昨日は梅雨空の下、展覧会を一つ見てきました。
今回私が見た展覧会は、現在、東京・北の丸公園の東京国立近代美術館で開催中の「地平線の夢・昭和10年代の幻想絵画」(2003年6月3日~7月21日)であり、同時開催中の「牛腸茂雄展」です。これに当館の所蔵作品を展示した「近代日本の美術」も合わせて630円で見覧できます。美術団体の団体展の見覧料がだいたい700円前後ですから、とてもお得であると思います。
それにしても、昨日は梅雨空という天気のせいもあったのか、館内はとても空いており、展示室によっては観覧する私と監視員の女性二人しかいない状況でした。そうなりますと、作品を鑑賞する私が監視員の女性に“鑑賞”されているようで、妙に落ち着かない気分になってしまいます。
ともかくも、私は何の予備知識もないままに目的の展覧会を見たわけですが、展示室には奇妙に一致した内容の作品ばかりが展示されています。会場内に置かれた見本のカタログをパラパラとめくって納得しましたが、いずれもが有名な画家・サルバドール・ダリの影響を受けた一種幻想性を感じさせる作品群です。
しかも、制作年代を注意して見るまでもなく、いずれもが昭和10年代に集中的に制作されています。時代背景としては第二次世界大戦に日本が巻き込まれていく時代です。であるのに、描かれた作品はそんな出来事がまるで別世界の出来事であるかのように、色鮮やかな作品ばかりが展示されています。
ではなぜに昭和10年代にこうした作品が一斉に制作されたのか? といえば、ちょうどその時期にダリの作品が印刷図録などによって初めて日本に紹介されたためのようです。絵画作品の流行に敏感だった当時の画家は、すぐにその画風に影響を受け、それを模したような作品を次々に生み出していったというわけです。
しかし、結局は本家本元のシュールレアリスムの本髄までの理解には及ばず、絵作りの斬新さという表層のみを追ったため、今見返してみると、時代のあだ花のように見えなくもありません。
実をいいますと、今回の私の主目的は当展覧会ではありませんで、当美術館の2階(ギャラリー4)で開催中の「牛腸茂雄展」(2003年5月24日~7月31日 この展覧会のみの見覧は420円)が目当てなのでした。
それにしても変わった名前ですね。牛腸茂雄(ごちょう・しげお)。
彼の名前と作品は、カメラ雑誌によってよく知っていましたが、プリントされた作品を実際に見たのは今回が初めてです。写真というのは身近な表現形態で、絵画作品とは違い、改まって真剣に向き合いがたいメディアであるように私は考えてきたところがあります。
彼を説明した文章によりますと、牛腸は昭和21年(1946年)11月2日、新潟県加茂市に生まれています。年譜によれば昭和24年といいますから、彼3歳の時に脊椎カリエス(脊椎の結核。血行性に推体が侵され、その破壊および背柱の変形を起こす。形成された膿が局所に溜まり、また下方に流れて流注膿瘍をつくる。打痛・圧痛・神経痛・運動麻痺などを伴う=広辞苑)のために1年間寝たきりの生活を送ったそうです。
その病気によるハンディが終生彼の人生に付きまとうことになります。彼が自分自身を写した「Self-portrait」には、ガラス窓に面した室内に立つ彼自身の姿がありますが、猫背のような姿の牛腸がじっとこちらを見て立っています。
彼について何も知らない人が見ても、それらの作品を見ることで、何かしら感じ取ることはできると思います。作品自体は一見何の変哲もないポートレイトや街の風景ですが、そこには常に牛腸のまなざしが感じられます。
画面はいずれもがカメラをオーソドックスに構えた横長の画面(タテ位置構図の写真は見事なくらい1枚もありません)で、ポートレイトの場合は、必ず対象の人物を画面の中央に配しています。これは俗に「日の丸構図」といわれるもので「写真初心者の失敗例」に挙げられる“誤った構図”と受け取られがちです。
しかしそれこそが牛腸にとっては外すことのできない構図で、それによって初めて写された人物の強さを引き出せたのだと思います。
彼は生き急ぐかのように精神世界を深めた作品を展開していきましたが、幼い頃に患った病気が生涯ハンディとなり、体調が悪化した昭和58年(1983年)6月2日、心不全で帰らぬ人となりました。享年36歳でした。
ともあれ、今回初めて彼の作品を目の当たりにしたわけですが、美術作品同様、それを簡単に論じることは今の私にはできません。今は自分の目で見たという事実があるだけで、それがどのように自分の中で消化されていくのか、その“消化作業”は今後の自分自身に課せらた課題です。
私は普段は展覧会図録などを買わないのですが、昨日は、牛腸のモノクロームの作品が満載された図録を買い求めました。
