あることが始まってから、世界的に「超過死亡率」の上昇が懸念されています。
これまで、この率の上昇が話題に上ることは多くなかったように思います。それが今、俄かに注目されています。本来、この死亡率は、どの年もそれほど変化がないものだと思われます。
この、めったに見られない死亡率の上昇を朝日新聞も無視していられなくなったようで、昨日の一面と二面で伝えています。
朝日は「超過死亡率」という表現を避け、「例年の水準の死亡率」と実際の死亡者数を比較した数字として伝えています。
比較の対象となったのは、新コロ騒動が始まった2020年から昨年2022年までの3年間です。
記事のリードの書き出しは「新型コロナウイルス感染症の流行が2020年に始まってから」です。この書き方からして、正確ではありませんね。
本当に、そのウイルスの感染流行とやらはあったのでしょうか?
私は本コーナーで繰り返し書いているように、新コロウイルスとされているウイルスの存在を信じていません。
素人の私が勝手に信じていないわけではありません。世界の専門家が、未だにひとりも、そのウイルスの存在を証明できていないからです。
朝日新聞は本日の紙面でも新コロウイルスについて書いていますが、その中に、次のような記述があります。
新型コロナがどのように発生したのか、その起源も不明のままだ。
今の騒動は、おかしなことばかりではありませんか? そもそもの起源が未だに不明だと朝日も書いています。
そうであるのに、いち早く新コロウイルスのために作られたことにされているワクチン(似非ワクチン)の接種が世界中で始まっています。
未だに起源がわからず、存在も証明されていないウイルスのワクチンだけは、あっという間にできた、ことにされているんですよね?
しかも、その画期的であったはずの似非ワクチンには、感染を予防する効果がなかったことが、あとになって明かされています。その似非ワクチンの接種が始まる前は、95%だか96%だかの感染予防効果が謳われていたと記憶します。
昨日の朝日の記事のリードの書き出しに戻れば、新コロウイルスの「感染」の流行が2020年に始まっているとしていますが、それは誰が、どのような方法で確認したのですか?
いいですか? 問題のウイルスとやらの存在が証明されていなければ、それが誰かから誰かに「感染」したことが、どのように確認できるのですか?
存在するかどうかもわからないものは、確認のしようがないです。
それはひとまず置いておきます。
昨日の朝日の「超過死亡率」の変化を伝える記事は、見出しからして、読者をミスリードしています。
記事の見出しは「コロナ下3年 死者13.5万人増」です。この見出しを見た人は、「3年で13.5万人も死者数が増えたのか」と思ってしまいます。
しかし、実際には、2021年と2022年の2年間だけで、超過死亡者数は約17万人増加しています。それがどうして、13.5万人とされているかですが、それには不誠実なカラクリがあります。
今回の記事にある数字は、厚生労働省の研究班が、過去5年の死者データを基に割り出しています。
同研究班は、蓄積されたデータから「例年の水準の死者数」を予測し、実際の死者数と比較することで、その増減を数値で示します。これは、超過死亡数そのものではありませんか?
それにわかるのは、2021年が約5万2千人、2022年が約11万5千人、予測を超えた死者数であったことです。合計は約17万人です。
では、なぜ、記事の見出しが13.5万人になっているのでしょう。実は、新コロ騒動が始まった2020年は、実際の死亡者数が予測より約3万5千人少なかったのです。
朝日はなぜか、17万人から3万5千人を引き、13.5万人にして、それを見出しに使っているというわけです。数字を少しでも小さく見せるミスリードであり、朝日の欺瞞であるように、私には感じられました。
記事ではもっともらしいことを書いていますが、騒動が始まった2020年だけなぜ予測よりも死者数が減ったのか、理由や推測を書いていません。
素人の私が、代わりにそれを考えてみます。
私の前提は、新コロウイルスは存在しない、です。ですから、騒動が始まったといっても、ウイルスが存在しなければ、それに「感染」する人はゼロで、それによって命を落とす人は現れようがありません。
そうであるのに、国や専門家やマスメディアが、「恐ろしい感染症パンデミックが起きた」と人々の恐怖を煽り、国民の活動を縛りました。
毎年、国民の何割かが亡くなりますが、その中には、交通事故や事故などで亡くなった人が含まれるでしょう。2020年は外を出歩くことを制限され、その結果として事故に遭う人が減り、他の似たような要因も重なり、国民全体の死者数減少につながった、と見ることもできそうではありませんか。
その一方で、2021年と2022年は、死者数がこれまでにないほど増えたのはなぜでしょうか。これも、素人の私が勝手な想像をさせてもらいます。
2020年と2021年以降で違うことがあるとすれば、似非ワクチンの接種が始まる前か、始まったあとかです。この恐ろしい推測が事実とかけ離れていないのであれば、似非ワクチンの接種が国民の命を奪っている証明になりはしませんか?
