ネットの動画共有サイトYouTubeなどで、自撮り動画を配信するVloggerの人たちは、自分が話す声以外の音をカットすることに腐心するでしょう。
私は自撮り動画を撮ったことがありません。
ただ、まったくないわけではなく、それに近い動画は撮り、YouTubeの自分のチャンネルで配信したことがあります。
もっともその動画も、自分の顔を自分で撮ったものではありません。私は自分の手元を写し、自分で何かを指し示しながら、自分の声で実況するような動画なら撮って、配信したことがあります。
これからも機会があれば、そのような動画を撮り、配信するでしょう。
正当な意味のVloggerの人たちの動画の話に戻ります。
そのような動画を撮る人は、冒頭で書いたように、できれば、自分の声以外の音を極力抑えたいでしょう。Vloggerであれば、そのように考えるのが理に適(かな)っていますからね。
しかし、Vlogger的動画は、動画の表現の一断面でしかありません。動画の表現は、もっとさまざまであってよく、Vlog的な動画だけでは、動画が持つ可能性を一部に固定してしまっているように思います。
世の中にはさまざまな音が溢れています。その音を活かす動画は、Vloggerの人たちとは逆の考え方で動画を作ります。どうしたら、自分の耳に聴こえる音を動画に活かせるだろうか、というように。
こんなことを考えたのは、私が毎週土曜日の夕方にNHK BSプレミアムで放送されている英国のドラマ『シャーロックホームズの冒険』を見て、そのラストに自然の音が活かされていたからです。
この土曜日(1日)に放送されたのは、同シリーズ23話の『悪魔の足』(1910)です。
細かいことをいうようですが、NHK BSプレミアムが放送するシリーズの放送が『シャーロック・ホームズの冒険』とするのなら、12話で終了しなければおかしなことになります。
アーサー・コナン・ドイル(1859~1930)が残した初期のホームズ・シリーズの短編12話を収録したのが『シャーロック・ホームズの冒険』だからです。
私は長いことシャーロック・ホームズを食わず嫌いしていたため、そのシリーズがどのような成り立ちなのか知らずにいました。それを今になって楽しむようになり、同シリーズがどのような構成になっているのか理解しました。
同シリーズの短編集は全部で五つあります。そして、それぞれの短編集には『シャーロック・ホームズ』のあとに、順に『シャーロック・ホームズの冒険』『シャーロック・ホームズの思い出』(12話)『シャーロック・ホームズの帰還』(13話)『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』(8話)『シャーロック・ホームズの事件簿』(12話)というように、別の表記がつけられています。
英国で製作された同シリーズのテレビドラマを注意深く見ると、英国は原作に忠実で、この土曜日に放送された番組には”The Return of Sherlock Holmes“とあり、『シャーロック・ホームズの帰還』に収められた作品を原作としていることを示しています。
ただ、今回の『悪魔の足』が収められているのは、その次の短編集”His Last Bow “(シャーロック・ホームズ最後の挨拶)に収められている作品ですから、少々混乱しないでもありませんが。
原作の『悪魔の足』は、十三年前に起きた出来事を振り返るように書かれているそうですが、原作を知らずに同作品原作のテレビドラマを見ると、現在進行形で出来事が起きているように描かれています。
ホームズは、ロンドンを離れ、相棒で医師をするワトスンと風光明媚な土地で過ごしています。転地療養を兼ねてそこにしばらく滞在しているようです。
そこで、実に奇妙な出来事が起こり、探偵の仕事をしない約束だったホームズがその出来事に興味を持ち、首を突っ込むことになります。
奇妙な出来事というのは、ある家に暮らす男ふたり女ひとりの中年の兄妹の身の上に起こったことです。
その日の朝、その家の家政婦が変わり果てた兄弟を発見します。3人は暖炉のある部屋におり、女は目を見開いたまま息絶えていました。
そして、その女の兄ふたりは、生きてはいるものの、精神が完全に破壊され、他者と意思疎通が図れない状態になっています。
なぜそんなことが起きたのか、ホームズはワトスンの制止も無視して、解明に取り組みます。
それがなぜ起きたのかは、これからこの作品を読む人は、それを原作とするドラマを見る人のために、書かないで起きます。
すべてが解決し、ホームズとワトスンの前から男がひとり立ち去ります。ホームズとワトスンが断っているのは、海に近い丘の上のようなところなのでしょう。
木々や草が、ワトスンのマフラーも、海からの風を受け、なびいています。
原作を読んだことがないので、その場面がどう描かれているのかはわかりません。原作でも、風がその場面のモチーフになっているのでしょうか。
あるいは、その場面をそこで撮影した時、たまたま風が吹いていただけだったかもしれません。
Vloggerが風の吹く状況で撮影すると、カメラやカメラに取り付けた外部マイクに風があたり、風切り音が、カメラに向かって話すVloggerの声には邪魔な音として入ってしまうでしょう。
ドラマではそんなことはありません。風の音が適度に聴こえ、風が吹く中であっても、ホームズとワトスンの会話は明瞭です。
それを表現するため、ホームズとワトスンの台詞は、レコーディングスタジオで、映像に合わせてアフターレコーディング(アフレコ)したでしょう。
問題は風の音です。これは、簡単なように思われながら、実際にはなかなか厄介なのであろう、と素人の私は推測します。
すぐ上で書いたように、自然に吹く風をマイクで収録するのは、簡単なようで難しいです。マイクに風が当たれば、すぐに風切り音が収録されてしまうからです。
映画やテレビドラマは、嘘を本物らしく見せる表現といえます。俳優の演技そのものは、本物らしく見せる、嘘の表現です。
音も、本物らしく聴こえる嘘の音が効果的に使われることがあります。
たとえば、怪獣映画の『ゴジラ』(1954)で、ゴジラは大きな鳴き声を立てます。架空の怪獣の声ですから、実物から収録するわけにはいきません。
ゴジラの声を効果的に聴かせるため、監督と音効の仕事をする人は、試行錯誤を繰り返し、最終的なゴジラの声を見つけたのでしょう。
今回のドラマのラストで聴こえた風の音が、実際の風の音を収録したのか、それとも、風らしく聞こえる音を人工的に作ったのか、私にはわかりません。
Vloggerが配信する動画はドキュメンタリーです。それとは対照的に、映像も音も作り込んだ動画を作り、YouTubeなどで配信してみるのも楽しいかもしれません。