昆虫画家・熊田さんのシンプルライフ

ジャン・アンリ・ファーブル18231915)に魅せられて、虫や植物を克明に描いた熊田千佳慕(くまだ・ちかぼ)19112009)という画家がいます。ご存知でしょうか。

私が熊田を知ったのは、新聞に載ったこの記事を見たときです。

熊田千佳慕の作品展を紹介する新聞記事

この記事は切り抜いて部屋の壁に貼ってありました。記事上部の黒ずんだところはセロテープの痕です。これを以前、本コーナーで紹介していますが、それまでに、新聞記事が変色するほど年数が経っています。

記事で紹介されている熊田の年齢が81歳です。熊田は1911年生まれですので、この作品展が1992年にあったことがわかります。

1992年といえば、平成4年で、私の母が亡くなった年でもあります。

この新聞記事を見て熊田を知ったと書きました。あるいはそれは違うかもしれません。それ以前に熊田の創作活動を伝える記事が新聞に載ったかもしれません。

ほかにも、NHKが熊田を取り上げて番組を作り、それを見た可能性もあります。

熊田のエピソードとして憶えているのは、子供の頃から大好きだった虫の観察のため、熊田は原っぱに腹這いになり、虫の目線で観察をしたことです。

草原に横たわっている熊田を見た人が、熊田が行き倒れの人だと勘違いされたというエピソードがあります。

この熊田を取り上げた番組が4月28日に、NHK BSプレミアム「プレミアムカフェ」で放送されました。2004年に放送された「虫の村に生きる画家 熊田千佳慕 93歳」です。19年前の番組になり、おそらくは私はこの番組を録画して残してあるはずです。

ここでまた私事になりますが、2004年8月末、私は自転車で急坂を走る途中で転倒し、頭を強く打って、一週間以上意識不明になることが起きています。

熊田は大好きな虫の絵を描いていられればそれで幸せだった(?)のかもしれません。

番組の取材者が熊田の住まいとアトリエを兼ねる家にお邪魔し、記録しています。

その家は、以前から熊田を知る者には馴染のあるものです。熊田はその家、終戦の年の昭和20年から亡くなるまで住み続けたことになりましょう。

熊田は昭和20年に、同僚だった女性と結婚していますが、それは5月21日ではないかと推測できます。というのも、番組のナレーションで、結婚から8日後に、住んでいた横浜が空襲を受け、その家を焼失したと伝えたからです。

横浜大空襲があったのは5月29日ですので、8日前は21日になります。

熊田は知り合いの紹介で、その家を得ています。熊田は横浜生まれですが、育ったのは街中であった(?)かもしれません。新しく得た家は農家が納屋として使っていたものだそうです。

その家を訪れたとき、その家の周りに気がたくさんあり、ホッとしたと熊田は語っています。トタン屋根の平屋で、大きな家ではありません。家のすぐ脇に立っている大きな木は、その当時から残ったものでしょう。

家の周りは緑で覆われています。そこだけが開発の波から取り残されたように見えなくもありません。家の前には300ほどの鉢があり、妻が一日三回水やりをやっているという話でした。

取材当時93歳になっていた熊田ですが、とてもしゃっきりとされています。瞳が澄んでいて、とても90歳以上の老人には見えません。着ているものもきちんとしています。しわがありません。

それもそのはずです。熊田を記録した映像で、熊田が自分の下着に丁寧にアイロンをかける様子も残っています。それを熊田は「男の美学」といいます。

75歳までは毎日絵筆をとっていたそうですが、それ以降は、創作意欲が沸いたときに絵筆をとるような生活になったのでしょう。

93歳のその当時は、毎日午前9時なると、アトリエの掃除を始めます。アトリエといっても、それは熊田夫妻の寝室です。和室の6畳の部屋で、部屋の3分の1ほどは、絵を描くための資料類を天井に届くほど積み上げてありますので、実質的には4畳ほどの空きスペースしかないことになります。

