先日(11/25)の「新日曜美術館」(NHK教育/日曜09:00~10:00 再放送20:00~21:00)では、画家・バルテュスを取り上げていました。
詳しい経歴は忘れましたが、確か彼はフランスの生まれで、その後スイスの山村で制作を続け、今年の2月に90数歳でこの世を去っています。日本にも縁がおありのようで、彼の妻は日本人女性です(今回の取材映像にも、いつも通り和服姿で写っています)。
今回の番組中、最も私の印象に残ったのは、彼の自然光に対する執拗なまでのこだわりです。
あれは亡くなる数年前の取材ビデオなのでしょうか。NHKの取材スタッフは特別に許されて、彼のアトリエ内での撮影を試みることになりました。
元々は納屋だったところを改装したアトリエには大きく開いた窓があります。しかし、それだけではどうしても光量不足だと判断したスタッフは、早速ライトを当て始めました。すると途端に、バルテュスの顔つきが険しくなりました。
君たちは私の作品を(本来の姿で)見たくはないのか? もし見たいのならライトは直ちに消してくれ! (人工の光などが当てられたら)作品が台無しになってしまうじゃないか!
それはもう大変な剣幕で、アトリエ内は一瞬にして凍り付いたような雰囲気になってしまいました。
煌々と照らされていたライトが消え、本来のアトリエに戻ったことを確認すると彼は落ち着きを取り戻し、何事もなかったかのようにゆっくりと煙草の煙をくゆらせながら、自分の作品を眺め始めました。
彼は、その取材で訪れ、傍らにいた作家の江國香織さんに「まもなくいい状態で作品が見え始めますから待っていなさい」というような言葉を静かにかけました。
窓から差す光の状態は刻々と変化し、やがて作品を明るく包み始めます。
バルテュスはスタッフに「今は何時になるかな?」と尋ねました。一人が「午前11時です」と答えると、「そうだろう。いつも今頃から仕事を始めるんだ」と言葉を返しました。
私はそんな取材映像を見ながら、彼は毎日こんな風にして作品と向かい合っていたのか、と思いました。それはまるで、農夫が自然の天候に合わせて作業するようでもあります。
バルテュスは刻々と変化する自然のリズムに自分の方を同調させるようにして仕事をしていたのです。何だかとても謙虚で、それでいてこれ以上ないくらい贅沢な時間の過ごし方をしているように感じました。
本来、油絵具という画材は、その性質上、乾くまでに大変な時間を要します。そのため扱いが難しく、私などは短時間で乾燥するアクリル絵具についつい手を伸ばしてしまうことが多くなります。しかし、バルテュスの制作の一端を知ることで、自分がいかに、せせこましいことをしているのかということに気づかされます。
暗いのなら明るくなるまで気長に待てばいいし、絵具が乾いていないのならこれまた乾くまで待てばいいだけの話なのです。
それなのに、それが出来ないというのは、それだけ自分にゆとりがなく、何かに追い立てられるように生きているということになりそうです。
一体、私は何に追い立てられているというのでしょうか?
時間ですか? それとも、結果でしょうか?