朝日の記事は、似非ワクチン接種のことはまったく書いていません。素人の私でも想像できることが、マスメディアにできないはずがありません。
記事には、2021年と2022年に亡くなった人の死因にも触れています。死因として、心筋梗塞や脳卒中といった循環器の病気がある、と真っ先に書かれています。
似非ワクチンを接種した人には血栓ができやすいことが懸念されています。このことから、似非ワクチンを接種したことで、それら循環器系の病気を発症したと想像することは、それほど間違ってはいないように感じられます。
本騒動が始まった当初は、「新型肺炎」といわれたことがあるなど、主に呼吸器系への影響が懸念されました。そのため、体外式膜型人工肺(ECMO)など、非常に高価な医療設備が整えられ、それを整えた医療機関には国から多額の補助金が支給されています。
ところが、途中で起きる症状が様変わりし、ECMOの話題はほとんど聞かれなくなりました。
人の命を脅かす感染症が、途中で性質を大きく変えることは考えにくいです。
記事では、人口当たりの死者数が、都市部に比べて地方の方が多いことも伝えています。これもおかしな話ですね。
朝日新聞は、前日にわかった新コロウイルスの「感染」者数を毎日の紙面に載せています。それを見る限り、人口に占める数字にしても、都市部が地方より多いというのは信じられません。「感染者」数は、都市部と比較にならないほど地方は分母が小さかったからです。
その理由として、地方の医療態勢が都市部に比べて脆弱だったことと、地方は高齢化率が高いことが影響したのでは、としています。
この推測も正しくない、と私は考えます。
私がその理由として考えるのは、やはり、似非ワクチンの接種の結果です。この接種率は、都市部と比較して地方の方が高い傾向があります。
その良くない結果として、似非ワクチンを接種した地方ほど、死亡者数が多くなったのでは、と私は結論付けます。
記事には、似非ワクチンの接種3回が多かった県として、秋田県の80.2%の数字を上げています。それに続くのは、山形県の78.0%、岩手県の77.5%です。
逆に低かったのは、沖縄県の51.6%、大阪府の62.3%です。
分母の数が一様ではありませんので、死亡者数の実数にはそのまま反映されていませんが、今後長く見ていけば、その差がより明らかになるのではないでしょうか。
今月5日、世界保健機関(WHO)は記者会見を開き、新コロウイルスを巡る国際的な懸念はなくなったとして、緊急事態の終了を宣言しました。
私が別の意味で「注目」しているのは、このあと、年ごとに集計される超過死亡率です。
新コロウイルスの脅威がなくなってなお、この死亡率が高止まりしていることがわかったとき、朝日新聞などマスメディアは、どのような見解を示してくれるでしょう。
その率の上昇を、今後は新コロウイルスのせいにするのが難しくなります。それでもない、そのウイルスの変異体がどうの、といってごまかすつもりでしょうか。
その挙句に、死亡率の上昇を招いているのが、似非ワクチンであると多くの人がわかったとき、国や専門家、マスメディアは、人々からどのような指弾を受けることになるでしょう。
私にはそれが、そう遠くないことのように思えます。