食事も同じ部屋でしていました。食事のときは、熊田が絵を描くのに使ったコタツがテーブル代わりです。熊田夫妻のほか、娘さんも一緒に食事をする様子が写っています。

撮影時期は6月頃で、雨戸とガラス戸を開け放ち、部屋には外気をそのまま取り入れています。雨戸の先には小さな縁側のようなものがあり、その先には、小さな庭に妻と育てた植物が育っています。

熊田は布団を押し入れにしまい、部屋の置物にハタキをかけます。

そのあと、別の部屋から何か台を運びます。よく見ると、それは電気ごたつの台です。それを部屋に置き、コタツの台とその上にもう一枚板を載せ、絵を描くための制作台にします。

それが熊田の捜索の場であるアトリエです。

取材の映像を見る限り、熊田がテレビを見る様子はありません。もしかしたら、テレビはないか、見る習慣はなかった(?)かもしれません。

すでに書いたアイロンにしても、台所の炊飯器やフライパン、鍋類にしても、長年使ったもので、それで満足している様子が窺えます。

熊田は時間の使い方が実に優雅です。75歳以降はそうしてこられたのかもしれませんが、集中力が高まるまで、じっと待つことができます。

あるときは、取材者がいるのに、部屋の隅で、仰向けになって眠っています。

筆を執るのは、一週間に一度か二度という話です。

熊田は気難しいところがなく、取材者に訊かれれば、微笑みを浮かべて答えてくれます。

昆虫を本格的に描き始めた頃のことでしょうか。出版社の若い女性に、動物園へ行って羊の糞をもらってきて欲しいと頼んだことがあるそうです。

お洒落な人だったという編集者は熊田の頼みに驚きつつ、糞をもらってきてくれたそうです。熊田はその糞に顔を近づけ、克明に描いた鉛筆のスケッチ画が残っています。

熊田が使う鉛筆にもエピソードがあります。

空襲で画材もすべて失い、恩師を頼ったそうです。恩師は、画材をいろいろ用意してくれ、全部持って行っていいといってくれたそうですが、そのとき、神の啓示のように、一本の鉛筆が目に入り、これだけを頂戴します、といって帰ってきたそうです。

それは6Bの鉛筆です。Bがつく鉛筆は、材質が柔らかく、濃い色が出せます。数字が大きくなるほど、芯が太くなり、柔らかさが増します。6Bは、その性質が最高潮となる鉛筆ということになります。

熊田はこの鉛筆を得たことで、熊田自身の創作のスタイルが誕生したことになります。この6Bの鉛筆を使いこなし、薄い色から濃い色まで、そして、黒い鉛筆で、さまざまな色合いまで感じさせる絵を描くようになります。

昆虫画では、鉛筆で描いた上に、薄く溶いた水彩絵の具を、気が遠くなるほど何度も、塗り加瀬寝ていきます。面相筆のような筆の筆先に絵具がつくかつかないかぐらいつけ、点を置くように、実に淡い色を置いていきます。

こんな描法のため、取材のときに描いていた途中の作品は、2年半ぐらい時間をかけ、いつ完成するかわからないという話でした。

取材した前年、熊田は神経質になったようです。ファーブルが没した92歳になった年です。「プリ・ファーブル」を自認する熊田としては、それだけファーブルに心酔しているのだから、自分も92歳で亡くなることになるかもしれない、と恐れていたようです。

年齢のことでいえば、熊田は70代を10代、80代は20代、90代が30代だと話されています。

熊田は、この番組が放送された5年後に98歳で亡くなっています。

熊田の生活ぶりを見ていると、絵を描くためだけに生きたように感じます。お金は生活ができる程度あればいい、という考えだったでしょう。

描く気が強まるまでじっと待つ制作態度も素晴らしいです。

この番組を見て、心が洗われた気分になりました。

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