今朝の新聞各紙は、あるボードビリアン(ヴォードヴィル)の死を報じています。
マルセ太郎です。
彼は本名を金原正周といい、在日韓国・朝鮮人二世として大阪市に生まれたそうです。
私がマルセをハッキリと認識したのは何年前のことになるのでしょうか? 以前、テレビの深夜番組に『EXエックステレビ』(日本テレビ系列)というのがありました。これは、その昔、“名物番組”『11PM』を放送していた時間枠の番組です。で、その放送形態もその『11PM』の時代そのままに、東京(日本テレビ/月、水、金)と大阪(読売テレビ/火、木)交互の放送でした。
私は個人的に大阪担当の曜日のノリが好きで、火曜日と木曜日を中心に見ていました。今思い返せば、司会は上岡龍太郎と島田紳助です。ほとんど第1回の放送から見ていたような記憶がありますが、二人の掛け合い漫才のような絶妙なアドリブを交えた司会ぶりに半ば感心しながら見ていましたね。
で、その番組で初めてマルセ太郎を知ったのだと思います。
朝日新聞の記事によりますと、マルセ太郎は高校時代から演劇の勉強を始め、1956年、日劇ミュージックホールでパントマイムでデビューしたとのことです。
何といっても、マルセを有名にしたのは、彼の後半生の代表芸である「スクリーンのない映画館」でしょう。
私は彼を描いたドキュメンタリー番組(多分NHK)を見たことがありますが、その中でもその“芸”を披露していました。マルセは、映画の初めから終わりまでを彼の話芸だけで描き出します。それはまさに、スクリーンのない映画館です。
あれは黒澤明監督の映画『生きる』の一場面だったでしょうか。ガンに冒されて余命幾ばくもない市役所の老役人(志村喬)が夕刻、ブランコに揺られながら、独り歌を口ずさんでいるシーンがありました。確かその時点で、マルセ自身もガンに冒されていたのではなかったかと思います。いずれにしても、そうした背景があるせいか、見るものを引きずり込むような“凄み”が彼の芸の中にあったのを憶えています。
さっきも少し触れたドキュメンタリーの中で、マルセと妻がテレビを見ながら、ああでもないこうでもないと“議論”しているシーンがあったのを思い出しました。
マルセの生い立ちが彼をそうさせるのかどうかわかりませんが、テレビなどを見ていてもやたらに腹立たしくなり、テレビに“いちゃもん”をつけながら見るという話でした。で、挙げ句の果てには妻との“論争”に発展するというわけです。
そのときのテレビは何を映していたのか? 確か、有名人が誕生日とかいってバースデー・ケーキのろうそくを吹き消したりしているシーンだったか? マルセはそれを見ながら、
「オレは誕生日にあんなことをしてもらったことは一遍もないなぁ、、、」
そうしたら彼の妻も同じ画面を見ながら、
「私だってないわよ。あんなこと」
といっていました、ね。
マルセ太郎。享年67歳。