本日も、思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて本コーナーの更新をしています。なお、トークは前日の夜に行っています。
本日分の内容につきましては、音声ファイルを聴いてご確認ください。で、そうされない場合は、下にトークの要約をして書き起こしたものを載せていますので、それをご覧になって、トークのだいたいの流れを想像いただければと思います。
音声ファイルはストリーミング方式にて紹介しています。ですので、ファイルのダウンロードと同時に再生が始まります。そのため、再生が始まるまでの時間を待つことなくお聴きいただけます。また、再生箇所は前後に自由に移動できますので、下の書き起こしから見当を付け、聴いてみたい部分を“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(・∀・)ノ
トークを要約した書き起こし
今回もサイトの更新を終えた夜の時間にトークを始める。
本サイトの“天気コーナー”の更新作業の前、午後6時台はNHK-FMのリクエスト番組「サンセットパーク」のリスニング・タイム。今日の放送は、始まって20分過ぎぐらいから聴き出した(それより前の放送は、毎回録音してありますのでいつでも聴けます)。
「サンセットパーク」を生で聴けなかった20分間ほどは何をしていたかといえば、6時頃に外へ出てみると、空に綺麗な月が浮かんでいて、早速、デジタル一眼レフカメラ(デジ一)(=デジタル一眼レフカメラ|「価格.com>デジタル一眼レフカメラ」を持ち出して撮影を始めてしまった。
で、月の写真を撮ったら撮ったで、今度はそれを本サイトで紹介しよう、とサービス精神の旺盛な私は考え、放送を聴きながらサイトの更新をするなど、裏で忙しいことをした。
「忙しい」をキーワードに、次は2年ほど前から使い出した携帯音楽(+動画+その他)プレーヤーの”iPod”に関連する話。
iPodを手に入れた当初は、珍しさも手伝って外へ持ち出し、自転車に乗りながら音楽を楽しんだりした。が、私がそのように音楽を楽しむのを待ち構えていたわけでもないだろうが、自転車に乗るときに携帯音楽プレーヤーを聴くことが規制されてしまった。
それで、今は携帯できるプレーヤーであるにも拘わらず、もっぱら家の中で使っている。これでは、“非携帯音楽プレーヤー”かなぁ? でも、オーディオにつないで聴いたりすると、手持ちのアルバムが次々に聴けたり、あるいは「シャッフル再生」にすると自分のために選曲してくれる自分専用の“音楽番組”のようでもあり、これはこれで楽しくて便利。
iPodを手に入れる以前、自分がどのように手持ちのアルバムの音楽を聴いていたかといえば、アルバムのジャケット写真などを見ながら適当なアーティストのアルバムを探し、それをCDプレーヤーにセットして聴いていた。CDの前であれば、レコードで同じ作業をしていた。
今、iPodで聴くときに、それと同じ感覚でアーティストのアルバムを選ぶときは、”Cover Flow”を使うといい。
ただ、iPodのCover Flow機能を活かすには、あらかじめそれぞれのアルバムの”Cover Art”を登録しておかなければならない。私もはじめは勢い込んでカヴァー・アートの登録作業をしたが、そのうちに億劫になり、登録作業を中断していた。
人は往々にして、こなさなければならいことがあって、それが面倒な作業である場合、一気に片づけてしまいたくなるもの、ではないか。先週ぐらいは私にもその意識が生じ、カヴァー・アートの登録作業を一気に片づけようと時間を惜しむように作業をした。が、疲れてしまい、考え方を切り替えた。毎日少しずつ続ければいいのではないか、と。
「同じことを毎日続ける」という話から、今夏に、98歳で亡くなられたある画家を思い出す。その人は、熊田千佳慕(くまだ・ちかぼ)(1911~2009)さん。
私が熊田さんという画家を知ることになったのは、今から20年近く前だと思うが、NHKで熊田さんを取材したドキュメンタリー番組を見たこと。そこで描かれた熊田さんは、質素な家に奥さまとふたりで暮らし、毎日、細密な昆虫や花の絵を描く毎日を送られていた。熊田さんのお人柄は、熊田さんがお描きになる作品に通じて、優しく、穏やかだった。
熊田さんが描く昆虫たちは、どれも写真よりも細密に描かれている。使用する画材は水彩絵具だったと記憶しているが、面相筆を使い、昆虫の脚に生えている毛の1本1本まで克明に描いていた、と記憶している。
そうであれば、写真では絶対に敵わない。なぜなら、あの小さな昆虫のすべてにピントを合わせることは、被写界深度の影響で、不可能に近いと思うから。
その細密な昆虫を熊田さんがどのように描くか。写真を撮ってそれを参考にして描くのではなく、なんと、すべて自分の記憶だけを頼りにして描いていく。その記憶を蓄積するため、熊田さんはご自宅の近くの草むらなどへ通い、そこで虫たちと同じ目線で一心に観察する。
ある時のこと、草むらでうつ伏せになって観察を続ける熊田さんの姿を見た人が、てっきり、どこかの老人が行き倒れになっていると間違われたこともあったとか。それぐらい、熊田さんの観察行為は徹底していたのだろう。
すぐに乾く水彩絵具を使って描くのであれば、油絵具と違って、一気に作品を仕上げることができる。しかし、熊田さんは一気に描き上げることはない。昆虫の脚に生えている毛の1本1本まで描くという実に根気の要る作業で、気持ちを集中させて描けるのは2時間までが限度ということで、毎日きっちり、2時間以内で作業を終え、それを毎日繰り返したという。
やっつけ仕事では、作品の仕上がりにもアラが生じてしまう。
たとえば熊田さんのように、コツコツと毎日同じことを続けるというのは、なかなかできるものではない。ということで、また、別の話にこれを絡めて話している。
以前、将棋棋士の羽生善治さん(1970~)が、NHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演されたときに話されたことが今も忘れられない。
誰からも「将棋の天才棋士」といわれる羽生さんが考える「真の才能」について、同番組で話された部分を音声で聴いていただいている。
羽生さんが、スランプに陥ったことで気づいたこと。それまで当たり前のように考えていた「情熱を持って続けていく」という行為が実は果てしなく難しい、ということ。
「どんな些細ことでもいい。それを1日1時間。20年続けてください」といわれて、それを実行できる人は限られる。その限られることを続けることのできる人こそ、長い目で見れば最も才能を持つ人というのではないか、というような話。
天才・羽生さんの話に続けて自分の話をするのはなんだが、私のひとつの傾向として、思いつきで始めたことにせよ、一旦始めたことをそのあと延々と続ける傾向がある。
本サイト自体がそうで、サイト内の各コーナーにしても、一度始めたものは、親や姉が亡くなっても淡々と続けている。このことを自分の才能だと考えたことはなかったが、羽生さんの指摘を受け、これも才能のひとつなのかなぁ、と考えたりもした。まあ、それで、なにか特別なものを生み出せたという実感はないが。
ともあれ、羽生さんの言葉に励まされ、これから先も、本サイトの更新を淡々と続けていけそう。