NHK総合の番組に「チコちゃんに叱られる!」という番組があるのを知っています。あいにく、私は見たことがありません。
新聞のテレビ欄で確認する限りでは、素朴な疑問を解決するのが番組のコンセプトであるように思われます。
番組とは関係なく、ある本を読んでいて、それに通じる素朴な疑問と答えを得ました。
今私が読んでいるのは、作家でエッセイストの山口瞳(1926~1995)が、亡くなる間際まで足掛け32年間、一度も穴を開けることなく『週刊新潮』に連載した見開き2ページのコラム『男性自身』のすべてを、8巻に分けて収録したうちの第1巻目です。
その1巻目は、連載を開始した1963年12月2日号分から、1967年12月30日号分まで、掲載順に、212話を掲載しています。
この一冊だけで2,200円と、結構な値段(?)です。通常なら躊躇するところ、大型連休をまたいだ先週金曜日(12日)までは、50%のポイント(1ポイント1円で1100ポイント)がつくということで、第1巻と第2巻を購入しました。
山口はそれ以前に、婦人向けの月刊誌『婦人画報』(1905~)に、掲載当時の典型的な男性サラリーマンをコミカルに描写した『江分利満氏の優雅な生活』(1961年10月~1962年8月)を連載し、この作品で直木賞(第48回下半期)を受賞しています。
『江分利満氏の_』が女性向けに書いたとすれば、『男性自身』は男性が主な読者の『週刊新潮』に連載されたもので、男性を意識して書いているでしょう。
山口の別の全集のサンプル版を読んだとき、山口の長男があとがきを書いており、そこに、『男性自身』の連載が始まるまでの逸話がありました。
『男性自身』は、女性向け雑誌の『女性自身』(1958~)の向こうを張るタイトルですが、たしか、山口に連載を依頼した編集者か誰かのアイデアであったと思います。山口はこのタイトルをはじめは気に入っていなかったという話です。
雑誌名とは別に「女性自身」がそうであるように、「男性自身」は、婉曲的に男性の性器を指しています。向こうがそうくるなら、と連載の第1話目には「鉄かぶと」と題し、「それ」について、ユーモアを込めて書いています。
推察されるように、「鉄かぶと」には、男性用避妊具のコンドームの意味を込めています。それを、『男性自身』の掲載開始にあたって山口は書き、これが通らないのであれば、連載の話はなかったことにしてもらおう、という気持ちだったのでは、と山口の息子が書いています。
山口が週刊誌に毎週一回書いたものを、全集が出たからといって続けて一気に読んでしまってはもったいないので、こちらも、時間をかけて、一話一話を味わいながら、時間をかけて読もうと思っています。
連載が始まって第15話は「乗車拒否」のタイトルで書いています。これが掲載されたのは、東京オリンピックがあった1964年3月9日号です。
山口が書いた文章によれば、この当時、タクシーの運転手が、タクシーを利用しようとする乗客の乗車を拒否することが起きていたようです。
それを新聞が早速問題視し、乗車拒否をするタクシー運転手はけしからん、といった調子で批判キャンペーンを展開していたのでした。
山口は、批判の対象となっていたタクシー運転手に同情し、拒否したくなる運転手の気持ちもわからなくない、と書いています。
タクシーの「ラッシュアワー」は午後11時から12時半までであろうと書き、「善良な市民」であれば、そんな時間まで酒を飲む必要があるのか、と書きます。
そう書く山口自身も善良な市民でないことがあり、乗車拒否に遭ったこともあるそうですが、不快に感じたことはないそうです。
タクシーへの乗車を断られたら、たとえば、電車が動いている時間であれば新橋駅まで歩いて電車に乗って帰るか、構内タクシーの列に並べばいいではないか、と。
山口が自身の血族についてほぼ事実に基づいて書いた『血族』(1979)には、山口に対する妻の不満が書かれていました。それは、サービス業の人に対し、山口はいつも腰が低すぎるということでした。
妻にいわれるまでもなく、山口自身がそれを自覚していたでしょう。それが、ここで書いているタクシーの運転をするサービス業の人にも、彼の気持ちが表れているといえましょう。
乗車拒否につながる交通混雑の責任がタクシー運転手にあるわけではありません。そのうえで、営業的に有利な客を選びたがるのは、タクシー業界に限らないだろう、というのが山口の理屈です。
山口の筆は自由に飛び回り、乗車拒否とは関係がない、おそらくは山口自身が長年疑問に思っていることを書いています。これが、本日の本題となります。
あることを疑問に思いつつ、それはあまりにも馬鹿々々しい疑問のように思え、面と向かって他人に訊くわけにもいきません。その疑問をある日、酔った勢いで、同じように酔いが回っている友人にぶつけます。
その疑問というのは、蜜柑の缶詰の蜜柑についてです。
缶詰に入っている蜜柑は、どうしてあんなに綺麗に皮が剥けた状態で入っているのだろう? と。
いわれてみれば、これは私にとっても疑問ですね。
山口が書くように、蜜柑はつるんと綺麗に皮を剥かれています。渋もありません。機械で剥くにしろ、あれだけ綺麗に剥くのは難しいだろうと思います。
「チコちゃんにしかられる」のチコちゃんなら、その方法を、自慢げに披露してくれる(?)でしょうか。
酔った挙句に訊いた相手は、静岡の缶詰工場に勤めたことがある人で、その人はこの質問に、「馬鹿だねぇ、お前は。あれはね」と山口の疑問を綺麗に解いてくれます。
その方法は、今ならネットで調べればすぐに見つかるでしょう。しかしそれを、山口の独特の言い回しで読むことに意味があるのです。
というわけで、山口のコラムで読みたい人は『山口瞳 電子全集1 『男性自身I 1963~1967年』Kindle版』の購入をお勧めします。
ただ、途中でも書いたように一冊が2,200円します。ポイントは、今は1%(22ポイント=22円)しかつきません。時期を見れば、また、50%のポイントがつくことがあるでしょうから、それまで待つのも手です。
私も機会を見て、8巻まですべて読むつもりでいます。何も慌てて読む必要はありません。
なお、今回は、本ページでも取り上げた『血族』を含む『山口瞳 電子全集19 1978~1979年『血族』 Kindle版』も購入しました。
しばらくは、山口の文章の世界で楽しむことにします。