが、出来栄えは別にして、絵具を操っているときは幸福な気分でした。
1時間程度で模写したのが下の絵です。
パレットにのせた色数は少なく、シルバーホワイト、イエローオーカー、ベネシアンレッド、バーントアンバーの4色のみです。顔の下にグレーぽく見えるのは、当時の上流階級の人に良く身につける白いカラーですが、これにはまだ色は付けていません。
カンヴァスには下地塗りをしてありますが、その下地をグレーにしており、塗り残した部分がグレーぽっく見えるだけです。
こんな油絵具の使い方による模写を思いたのは、おととい、YouTubeである動画を見つけ、本サイトでも紹介したことです。それが次の動画です。
YouTubeには、古典絵画の再現をした動画があり、関心をもって見ることをしています。ただ、レンブラントの技法を模したもののはずが、おそらくは、レンブラントの技法とは全く異なるであろう描き方をするものもあります。
そんな失望を何度もしているため、本動画も特別期待して見たわけではありません。ところが、これが実に興味深い内容で、見ているうちに、これこそが、レンブラントの油彩技法の神髄を伝えているのでは、と考えるようになりました。
昔からレンブラントの油彩技法に強い興味を持つため、レンブラントの画集はもちろんのこと、技法に関する書物も数多く目を通してきました。
画集を眺めていると、乾いた下地の上に、透明な油絵具を重ね塗りしたグラッシ、あるいはグレーズしたのではと考え、それを試すことを何度もしています。その技法は、速乾性のアクリル絵具では有効で、私がアクリルで描くときは、もっぱらそのような描き方をしますが、油絵具はおなじようには扱えません。
油分を多く含む層が、なかなか乾いてくれないからです。また、必要以上に油分を持つため、テカリが強すぎて、好ましくありません。
油絵具の渇きの遅さは、色を濁らせる原因にもなります。下に塗った絵具が乾かないうちに、別の色を上にのせると、乾かない色が動き、上に塗った色と混じり、発色が鈍くなります。
また、レンブラントといえば、油絵具を厚塗りしたようにいわれます。渇きの遅い油絵具を一度に厚く塗ると、厚さに応じて乾燥するまでの時間が延びます。
しかし、レンブラントの画集を眺めると、それら、油絵具に共通する困難さを軽々と跳び越えて、自由に扱っているように見えます。それが不思議で、どうしたらそのように扱えるのか、私には長いこと謎でした。
それら、レンブラントの描き方の謎が、本ページでも紹介するYouTube動画を見ることで、一気に晴れた気分です。
本動画の作者は、生乾きの上にどんどん次の色をのせています。これはアラプリマという描き方です。モネにしろ、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890)にしろ、短時間で仕上げる作風は、アラプリマで一気に描きます。レンブラントは、彼らより200年以上前に、その描法を採り、しかも、色を濁らせずに描き切ることをしています。
これを実現する鍵は、油絵具を溶く溶剤と筆です。
日本の油彩技法は、古典技法がほとんど頭にありません。印象派の画家のモネが、チューブから絞り出した絵具を、太い豚毛の筆で描いたりするのが油彩技法のお手本のように考えられ、溶剤や筆について探求が深くなりませんでした。
今回の模写を描くにあたり、私は速乾性のペインティングメディウムと軟毛の丸笛を使いました。
描き出しから、メディウムの濃度は同じです。そのメディウムを絵具に加えると、絵具の粘りが強くなります。その絵具を何毛の筆で扱うため、均一に塗ることははじめから無理です。
筆についた絵具を、カンヴァスにこすりつけるように置いていきます。色の粘土が強いため、どんどん次の色をつけていくことができ、しかも、濁ることがありません。色を生き生きさせることができるということです。
そういえば、昔読んだレンブラントの技法について書いた文章には、「飴のような絵具を苦労して塗っている」というような描写があったように記憶します。今回の模写で、それを実感しました。
これがいつまで続くかわかりませんが、私は今、幸福な気分です。