2013/01/11 サムライのイメージ論・芸術家の場合

質問をひとつさせてもらいます。「侍」と聞いてあなたはどんなイメージを持つでしょうか?

正直な話、私は、昔に侍といわれた人たちが日々をどんな風に過ごしていたか、すぐにイメージすることができません。

ネットの辞典ウィキペディアにある記述にさらっと目を通してみますと、世の中が安定してからは、彼らは支配階級に仕える下級役人で、今の多くのサラリーマンと同じように、上昇志向を強く持っていたようですね。

だとすれば、小説や映画、ドラマなどに登場する侍像というのは、ごく一部に一定数いた、あるいはいたかもしれない「はねかえり」を誇張して描いていることになりましょうか。

私自身、軽はずみなことはよくしでかし、ほかの人から、はねかえりに近いと思われる部分も多分に持っているであろうと自覚していますので、その意味の侍であれば嫌いではありません。

もっとも、はねかえりの性格を持つ者は、同じようなはねかえりの性格の人間とうまくいくはずもなく、似ているが故に、どちらかが折れてはねかえり度を弱めない限り、うまく付き合うのは難しいでしょうが。

大衆と無関係であればAIがどんな力を得ても影響を及ぼせない

人工知能(AI)が急速に発達したことが、あらゆる方面に影響を及ぼしています。

今後、それが多くの分野へ浸食し、それまでは人間の手で行われていたことが、AIに置き換わっていくのではと見られています。たしかに、AIに置き換わる業種はあるでしょう。

たとえば、テレビのニュースでニュース原稿を読むだけや、ドキュメンタリー番組で、原稿通りのナレーションを読むだけであれば、人間のアナウンサーに代わり、AIの音声に任せた方が、読み間違いが起こらないなど、便利なことが考えられます。

声だけの仕事であっても、リアクションが求められるようなものであれば、人間がしたほうがいいかもしれません。

国会で速記を取る仕事も、AIの文字変換精度が上がれば、AIに置き換わっていくのではないでしょうか。

速記というのは、特別な訓練を経て身につけるものでしょう。それが、AIの登場によって、仕事の場をなくすというのであれば、長くその仕事に携わってきた人には無念に思われるでしょう。

それぞれの会社で行われている事務の処理も、AIに任されるものは、どんどん、それに任せるような方向へ向かうかもしれません。