私の家では昔から新聞を数紙とっており、今も、朝日、日経、産経、地方紙の四紙をとっています。
それぞれに性格が異なる新聞社でありながら、新コロ騒動の報道は、気持ちが悪いくらい同じ報道です。日本に限らず、世界の主要メディアは、この騒動を作って煽る側に、好むと好まざるとに関らず、属す宿命にあり、騒動で民衆を脅せという命令に従っているのでは、と見るよりほかない状況です。
家でとっている四紙の中で、今の騒動をいつまでも続けたいのではと思えるのは朝日です。
欧米では新コロウイルス対応を大幅に緩和しています。日本はこのことでも対応が遅れに遅れ、五月の大型連休にやっと、指定感染症の分類をこれまでの、実質2類よりも厳しい「1.5類」から5類に緩和することになりました。
この政府の決定についても、昨日の一面で、緩和して大丈夫かといったニュアンスで伝えています。その記事を書いた記者のひとりは、本コーナーで取り上げたばかりの記事を書いた女性のJ記者です。
朝日は日本の脱マスクにも慎重のようで、昨日と今日の紙面で記事にしています。
今日は、「観客マスク緩和 苦渋の選択」の見出しで伝えています。
欧米でマスクをつける人は少数派です。これらの国の人は、子供の頃から、自分の頭で考えて、自分の考えを持つように教育された人が多いでしょう。
一方の日本はといえば、周りに合せる人間に育つような教育を今も続けています。その結果、それぞれが自分の頭で考えるものの、結果的には周囲の目を気にすることで、自分の考えを貫ける人が少なくなる傾向があります。
それがマスクの着用状況にも表れています。
私は、新コロウイルスの第一波とやらから今の第六波まで、外を自転車で走る時にマスクをつけたことはありません。また、駅の周りを歩くときも、マスクはつけませんでした。
電車に乗る時や歯科医院に入った時などは、マスクをつけましたが、そこから外へ出たらすぐにマスクを外しました。
マスクには何の効果もないと考えています。
市販されている一般のマスクは、網の目が非常に大きく作られています。そのマスクで、新コロウイルスというものが本当に存在するとしても、その侵入を防げるとは到底考えられません。
ウイルスの大きさを人間ぐらいとすれば、マスクのような粗い目で、人を侵入させることはできません。部外者の侵入が怖いからと、人が自由に出入りできる壁を作り、それで安心できますか?
それで安心しているのが、今のマスク信者です。
そもそも、私は新コロウイルスというものの存在を、本騒動の当初から信じていません。誰もその存在証明をした人がいないからです。
存在しない可能性が高いウイルスを恐れ、意味もないマスクをするのは、愚の骨頂です。
昨春、それまでの2年半、一般観客を締めだした高校野球の地方大会で、一般観客の入場が認められました。
私は昔から高校野球の地方大会が始まると、地方球場へ観戦に行く習慣があります。そのため、入場できるようになった昨春の大会からは観戦に行くことが再開しました。
ただし、マスクの着用が求められました。屋外のスタンドに座って観戦するのにマスクが必要ないことがわかっていましたが、他人ともめてまでして自分の考えを相手に伝える意味がないと考え、馬鹿々々しいと思いながら、その愚かな対応に従いました。
今日の朝日新聞は、文化芸術に関る団体が、脱マスクを巡って、対応に追われていることを伝えています。
記事を読んで、これらの団体の関係者も、日本の教育で、自分の考えを表明しにくい傾向を持つことを知りました。
博物館や美術館では、明日以降、マスク着用を来館者個人の判断に任せることにするそうです。その一方で、手指の消毒と検温などは続ける、と記事に書かれています。
私は、馬鹿々々しい騒動が始まってから美術館や博物館へは行っていません。行きたい展覧会はありますが、そこで検温とかされることを想像すると、足が遠のいてしまいます。
映画館も、明日以降はマスクの着用を観客の判断に任せる方向のようです。ただ、全国興業生活衛生同業組合連合会の佐々木伸一会長によれば、本編の上映前に、客席で会話をするときは、周囲に配慮するよう呼びかける啓発映像を流す方針だそうです。
このような映像をあらかじめ流すことで、観客同士が、マスク着用を巡ってトラブルになったときの、「免罪符」のようなものにしたいのでしょう。
映画を見に行ってトラブルになることもあることを知れば、映画を見に行くことを躊躇う人が出てくるでしょうね。それでなくても、今は家に居ながらに映像作品を楽しむ環境ができつつあります。
こんなことを新聞の記事にされるのは、映画を公開する側には、マイナスになることはあっても、プラスになることはないのではないですか?
仲の良い者同士が映画を見に行ったら、見たばかりの作品について、あれこれ話をするのも楽しみのひとつなのではないですか? それを客席でするのを躊躇わせるというのは、映画の愉しみをひとつ奪うのに相当するように思います。
脱マスクは将棋界にも影響が出ることを、今日の朝日の記事の端で伝えています。
それによれば、日本将棋連盟も、脱マスクとなる明日以降は、対局中のマスクの着用を廃止するそうです。
テレビの将棋対局番組で棋士たちのマスク姿を見るたび、頭脳明晰なはずの棋士も、上からいわれたことには素直に従うものだな、と思ったものです。
棋士にもいろいろおり、中には、マスクに何の意味もないことをしる棋士もいたでしょう。私がマスクをつけるのを馬鹿々々しいと思いながら高校野球の観戦をしたように、内心では馬鹿々々しいと考えつつ、マスク姿で対局した棋士もいたでしょう。
昨年10月には、A級に所属する佐藤天彦九段(1988~)が、A級順位戦の対局中にマスクをすることを忘れたとして、反則負けになりました。
佐藤九段の場合は、目の前の対極に夢中になっていたことで、マスクの着用の忘れたのかもしれませんが、もしかしたら、心の中にマスクの無意味さを持ち、それもあって、着用を失念した可能性がないこともないように思えなくもありません。
今年の1月と2月には、日浦市郎八段(1966~)が鼻をマスクから出して着用することが3回の対局であったとして、3カ月の対局停止処分をされています。
日浦八段は、もしかしたら、佐藤九段以上に、マスク着用への疑問が強かった(?)のかもしれません。
私も毎週見ている「NHK杯テレビ将棋トーナメント」は、今日が準決勝の第2局で、来週が決勝戦です。本コーナーを更新している時間帯に放送されていますが、私は録画しており、これが終わったら再生して見ることにします。
今日の準決勝・第2局は、個人的に応援している、藤井聡太竜王(2002~)が対局をしています。
マスクの着用ということでは、皇室の方々も、マスクをしっかりされています。できることなら、皇室の方々がマスクを外され、マスクのない生活の良さを国民に啓蒙していただきたいのです。明日以降は、そうしたお姿を拝見できるようになるのでしょうか。
マスメディアは、マスクに効果があるのか、あるいはないのかを専門家に訊き、それを記事にすることをお勧めします。中でも、マスク着用に熱心な朝日新聞の記者にはお願いします。
御用学者を重用する朝日ですから、マスクの場合も、マスクに効果があるとする学者ばかりに取材してしまいそうですが。