気候は人間の心理に影響を与えます。
関東南部はここへ来て、急に気温が下がってきました。少し前までは30℃を超える日がありましたが、今は日中も気温が25℃程度で、それを下回ることもあります。
今週の水曜日(21日)、私は高校野球の地方大会を観戦してきました。その日も気温は高くなく、私は長袖のシャツ一枚で行きました。その恰好で、暑く感じることなく、観戦してくることができました。
今の気温になるまでは、夜寝る時に厚手の毛布で寝ていました。昨日はそれに替え、布団を出しました。
今後また、少し気温が上がることがあるかもしれませんが、寝苦しい夜にはならない(?)でしょうから、暑さで眠りを妨げられることもなさそうです。
まだ秋とはいえませんが、そんな季節の変化が影響してか、このところは油絵具と接する時間が長いです。
昨日も、描きかけの自画像に加筆しました。
私の場合、ほとんど自分の愉しみで絵を描いており、いつまでたっても完成しません。この自画像も、昨年の今頃に初めて手を入れました。
加筆をしてはいろいろ考え、わからなくなると、私が最も敬愛するレンブラント(1606~1669)の画集を見て、ヒントを得ます。昨日もそんなことをしていました。
レンブラントは、古今東西の巨匠の中で、最も油絵具を使いこなした画家だと私は考えています。
そんなレンブラントですが、たとえば、レンブラントが57歳のときに描いた『バレットを持った自画像』(1663)にしても、楽々とは描かれていません。
画集には、レンブラントの顔の部分だけが実物大で印刷されています。それを見ると、レンブラントが苦労して自分の顔をカンヴァスに描いたことが想像できます。
巨匠のひとりにルーベンス(1577~1640)がいます。彼も油絵具を使いこなした巨匠ですが、レンブラントは対照的です。
彼は大きな工房を構え、多くの弟子たちに注文の絵を描かせることもしています。その基となるデッサンをルーベンスが描き、それを基に弟子たちが絵具で仕上げた作品も数多くあります。
これは、現代の写真を見ながら絵にする行為に近い印象です。
ルーベンスの技法で特徴的なのは、暗部に透明性の強い絵具を使い、支持体から跳ね返った光を感じさせつつ、明部にはより不透明な絵具を載せたことです。それを完璧にこなせたのはルーベンスだけで、弟子たちでルーベンスと同じように描けた者はいなかったでしょう。
それだから、ルーベンスの作品展があれば、注意深く観察することで、それがルーベンスひとりではじめから終わりまで描いたものか、それとも、一部手を入れただけか、全部弟子の手による作品かが見分けられるかもしれません。
ともあれ、ルーベンスは絵具のつけ方があらかじめ決まっているため、たとえば人間の顔を描くときも、レンブラントのように苦労することはなかったでしょう。
その分、ルーベンスの作品は、レンブラントの作品のような深みが感じられません。
ルーベンスが二度目の妻の姉のシュザンヌ・フールマンを描いた有名な肖像画があります。
その顔につけた絵具には迷いがありません。あらかじめ、いわゆる「肌色」に使う絵具の色は決まっており、光が当たった部分に不透明な白を多く使っているだけです。
想像するに、ルーベンスはモデルを前に立たせて油絵を描いてはいません。それ以前にモデルをデッサンし、写真を見ながら描くように、デッサンを見ながら描いたでしょう。
彼女の目はつぶらで、見ようによっては、お人形さんのように見えます。
対照的なのがレンブラントの描く人物画です。
今回の例にしている57歳の自画像にしても、それほど明るくないアトリエの光の中で、レンブラントは鏡に映る己の姿をカンヴァスに写すことに悪戦苦闘しています。
ルーベンスと違い、肌の色を表すのに決まった色はありません。自分の観察眼を信じ、見えた通りの色をカンヴァスに載せ、一度載せた色の上に、何度も別の色を載せています。
鏡に映った自分の左目のまぶたと眉のあたりには、塗ったばかりで乾いていない絵具を、筆の柄の部分でこすったりもしています。
鼻頭の頂点には、ライトレッドのような土系の赤褐色のような色を載せています。ルーベンスであれば、こんなところにこんな色は絶対につけません。
鏡に映る右目は陰に沈み、形がよくみえません。室内の明かりが暗く、実際、そのように見えたでしょう。
レンブラントの画集をしばらく眺め、自分の自画像の前に戻りました。
私はこれまで、様々なメディウムや画溶液を試してきましたが、今はシンプルに、松田という画材メーカーの速乾性ペインティング・オイルだけを使っています。
昨日は、使った筆も豚毛の平筆6号一本だけです。細かく見える部分も。

オイルは、使い始める前に筆に湿らせるだけで、あとはオイルを使わず、チューブから絞り出した絵具をパレットの上で混色し、カンヴァスに載せていくだけです。
昨日、パレットに載せた絵具は13色ぐらいです。
私の部屋も採光を考えていないため、鏡に映る自分の顔にあたる光は、おでこと、鏡映る左の頬の上の部分、左耳、鼻の頂点、あとは両方の眉の上の部分あたりだけです。
後の部分は光が弱いため、綺麗な肌色にはならず、見ようによっては、くすんだ緑色に見えます。
どうしたら、見えた通りの色になるか、レンブラントが苦労した以上に苦労して、パレットの上で混色してはカンヴァスに載せ、その上にまた載せるようなことをしました。
オイルを使わないため、薄く伸ばした絵具を載せることで、下に載せた絵具と微妙に混ざり、新たな色が生まれます。
一本の筆について絵具を紙や布で落とし、新しく混色した絵具を載せれば、筆は一本だけで、明部から暗部まで描くことができます。
明部といえば、今気に入って使っているホワイトは、おそらくはホルベインという日本の画材メーカーだけが作っているであろうセラミック・ホワイトです。

レンブラントなどの油絵の黄金時代の巨匠や画家たちが使ったホワイトは、日本でいうシルバー・ホワイトです。
私も長いことこのホワイト一本でした。しかし、その後考え方を変え、別のホワイトを使うことをしました。
水に溶ける速乾性のアクリル絵具の場合のホワイトはチタニウム・ホワイトです。このホワイトは被覆力が強く、下に塗った色を覆い隠す力があります。
その分、混色した時に他の色を食い、その分、彩度が落ちてしまします。
油絵具にもチタニウム・ホワイトがあります。性質はアクリル絵具で同じで、それが短所になりやすいです。
ほかに、改良されたパーマネント・ホワイトがあり、私も使いましたが、今はセラミック・ホワイトに落ち着きつつあります。
このホワイトは短所と長所がほどよく調整されており、気持ちよく混色することができます。シルバー・ホワイトに比べると被覆力を持ち、それだけ、明度のコントロールが容易になります。
それでいて、チタニウム・ホワイトのように、他の色を食いすぎることがなく、相対的に使いやすいのです。
私は昔からレンブラントの作品に強い憧れを持ち、レンブラントが実現したような絵具の厚塗りを試みました。しかし昨日は、パレットの上で、豚毛の筆について絵具を薄く伸ばし、カンヴァスに載せることをしました。
自分に見える色がカンヴァスに現れているのであれば、必要以上に絵具を厚く載せることもないのでは、と考えてのことです。
そのように描いた絵具が、翌日の今日には指につかないくらい表面が乾いています。描き始めに、速乾性のオイルを筆に湿らせたせいもあるでしょう。
それでも今日は加筆せず、レンブラントの画集を眺めて、ゆっくり過ごしましょうか。
音楽を聴くのもよさそうです。
秋が深まれば、こんなことをして過ごす日が多くなるでしょう。