今年も大晦日です。のっけからナンですが、社会一般では、大晦日と新年というのをどの程度特別視するものでしょうか。私個人はといいますと、これは事あるごとに書いていますが、まったく意識することはありません。
大晦日も新年も365分の1日、閏年であれば366分の1日でしかありません。ま、感じ方は千差万別で、私のような人間もきっといるであろう一方、この時期をことさら特別視する人というのもいるでしょう。根拠はありませんが、後者の人が世の大半であるかもしれません。
そういえばずいぶん昔に何かで見るか聞くかしましたが、一家団欒が強調される年末年始に、水商売(みずしょうばい)で働く女性の自殺が増えるという話でした。
私がそれを見聞きしてから時代が変わりましたから、今もこの話のようなことが通用するかどうかはわかりません。でも、何となくわかる気がします。
さて、大晦日といいますと、相も変わらずあの番組が決まって放送されます。「NHK紅白歌合戦」です。今回で66回だそうです。今年は戦後70年ですから、終戦後4年目から続いていることになります。
ひとつの歌番組にケチをつけるのもナンですが、この「紅白」にもその傾向が見られるのが、日本人の好ましくない特性のようなものです。「紅白」を有り難がって見るという空気が醸成されると、それに異議を差し挟む私のような者は排除されやすくなります。「歌番組ひとつにケチをつけてないで、一緒に楽しめばいいのに。まったく器の小さい奴だ」といった具合に。
同じようなことが、日本国内のあらゆる場面にあるように思えます。
昨日の産経新聞に、作家の曾野綾子(1931~)が、日本のそうした風潮を嘆く文章を寄せていました。たとえば、ハロウィンやクリスマスはキリスト教の祭日で、多くの日本人には関係のない日です。それが、現代の日本はひとつの遊びの機会にして大騒ぎしている、と。
近頃の日本人は軽薄になったというようなことをいおうものなら、「たわいないことだから、いいじゃないの」と逆に諫(いさ)められたりしてしまうといいます。それでも、曾野はおかしいことはおかしいと思わずにはいられず、それを口にしたり文章にしたりするのでしょう。
大きな流れに逆らわずにいればもっと楽に生きられるのでしょうが、そんな人が増えたら、悪しき傾向は強まるばかりでしょう。この傾向に拍車をかけているのが大手広告代理店であり、それを利用する産業界でしょう。そして見逃せないのが、マスメディアの存在です。
中でも新聞は、社会の木鐸を任ずるのであれば、世に蔓延(はびこ)る悪しき傾向を正すことをしなければならないはずです。それなのに、その新聞までもが、たとえばハロフィンやクリスマスの馬鹿騒ぎを煽るような取り上げ方をしています。それに煽られた人々を中心に、ドンチャン騒ぎは年々強まるばかりです。本当にこれでいいのでしょうか。
「紅白歌合戦」の問題点を指摘することも必要でしょう。そもそも、今の時代に男性陣と女性陣に分けて歌の合戦をするなんてナンセンスとは考えないものでしょうか。
このところのマスメディアは、LGBTや夫婦別姓を好んで取り上げています。朝日新聞でもこの手の記事をよく見かけますが、その通底には、男女同権を推進する意味が込められているのでしょう。そればかりでない理由が私には見えなくもありませんが。
それを推進しておきながら、一方で、たとえば男と女に分けて歌で戦う「紅白歌合戦」を是認するばかりか、関係のないはずの朝日新聞までもがそれを盛り上げるような取り上げ方をしています。
昨年の大晦日も同じことを書きましたが、朝日新聞のテレビ欄は、今年も「紅白歌合戦」のPRに紙面を割いています。
担当するのは昨年と同じ後藤洋平という朝日の記者です。ついでまでに、この記者はテレビ欄でNHKの番組を盛んに「よいしょ」しています。芸能人に会いたいが為に記者になったのでしょうか? 芸能人なんてヤクザのお友達です。
それで高給をもらえるならどんな「よいしょ」でもするということでしょう。こんな連中が記事を書く新聞は、読めば読むほど阿呆になるだけです。上司に「ハロウィンを盛り上げる記事を書け」「クリスマスを盛り上げる記事を書け」と命じられれば、「ハイ! ハイ!」と二つ返事で馬鹿記事にするのでしょう。
その馬鹿記事を読者が馬鹿にしながら読めばいいものを、真に受けてしまう人が多いため、未だに「紅白歌合戦」が続いている、といういい方もできるかもしれません。ハロウィンやクリスマスの馬鹿騒ぎも同じ構造です。
出口治明氏(1948~)がお書きになった『人生を面白くする 本物の教養』(「幻冬舎plus>ようこそ『出口塾』へ!」)を第3章まで読み終わりました。
そこまでの間で私が勝手に感じ取ったのは、「流されないで生きることの大切さ」です。
戦後70年のうち、米ソによって良くも悪くも安定していた冷戦の構造が崩れるまでの日本は、米国のあとをついていくだけで発展できる「神風」が吹き、その結果、経済が発展しました。
この間、国民はいわれたことを何も考えずに行えばうまくいったため、個人で考える能力が、経済の発展グラフとは逆に右肩下がりで衰退してしまったのではないか、といったような問題提起をされています。
「右倣(なら)え右!」の号令一発でみんなが同じ行動を採れた日本は発展できました。が、目指すべき目標が失われた今、同じやり方ではやっていけない現実に直面しています。それなのに、それを改める機運が日本人の中から起こらず、不完全燃焼を起こしている状況といえましょうか。
出口氏が暮らしたことのあるのが英国です。
ちなみに、出口さんのお話では、「イギリス」という呼称は日本だけで通じる奇妙ないい方で、日本以外ではこのいい方は通じないそうです。それだから、出口氏が日本でいう「イギリス」について記述するときは「連合王国」を用います。
その連合王国では、大学を出た最も優秀な人間がどんな職業に就くかご存じでしょうか?
給料が高い金融関係ではありません。外交官だそうです。それに続くのは教師とのことです。
それに対して日本は。と愚痴のひとつも出てしまいますね。出口氏の本に書かれていることは、本コーナーで正月中にでも取り上げるかもしれません。
戦後の日本を、日本人を駄目にしたのは教育です。
暗記一点張りで、憶えなければならないことを憶えることが得意な人が高得点をとれる教育を推し進めました。一方、欧米は基本的に自分に考えさせる教育をするそうです。その差は歴然でしょう。
出口氏は外国の要人とご一緒される機会が多いそうですが、日本と欧米で、高い地位にある人間の力の差を痛感させられるそうです。日本人が彼らに圧倒的に劣っているということです。
同じような差は、報道機関で働く人間にも見て取れるでしょう。
今回問題にしているテレビ欄の批評ひとつでも、欧米の優秀な人間に書かせたら、今日の朝日のテレビ欄に載っていたような「NHK紅白」万歳的な書き方は決してしないはずです。
物事を冷静に観察し、指摘すべき点があれば、それを文章にすべきです。もっとも、この程度の紹介文でOKが出されたのですから、朝日新聞はその程度のレベルということなのかもしれませんが。
そろそろ本気で、自国を憂えることをしませんか?
本コーナーの今年分の更新はこれですべて終了です。あなたがよい年を迎えられることを願っています(^ー^)ノ