ジャーナリズムの放棄に絶望する記者に着目しながら・・・

本日、Yahoo!ニュースで「朝日新聞に起こっている”異常事態”」という見出しが目に入りました。

リードの部分には次のようにあります。

(前略)取材を進めた先に見えてきたのは、会社(朝日新聞)を去っていく若手記者の「絶望」。そして、「ジャーナリズムの放棄」であった。

また、1ページ目の記事の中ほどには、「若手有望記者の同時退職」の小見出しがあります。

私はある期待を持って記事を読み始めましたが、期待したようなことは書かれていませんでした。

本記事は、デイリー新潮が配信した記事です。

リードの部分だけを読むと、朝日新聞に入社した若手が、ジャーナリズムを放棄した現場に絶望し、去っていく者が少なくない、と読めます。

個人的にはこの話に新コロ騒動を重ねてしまい、期待を持ったのでした。

本騒動が始まり、それ以前からあったであろうジャーナリズムの放棄が、ハッキリわかる形で露呈しています。

新コロウイルスのために作られたことにされているワクチン(似非ワクチン)は、人類にとってメリットはまったくありません。素直に従って接種した人の中の少なくない人が、大変な被害を受けています。

似非ワクチンは、含有物に濃度差があり、最も危険な似非ワクチンに当たってしまった人は、短時間で命が奪われ、そうでない人も、仕事ができないほどの後遺症に苦しめられる人が出ています。

マスメディアは、この、あってはならないことに見て見ぬふりをしているだけではありません。すべてを承知したうえで、この犯罪行為に騒動当初から手を貸し続けているのです。

ジャーナリストを夢見て、たとえば朝日新聞に入社し、記者として働けることを知った人は、大いなる希望を持つでしょう。しかし、その夢見た職場で、悪の手先となって働く現実を知ったら、絶望するよりほかありません。

その絶望の挙句、若くして朝日新聞を去る記者が多く出ているのでは? と私は期待したのです。

デイリー新潮の記事は、新コロ騒動と似非ワクチンのことはまったく触れていません。

事例として挙げられているのは、いつの時代でもあるようなことです。

ひとつ目の該当者は、育児を巡って会社への個人的な失望をしています。

その記者は、3人目の子供が生まれたばかりで、妻と育児を分担するため、育児休暇を取ったそうです。それを許してくれた上司には、育児に理解があると安心していたところ、その上司に「来年は地方勤務だな」といわれ、実は理解してはいなかったのかと失望し、退職したというわけです。

この事例は、ジャーナリズムとは関係ないように感じます。

次に挙げられている事例も、今に始まったことではないような話です。

取材が足りないまま、ある地方議会の議員を記事で取り上げたら、その議員と因縁関係にある団体から、その団体が問題にしていることに触れられていないと抗議を受けます。朝日はその抗議に屈する形で、記事を取り消し、取材不足に続く二度目のミスを犯した、と指摘されています。

この事例も、今に始まった話ではないように感じます。

ほかにも、ゴマをすって上に気に入られなければ出世できないというのも、朝日に限った話ではないでしょう。これをジャーナリズム云々の話に結び付けるのは苦しいのではありませんか?

記事の終わりには、社長が「稼げる会社」を目指していることを書き、収益の三本柱にデジタル、イベント、不動産を挙げているとしています。

冒頭に書いたように、ジャーナリストして絶望せずにいられないことにまったく触れられていません。

新コロ騒動と似非ワクチン、あと、ウクライナ紛争にしても、日本のマスメディアは真実とは反対のことを報じています。本当にジャーナリストを志した人であれば、出社拒否をしたくなるほど、絶望すべき状況です。

結局のところ、『週刊新潮』もせっかく朝日で起きていることに注目しながら、記者の深層心理にまでは踏み込まずに終わっています。

朝日に限らず、日本の新聞社やテレビ局で働く人の中には、途中で書いたようなことに不満を持つ記者がいるはずです。

そのような記者の心の奥の声を拾って記事にしたら、読者の関心を呼ぶだろう、と私は考えます。