映画を見る楽しみ、そして作る楽しみのひとつは、現実を超越できることでしょう。
人それぞれで強弱はありますが、基本的に人間というものは夢見がちです。その傾向が強い人は何かを作る仕事を選び、それが失敗に終わったとしても、人生を謳歌します。
映画監督はピンからキリまでで、超現実的な映画を作る監督がいるかと思えば、あり得ない世界を描くことに喜びを感じる人がいます。昨日見た映画の監督は、後者の監督です。
これから書くのは、ウディ・アレンが脚本を書き、監督した『ミッドナイト・イン・パリ』という映画のことです。今週の火曜日25日にNHKBSプレミアムで放送されたのを録画し、昨日見ました。
本作が作られて公開されたのは2011年ですが、見たことはありますか。私は初めて見ました。
映画の舞台はフランスのパリです。主人公の男性ギル(オーウェン・ウィルソン)は、婚約者のイネス(レイチェル・マクアダムス)とパリを訪れているという設定です。
ふたりは、イネスの父の出張にかこつけ、両親夫婦と共にやって来たのです。
ギルは脚本家として仕事をしてきましたが、目下は小説家への転向を模索中です。そのための処女作に、パリに来ても手を入れています。
ギルがイネス、両親とレストランで食事をしていると、イネスが大学時代に付き合っていたポール(マイケル・シーン)が妻を連れて彼らの前に現れます。ふたりは、ポールがソルボンヌ大学で講演(だったかな?)をするため、パリに来ているということです
あらすじを書くつもりはなかったのですが、登場人物を紹介しないことにはこの先書きにくいと思ってここまで書きました。
ギルはポールとは性質が異なり、知識よりも感情を優先しがちです。そんなこともあって、夜、4人で食事と酒を楽しんだあと、次の店へ回るという3人から離れ、歩いてホテルを目指します。
知らないパリの街で路に迷い、自分がどこを歩いているのかわからなくなったギルは、階段状になった街角に座り込みます。午前0時の鐘が鳴ります。鐘が合図となり、シンデレラに出てくるカボチャの馬車の代わりをする、昔の映画に出てくるようなクラシックカーがスルスルと登場します。
その車がギルの前で停まり、「そこにいる君、乗らないか? 夜は始まったばかりだ。僕らと一緒に楽しまないか?」(← これは私の創作です。だいたいこんな感じでした)と声を掛けます。
知らない街で声を掛けられたギルは、「人違いをしているんじゃないですか」と戸惑ったものの、熱心に誘われので悪い気はせず、彼らの車に乗り込みます。
彼らが向かった店ではパーティーが開かれていました。その場に溶け込んだギルは、自分を誘ってくれた男が、自分をフィッツジェラルドだと名乗ったのを聞き、あのF・スコット・フィッツジェラルドと同じ名前だと気がつきます。
しかも、彼の妻の名がゼルダ・セイヤーだと知り、偶然にしては出来過ぎていると考え始めます。
彼らと話しているうち、自分の眼の前にいてしゃべっているのは本物のフィッツジェラルド夫妻であることに気がつき、いつの間にか、彼らの時代に自分が迷い込んだことを悟ります。
よくあるタイムトラベルものですが、ウディ・アレンの手にかかると、面倒くさい理屈は綺麗さっぱり捨てられ、現代と過去を、彼の描きたいように描いてしまいます。
過去と現代の行き来に特別な仕掛けはなく、それを映像で見せることもしません。描きたいのは1920年代のパリに生きた芸術家で、彼らに、好きな台詞を与えています。
アーネスト・ヘミングウェイが登場し、パブロ・ピカソ、サルバドール・ダリ、ポール・ゴーギャン、エドガー・ドガらが登場し、100年前のパリで生き生きと生きています。
ノスタルジックにするためか、映像は、黄砂が舞う春先のように、黄色く霞んでいるように撮られています。
いつの時代も、男と女が愛し合い、切なさに、心を痛めたりします。ギルは1920年代のパリに生きるアドリアナ(マリオン・コティヤール)に恋してしまいます。
ウディ・アレンは必ず自分の好みのタイプの女性を登場させます。本作では、アドリアナのような女性が彼の好みなのでしょう
彼女はピカソの愛人ですが、ほかの芸術家らと関係を持った女です。
過去の時代に戻ることができ、そこでもしも恋したら、あなはどうするでしょう。現代の自分の生活を全て捨て、過去の時代に生きることを選べますか。こんなことが現実的に求められることはありませんので、このような究極の選択に迫られる機会はないでしょうけれど。
もし、次元の乱れに迷い込んでしまうようなことが起きて、本作のジルのような立場に置かれたら、自分はどんな判断をするか、本作を見ながら考えてみるのも一興です。
今を生きる人々は、自分が幼かった頃を思い出し、「昔は良かった」と口にしたりします。ところが、良かったはずの昔の時代に生きる人々は人々で、その時代より昔を懐かしみ、今から100年も前の”現代”を嘆いたりしています。
ギルが恋したアドリアナも、今よりずっとのんびりしていたように思える1920代のパリは、「変化が速くて、騒がしい」などといいます。
人は自由に自分の心を羽ばたかせることができます。想像するのは自由です。そのことで幸せな気分になるのであれば、遠慮はいりません。
想像ですから、そこで恋をするのも自由です。想像の世界で生き続けることに躊躇することもありません。かりそめの現代に生きながら、自分が想像する世界で暮らすこともできます。
愛する人ができたなら、自分の世界へ誘うのもいいでしょう。その世界を彼女や彼氏が気に入ってくれたなら、ふたりでその世界の住人になりましょう。
本作でギルがどんな道を選んだのかは、ご自分で確認してみてください。