私は昔から、テレビのドキュメンタリー番組を見るのが好きです。昔に見たそんな番組のひとつにNHKで放送された「新日本紀行」(1963~1982)があります。
若き日の冨田勲(1932~ 2016)が作曲したこの番組のテーマ曲は、ある年代以上の人の琴線を刺激するでしょう。
この「新日本紀行」はフィルムで撮影されています。そのため、フィルムにゴミや傷がつくなどすることがあります。また、年を経ることで、色の鮮やかさが減退することもある(?)でしょうか。
番組のために撮影されたフィルムをデジタル技術で修復し、毎週土曜日の午前5時27分から6時5分まで、「よみがえる新日本紀行」としてNHK BSプレミアムで放送されていることはご存知でしょうか。
私は途中でその放送を知り、以来、放送があるたびに録画して残すことをしています。
先週土曜日(24日)の放送では、「鹿のいる公園 奈良」が放送されています。
関東に住む人は、修学旅行で関西地方へ行き、奈良を訪れたことがあるかもしれません。私は別の地方へ修学旅行へ行ったため、奈良は未だに一度も訪れたことがありません。
奈良といえば、アフレスコ(フレスコ)の技法を現代によみがえらせた作風で知られる画家の絹谷幸二(1943~)の生まれ故郷であることが思い出されます。
ミケランジェロ(1475~1564)がバチカンのシスティーナ礼拝堂の天井全面と壁に壮大な絵をたった独りで描いていますが、それに使われたのがフレスコです。
ミケランジェロのフレスコ技法は完璧で、どんなに時が過ぎてもまったく色褪せず、表面の汚れを落とす作業をすれば、下から、鮮やかな色彩が、昨日描いたばかりのように、現れます。
私は一度も訪れたことがないため、地理的な知識を持ちませんが、絹谷が育ったところが花街で、そこは奈良公園から近かったか、あるいは、離れていたでしょうか。
この土曜日に放送された「鹿のいる公園 奈良」が「新日本紀行」として放送されたのは昭和50(1975)年です。個人的な感覚としては、昭和50年はそれほど昔に感じませんが、それでも47年も昔ですか。今更ながらに、時の過ぎ去る速さを思い知らされます。
この番組の撮影が行われた頃は、機材が豊富な放送局であっても、戸外に持ち出して撮影できる、小型のビデオカメラやレコーダーはまだなかったのでしょう。
作品は全編、フィルムのカメラで撮影されています。
フィルムの撮影カメラといえば、私は昔、まだビデオカメラが登場する前、一般の個人が唯一扱えた8ミリカメラで身の周りの、なんでもないものを撮影しては、スクリーンに映写機で映写したりして楽しんでいました。
デジタル時代の今は、それこそ、スマートフォンで簡単に綺麗な動画が撮影できます。その際、音も当たり前に、良い音で録音できます。
しかし、8ミリ映画の場合は、後半になるまで、音は同時に録音できませんでした。サイレントムービーです。
プロの制作現場もあまり変わりなかった(?)ようで、同時録音された場面もありますが、今のドキュメンタリー番組と違い、現場の音の代わりに、音楽が多用されています。
個人的な好みとしては、昔の作品作りが好きです。何でもかんでも現場の音に頼らず、音楽を使うなどした方が、作品としてのレベルが上がる(?)ような気がします。
フィルムで撮影されているため、デジタルの映像とは雰囲気が違います。撮影には16ミリフィルムが利用されているでしょうが、このフィルムは、1秒間に24コマ撮影されます。
ちなみに8ミリ映画は、標準的な速度では、1秒間に18コマ撮影します。
肝心の番組の話をします。
鹿は用心深く、臆病な動物だそうです。ですから、通常は、動物園などで遠くから見ることしかできません。
ところが、奈良公園に暮らす鹿は、人々が暮らす街の中にも進出するようになり、東大寺の山門で、観光客とも触れ合うという、世界的に見ても、珍しい環境にあります。
撮影されたのは、この番組が放送された前年の1974年春先から1975年の春までです。1974年の7月に、公園の鹿の世話をする「鹿守(しかもり)」が公園で生活する人々の協力も得て、公園内の鹿の頭数調査をしています。
目視によって数を数える方法で、886頭の鹿がいることが確認されています。前年より39頭減り、12年ぶりに900頭を下回った、と番組では伝えています。
春は子鹿が誕生する季節です。カメラは一頭の雌鹿(めじか)がお産に向けた動きをする様子を伝えます。人のいない公園の隅の草むらへ行き、そこに横たわり、産気づくのを待ちます。
鹿は誰の助けも頼りにせず、眼を閉じて、自分で自分の体を舐めたりしています。健気な様子に、胸が熱くなりました。
やがて、一頭の子鹿が無事に誕生します。鹿は、生まれて1時間ほどで独りで立ち上がることができます。そして、4、5時間も経つと、母のあとをついてよちよち歩き始めます。
ただ、子育てをする環境としては、奈良公園周辺は危険です。公園の傍の道路は、観光バスや行楽客の車が行き交い、交通事故の危険と常に背中合わせの状態にあるからです。
その年の春には154頭の子鹿が生まれていますが、春だけで、36頭の子鹿が死んだそうです。
我が子を失ったのであろう母鹿が、いなくなった我が子を捜しているのか、溝になったところへ降り、周りの草に頭をこすりつけ、啼(な)く様子が写っています。
人間の母親が、嘆き悲しんでいるように見え、胸が詰まります。
秋は雄鹿(おじか)の繁殖の季節で、大きく育った角を武器に、雌鹿を巡る戦いを繰り広げます。
その時期、雄鹿は気が立ち、人に危害を及ぼすことを昔から心配したのでしょう。おそらくは繁殖の時期が終わりかける(?)10月10日から、雄鹿を捕獲し、角を切ることが行われています。
立派に育った角を持つ雄鹿は、その見物に集まる人のために、角きり場に放ち、鹿を捕まえる役の勢子(せこ)と、追いつ追われつする様子を披露します。この角きり行事は、300年ほど続くそうです。
勢子に捕まった雄鹿は、何人かに体を押さえられ、ノコギリで角を切り落とされます。その時期の角は、ノコギリで切っても、鹿は痛くないそうです。
角が切られて、人への危害の心配がなくなった雄鹿は、公園に戻され、自由気ままに過ごします。雄鹿の角は何度も生え、翌年の春には新しい角には生えそろい、秋には大きな角になります。
昔に制作された番組のあと、現代にビデオで撮影された映像が流れます。舞台となった場所を時を経て再訪し、現在の様子を伝えるためです。
今回の奈良公園の鹿を伝えた番組の修復版は、2020年10月頃に放送されたもののようです。私はその再放送を今回見たことになります。
多くの場合、昔に比べて今は数が減っていたりするものですが、奈良公園の鹿の数は、例外とも思える程に、今の方が増えています。放送当時は900頭ぐらいだった鹿が、約1400頭になっているそうです。
「よみがえる新日本紀行」の次回の放送(10月1日)は、「ファッション通り 東京・原宿」と題して放送されます。50年ほど前の東京・原宿の街と、そこに関わりを持った人々の姿が描かれているでしょう。