なかなか読めない苗字というのがあります。読むことはできても、それが正しい読み方かどうかわからない苗字もあります。
たとえば、「角田」という苗字です。これは何と読むのがよいのでしょう。「つのだ」か「かくた」か。あるいはもっと別の読み方もあり、どれもが正解かもしれません。
私はこのところ、江戸川乱歩(1894~1965)の随筆を朗読し、自分の声を録音するのを楽しみとしています。
私はどんなことでも、面白みを感じると、飽きるまで続ける傾向を持ちます。
朗読の録音に使うのは、ZOOMのフィールドレコーダーのF2とF2に付属するラベリアマイク(ピンマイク)であったり、PCにインストールしてあるiZotopeのオーディオ編集ソフトのRX 9 Standardを使い、コンデンサーマイクのMXL-67Vで声を拾ったりします。
どちらも、32bit floatで録音することができます。これはまことに画期的な録音技術で、入力gainの調節が不要です。どんな大きさの声で録音しても、あとで、聴きやすい音量に変更でき、変更した音が劣化することがありません。
今は、乱歩が昭和10(1935)年頃に書いた随筆を中心に朗読しています。
戦前までは人間嫌いで、自分に自信の持てない乱歩でしたが、戦後は、自分の作品が世間的に評価されたこともあってか、すっかり人間が変わりました。宴会の類いにも進んで出たり、テレビ番組に出演するのもいとわなくなったほどです。
昭和30年は戦後10年の年で、そんなことを想像しながら読み進めると面白いです。
乱歩が『二銭銅貨』を書いて初めて自作が活字になったのが大正12年で、この年を自身の探偵作家元年としています。
今読んでいる『探偵小説三十年』は、昭和24年に『新青年』で連載を始めます。その翌年7月で同誌が休刊となってしまい、一時中断ののち、昭和26年3月号の『宝石』で連載を再開しています。
連載を始めて足掛け8年目は昭和31年で、大正12年からは34年になるということで、連載名を『探偵小説三十五年』に改めました。
その中に、「角田喜久雄」という作家の名が登場しました。下調べもせずにいきなり朗読しますので、朗読しながら、「つのだ」でいいのか、それとも「かくた」、あるいはそれ以外の読み方なのか迷いつつ、「つのだ・きくお」と朗読しました。
そのあとにネットで検索すると、「つのだ・きくお」で正しかったことが確認できました。
角田喜久雄(1906~1994)が生まれたのは1906年です。ということは、1894年生まれの乱歩とは、ちょうどひと回り歳が離れていることになります。
乱歩と角田に共通したのは、ふたりともが小型映画の撮影を趣味としたことです。乱歩のカメラ好き、小型映画好きは知られていますが、角田がどの程度それに打ち込んだかはわかりませんが。
乱歩は、先の大戦が始まる年までは、「パテベビー」という方式の小型映画のカメラと映写機を愛用したようです。これは、フランスのパテ社が開発した規格で、9.5mm幅のムービーフィルムをするようです。ちなみに、乱歩は随筆で「パテ・ベヴィ」と綴っています。
それについて書いた随筆でわかるのは、そのフィルムが終戦後は日本に入って来なくなり、仕方がないので、イーストマン(コダック)の8ミリ映画に機材を入れ替えたそうです。ですから、終戦の年から10年は使ったと思いますが、8ミリでは遠景が思うように撮れないなどの理由で、その随筆を書いた昭和30(1955)年のその日に、16ミリのカメラと映写機を手に入れた、と書いています。
それを買った日付まで書き残しています。同年の5月3日です。
角田の娘が踊りを習っており、その発表会のようなものがあり、乱歩も角田に誘われて見物に出かけたようです。その帰りに、ふたりで撮影機材を扱う店に寄り、二人で、同じ16ミリの機材を購入した、と書かれています。
紹介した随筆は朗読し、音声ファイルに残しました。下に埋め込んでおきます。録音には、ZOOM F2と付属のピンマイクを使っています。

なお、文中に登場する「白木劇場」を「しらきげきじょう」と朗読してみましたが、もしかしたら、「白木屋(しろきや)」という日本の百貨店の元祖がありますので、その系列の劇場であれば、「しろきげきじょう」が正しいかもしれない、と録音してから気がつきました。
乱歩の随筆に登場する苗字としては、「鵜野洲」も馴染がなく、適当に見当をつけて「うのす」と読み、結果的にそれで正しかったことが確認できました。
この苗字を持つ人間が、昭和10(1935)年11月21日に、日本で初となる青酸カリ(シアン化カリウム)を用いた殺人事件を起こしたのでした。私は、乱歩の随筆を読むまで、そんな事件があったことも、犯人の苗字が鵜野洲であることも知りませんでした。
この部分についても朗読し、音声ファイルにしてみましたので、下に埋め込んでおきます。これも、F2と付属のピンマイクで録音したものです。
本事件が起きたのは昭和10年ですが、この年だけでも、犯人が乱歩の影響を受けたと供述する、それまでにない事件が何件も起きています。それだけでも乱歩は心中穏やかでなかったでしょう。さらには、それを報じる新聞記事が乱歩には実に不快で、断筆することまで考えるほど乱歩を悩ませたようです。
ちなみに青酸カリを使った事件は、のちに起きた帝銀事件(1948)の真犯人が、この事件から着想したという説もある、とウィキペディアの記述にあるのを見つけました(ウィキペディア:浅草青酸カリ事件 事件の影響)。
このように、朗読してそれを録音するため乱歩の随筆を利用していますが、それを読むことで、知らなかった話や事件を知ることにつながり、これはこれで有益です。