殺人罪と放火罪は、数ある犯罪の中で最も重い罪になるでしょう。それを一度に行い、しかも四人も殺していたら、日本では誰が考えても、犯人は死刑に相当すると考えます。
しかし、半世紀を経て、なお、真犯人が確定していない事件があります。その事件は「袴田(はかまた)事件」と呼ばれています。
本事件の容疑者とされた袴田巌(はかまた・いわお)氏(1936~)が2014年に釈放され、マスメディアが報じましたので、あとになって生まれた人でも、本事件を知っている人がいるでしょう。
家族四人を刃物で刺し殺し、そのうえで、被害者四人に油をかけて火をつけ、自宅もろとも消失させているのですから、大変な事件です。しかし、本事件を私はあとになって認識しました。
本事件を今になって取り上げるのは、先頃、本事件の裁判に絡み、新しい動きがあり、それを昨日、マスメディアが報じているからです。
私自身、本事件を詳しく知らなかったため、それを確かめる意味で、事件のあらましを見ておきます。
事件が起きたのは、最初の東京オリンピックの2年後になる昭和41(1966)年6月30日の深夜です。
事件の現場になったのは、静岡県清水市にある民家です。その家には、静岡県内でも有数の味噌・醤油を製造・販売する有限会社「王こがね味噌橋本藤作商店」(1972年からは「株式会社富士見物産」)の経営者の息子(会社の専務)夫婦が子供と暮らしていました。
事件が起きた当時、息子である専務の父である経営者は、リウマチを患って、市内の厚生病院に入院していました。また、経営者の妻(被害者の母)は、東海道本線の線路を挟んで、30メートルほど南に離れたところにある工場の隣りにある部屋に住んでいたため、事件に巻き込まれずに済みました。
また、被害者の男性の長女(当時19歳)は、父(当時41歳)、母(当時38歳)、妹(当時17歳)、弟(当時14歳)とは別に、長女には祖母にあたる経営者の妻と工場隣の部屋に住んでいたため、被害者家族の中で唯一生き残っています。
容疑者とされた袴田は、事件以前、プロボクサーでしたが、事件当時はそれを辞め、被害者家族の会社の従業員になっており、同社の工場の2階にある寮に暮らしていました。
事件を捜査する清水署は、体が大きく、柔道の心得を持つ被害者の専務と格闘の末、刃物で殺していることから、プロボクサーの経験を持つ袴田容疑者が捜査線上に浮かんだようです。
事件から4日後の7月4日には、工場2階の袴田の部屋から、ごく微量の血痕がついたパジャマを発見しています。ただ、犯行時に犯人が身に着けていたとされた衣類5点が、事件から一年後、工場内にあった味噌を入れたタンクの中から見つかっており、犯人がパジャマの上に雨合羽を着て犯行に及んだ、という当初の見立てとは食い違いが出てしまいます。
弁護側は、あとになって見つかった5点の衣類は、袴田元死刑囚にはサイズが小さすぎるとしています。
肝心の犯行の動機は、当時金に困っていた(?)袴田元死刑囚が、前日に集金された金を奪う過程で起こした、とされています。前日に集金されたのは約50万円で、そのうち、37万円が行方不明となっているようです。
本事件について書かれたネットの事典ウィキペディアの記述に目を通しても、その37万円がその後、袴田元死刑囚の部屋などから見つかったとは書かれていません。
今もこの37万円は行方不明のままなのでしょうか。
それとは別に、事件の前年8月頃から4回にわたって、同社の製品である味噌樽(4キロが1樽)と味噌を入れた袋(500グラム入り袋が45袋)が盗まれ、市内の旅館に売られていた事実があるそうです。
味噌を買った旅館が捜査で判明すれば、売りに来た人間の人相はすぐに確認できますから、この窃盗容疑の容疑者が袴田元死刑囚であることは間違いない(?)のでしょうか。
ただ、この余罪は、不起訴処分になっています。
清水署は、同年8月18日に袴田元容疑者を逮捕し、静岡地方検察庁(静岡地検)に送検し、取り調べをしています。
同年9月6日の取り調べで、次のように供述しています。それを、ウィキペディアからそのまま紹介します。
前日(6月29日)夕方に犯行を決意して従業員寮で時間を待ち、30日1時20分ごろ、パジャマの上に工場内の雨合羽を着て、工場から見て東海道線の向こうにあったA宅に侵入したが、寝ていたAに気づかれて大声を出されたため、格闘の末に持っていたくり小刀で刺殺した。その後、Aの大声で目を覚ましたB・C・Dも相次いで殺害し、「焼いてしまえば跡が残らない」と考え、1人1人に油をかけた上でマッチを使って点火した。
犯行の動機は、すでに書いたように、前日に集金された金を奪うことです。ということは、前日に集金されたことや、その金が専務宅のどこに置かれているのかといったことも知っていたのでしょうか。
金を盗むために被害者宅に深夜忍び込み、専務に気づかれたために持参した小刀で刺し殺し、騒ぎで起きてきた専務の妻と、専務夫妻の次女と長男も同じように刺し殺し、4人に油をかけて火をつけた、ということになります。
殺人が目的でなかったとすれば、放火までは考えていなかったはず(?)です。ということは、油は持って行かなかったでしょう。犯行に使われた油は、被害者宅にたまたまあったものでしょうか。
それとも、4人を刺し殺したあと、一旦現場を離れ、工場へ行き、適当な油を持って現場へ戻り、使ったのでしょうか。
本事件を扱う静岡地検は、今月10日、本事件の裁判をやり直す最新の公判で、「(袴田元)被告が犯人だと立証する」ことを表明しています。
その動きを受け、昨日の朝日新聞は、一面と社会面で静岡地検の方針にかみつき、社会面では「有罪立証 こだわる検察」の見出しをつけた記事にしています。
袴田元死刑囚が本事件にはまったく無関係であるのなら、冤罪によって人生を無茶苦茶にされてしまったことになります。しかし、静岡地検の側に立てば、4人を殺したうえ、家に火をつけるという重罪を犯した被告が目の前にいるわけですから、有罪の立証に「こだわる」のは当たり前といえます。
マスメディアが本事件を取材しても、袴田元死刑囚の有罪や無罪の判断はつけられないでしょう。であれば、マスメディアが本事件や裁判について報じる時に気をつけなければならないことは、どちらの側にも立たず、淡々と事実のみを報じることだろうと考えます。
朝日の記事を読んで感じるのは、明らかに、袴田元死刑囚に寄り添った報道です。彼を弁護する弁護団のいい分を好意的に扱う一方で、検察側の判断を批判的に報じています。
検察が見ているように、もしも袴田元死刑囚が真犯人の場合、朝日新聞は、凶悪犯罪を起こした犯人の肩を持つことになってしまいます。
終戦後に起きた「帝銀事件」(1948)でもそうですが、どうしてもマスメディアや、人権派といわれるような識者は、事件の容疑者や裁判の被告の側に立つことが多いです。
本事件における静岡地検は、弁護側がいう「組織のメンツのため」とかではなく、犯行と元容疑者の行動などから、彼以外に真犯人はいないと考えているわけです。
マスメディアは、どちらにも肩入れせず、静かに見守るしかないのではありませんか。
ほかに疑わしい人がもしもしたのなら、50年以上の間に、捜査線上にその人物が浮かんできそうなものです。本事件について書かれたウィキペディアの記述に目を通しても、それらしい人の影が浮かんだ、とは書かれていません。