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オールド「日々の独り言」

2002/01/25 レンブラントに見る絵画技法

今日はほんの思いつきで、絵画の技法について少しばかり書いてみようと思います。

私の場合、アクリル絵具に関しては、自分なりの扱い方をマスターしたと思っているのですが、油絵具は非常に扱いが難しく、未だに五里霧中状態です。

それなりに専門書にあたり、自分なりに試行錯誤を繰り返してもいるのですが、そうればするほどわからなくなり、ほとほと頭を悩ませています。

扱いを難しくしている原因の一つには、その絵具の成り立ちがあるように思います。

その昔、古典的な絵画の多くは、油絵具ではなく、テンペラ絵具で描かれました。

それはたとえば、卵の黄身を顔料(絵具の元になる粉)などと混ぜ合わせて造られた絵具で、水に溶ける性質があります。

絵具の特徴としては、乾燥が速いことなどがあります。また、ひとたび乾燥してしまうとその後は水に溶けないという性質も併せ持ちます。ただ、乾燥が速いということは逆に隣り同士に塗った色をぼかしたりといった技法は用いることができなくなります。また、油絵具のような厚塗りもできません。

現代も広く用いられている油絵具は、そうした古典的な絵具の次に登場した絵具です。

こちらの絵具は油で顔料が練られていることにより、乾燥が非常に遅いという特徴を有するところとなりました。また、その性質上、盛り上げたような厚塗りも可能となりました。

ただ、何事に置いても長所が長所とばかりは限らず、逆に短所をも生み出します。そして、この乾燥の遅さが扱いにくさを生むことになりました。

現代的な絵具であるアクリル絵具などであれば、速乾性のため次々に重ね塗りしていくことができますが、油絵具の場合は、そのたびに乾燥を待たなければなりません。

この絵具が生まれた頃、西洋の絵画作品は工房と呼ばれるようなところで主に描かれました。そこには親方と呼ばれるような中心的な指導者がいて、弟子たちは親方の下、技法を基礎からたたき込まれていったのではないでしょうか。

その制度が一挙に崩れたのは、工業の近代化が進んでからで、その先駆けとなったのがいわゆる印象派と呼ばれる一群の画家たちです。彼らは旧い伝統から離れ、チューブ入りの絵具を持って戸外へと写生に出かけるところとなりました。

人々の多くは彼ら印象派の絵画を褒め称えますが、一面、技術的なことに限って見ていきますと、それは本来あるべき油絵の技法の崩壊とも見ることができます。そのことは当時の画家自身も感づいていたことで、現に、印象派を代表する画家のルノワール自身も古典的なしっかりとした技法を学べなかったことを残念がっています。

それでは、その扱いが難しい油絵具を縦横無尽に扱いきった画家は誰なのかといいますと、これがまた、私の大好きな画家レンブラントであると思います。今、手元に彼の画集を置き、それを開いているのですが、彼の技法には圧倒されるばかりです。

初期の頃には当時の伝統的な描法をマスターすることに懸命の様子が窺われますが、中期、晩期と年を経るに従い、絶対的な自分独自の技法を身につけ、絶対の自信を持って描いています。

話は少しずれますが、20世紀を代表する画家といわれるピカソですが、技法的には私は感心できなかったりするところが正直いってあります。

俗に、ピカソは10代にして既に古典的な技法を完全に習得し、その後独自の絵画技法を模索していった、というようなことがいわれますが、それに対し、私は懐疑的です。彼が幼くしてマスターしたといわれる技法は古くさい描き方で、到底レンブラントの技法のような境地にまでは達していません。

また、その後の技法の変遷も、彼が技法について独り密かに悩み続けた証あかしなのではないか、と私は見ているのですが、あるいは全くの見当違いかもしれません。

話をレンブラントの技法に戻しましょう。

主に技法を解説した手元の画集の中に「レンブラントのパレット」という項目があります。

研究者によって彼が使ったであろうと思われる絵具がそこに示されているのですが、その絵具の数はごくごく限られています。多く見積もっても9色の絵具(+鉛白)程度です。

それでありながら、あれだけ色彩と明暗を感じさせることができる作品を生み出すことができたわけで、まさに神業といってもいいでしょう。

たとえば『マルガレータ・デ・ヘール』(1661年/75.5×64㎝/カンヴァスに油彩/ナショナル・ギャラリー、ロンドン)という肖像画があります。

これは、オランダのドルトレヒト(画家のフィンセント・ファン・ゴッホがこの都市の書店にたった3カ月間だけ務めた、という記述を見ました)という都市の商人・ヤーコブ・トリプという人物の夫人を描いているわけですが、その頭部の実物大の掲載画像写真には驚かされます。

ごくごく少ない数の絵具がときに原色のまま、あるいは微妙に混ぜられてはカンヴァスに塗られています。

私は実際の作品は見たことがありませんが、もしも対面でき、間近で顔だけを視たなら、色の羅列にしか目に映らないかもしれません。しかし、それを適度な距離を置いて見ることにより、魂を宿した夫人の面影そのものとなるのです。

レンブラントの晩年の技法を特徴付けている最大のものは、「色を対比させる表現」といえるのではないでしょうか。

具体的にどういうことかといいますと、色を完全に混ぜ合わせて“生”な色を作るのではなく、それぞれの色味をなるべく生かすようにカンヴァスに置いていき、それらが人間の視覚の中で混ぜ合わされて初めて本来狙った色を表出させる、といった技法です。

それはある意味印象派の絵画技法に近いところがなきにしもあらず(印象派のソレよりもレンブラントの技法が遙かに緻密であることはいうまでもありません)ですが、それを印象派が出現するよりも200年早く実現しています。

そして、早く実現させただけでなく、未だに誰にも追い抜かれることなく後続を断然引き離したまま現代いまも走り続けているのです。

技法に限っていっても、レンブラントの偉大さは誰も及ぶことは不可能です。

もしもタイムマシンがあって過去に遡さかのぼることができるのなら、1600年代のオランダ・アムステルダムのレンブラントのアトリエへ行き、一日中彼の描く様を見察したいものです。

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