被害者の立場を離れることも必要

誰もが事件や事故の被害者になる可能性はあります。

私にしても、2004年の8月末、事故に遭い、死線をさまよいました。もっとも私の場合は、乗っていた自転車が転倒した自爆事故です。

その時の記憶はまったくなく、今に至るまで、記憶が戻ることはありません。不思議なのは、転倒して負傷した日の記憶それ自体がありません。

その日にどこへ、何のために出かけたのかもわかりません。それでも、その日にどこかへ行き、最寄駅から自宅へ自転車で戻る途中、急坂で転倒し、頭部を強く打ってその場で気を失ってしまいました。

倒れている私を見つけてくれた人が救急車を呼んでくれ、病院へ搬送された私は、頭部を開く外科手術を受けました。

私のことはこれぐらいにしますが、その事故が起こる直前まで、自分がそんなことになろうとは、まったく想像していなかったはずです。

こんな風に、誰であっても、予想もしていなかった事故や事件に遭遇する可能性はあります。そして、その事故や事件が、世間の関心を強く呼ぶことであれば、その日を境に、世間で知られる被害者当人か、被害者の家族になってします。

昨日の朝日新聞には、世間の関心を呼ぶ事故の被害者家族になった人の苦悩が取り上げられています。

その事故は、4年前の4月19日に東京の池袋で起きました。

高齢者が運転する車が道路を暴走し、たまたまその車に遭遇した自転車が事故に巻き込まれ、乗っていた母子が命を落としました。

この事故で亡くなった母子は、その時を境に世間の多くの人に知られる被害者となりましたが、ある意味では、たったひとり残された、子の親であり女性の夫である男性こそは、この事故の悲劇の被害者といえましょう。

世間の関心を呼ぶ事故や事件の被害者は、その事故や事件が起きた日が近づくたびにマスメディアで取り上げられ、スポットライトを浴びる宿命を背負わされます。

たとえば、北朝鮮の工作員に自分の家族を拉致された人々は、その拉致から何年たっても「拉致被害者」と呼ばれ、世間の注目を集め続けます。

家族が拉致されたのですから、拉致された家族が無事に戻るまで心配や不安は去りません。それでも、それとは別に、自分自身の人生というものがあります。

しかし、拉致被害者の家族をマスメディアの報道で知りますと、自分の人生を犠牲にして、拉致被害者の悲痛さを「演じ」させられているように感じることがあります。

娘を拉致された横田早紀江さん(1936~)にしても、娘が戻るまでは、拉致被害者家族の「レッテル」が解かれることがありません。

横田さんが、娘さんのことが心配で仕方がないことはわかります。それでも、それとは別に、ご自分の楽しみを持って暮らしていかれる「権利」のようなものは「行使」してもいいように私は考えます。

こんなことを書いたら「それどころじゃない」といわれるかもしれません。そうであっても、どうか、ご自分の人生も大切にして欲しい、と部外者の私は願ってしまったりします。

ひろさちや氏(19362022)がお書きになった本にも、今私が書いたようなことが書かれていたと記憶しています。

真面目な人ほど、被害者の家族になった時、その立場を「守り」続ける人が多い傾向があります。どんな悲惨な事故や事件の被害者家族であっても、それから離れる時間は許されていいと思います。

昨日の朝日新聞で取り上げられた池袋暴走事故の被害者となった男性は、事故の半年後、彼を勇気づけようとした友人と居酒屋へ行ったそうです。

その店で笑いながら話をしていると、見知らぬ女性客が、彼があの事故の被害者家族であることに気がつき、声をかけられ、笑って話していたことに驚かれたようなことをいわれたそうです。

ほかにも、家族が事故被害に遭った人の遺族会のサイトに、男性がほほ笑んだような写真を載せると、それを見た見知らぬ人から、「よく笑えますね」と非難する長文のメールが届いたこともあった、と記事にあります。

そんなことがあったため、男性は人前で笑うことを控えるようになり、今になって思えば、自分で自分を「気の毒な被害者遺族」のイメージに押し込めるようなところがあったそうです。

被害者の家族が心持をどのように変えても、事故や事件で家族が亡くなれば、戻ってくることはありません。池袋の暴走事故で妻と幼子を亡くした男性は、夜中にふと目が覚めた時など、どうしようもない気持ちになったりするでしょう。

それでも、ひとりの人間として現実社会で生きて行くうえでは、事故や亡くなった家族のことばかり考えているわけにはいかないでしょう。

新たに人と出会うこともあります。その人と楽しい会話が成立すれば、笑顔がこぼれるのが自然です。被害者家族はその笑顔さえ封印しなければならない、という決まりはありません。

心置きなく笑えばいい、と私は考えます。

人は、好きなように生きていっていいのです。それは、事故や事件の被害者や被害者家族も変わりありません。

池袋暴走事故の被害男性が、前向きに生きていこうとしていることを知り安心しました。

過去に囚われすぎていたら、今を幸せに生きることが難しくなります。いい意味で無責任になり、今を楽しんで欲しい、と無関係な私は、要望します。

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