2010/08/22 道を逸れることで知る大切な「何か」

本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新をしています。なお、トークは前日の夜に行っています。

本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお読みになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。

なお、音声ファイルはmp3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができる、と思いますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ

インディの鞭の気まぐれトーク〔2010.8.21〕

トークを要約した書き起こし

今回も、本サイトの“天気コーナー”の更新を終えて一段落ついたところでトークを始めている。今日(21日)のところはトークをするつもりがなかったが、ふと思い立って始めてしまった。

実はトークを始める直前まで、衛星デジタル放送で、「キャノン・プラミアム・アーカイブス 写真家たちの日本紀行・未来に残したい情景」を見ていた。で、見ているうちに急にトークをしたい気分が起こり、そのまま始めてしまったというわけ。これぞ文字通りの「気まぐれトーク)」。途中になってしまった番組は録画してあるので)、続きはあとで見ることにする。

英語の早期教育は?

私が子供の頃から「教育ママ」と呼ばれる人たちや現象がありました。中には「教育パパ」もいたでしょうが、どういうわけか、母親が主流のイメージです。

私は、父が40歳、母が37歳の時に生まれた子供です。両親はすでにいません。また、8歳上に姉がいましたが、姉ももういません。姉との間に次姉がいたはずでしたが、死産でした。

両親は、8年ぶりに生まれたのが私で男の子だったのが嬉しかったのかもしれません。大事に育てられ、勉強しろといわれたことがありません。

学習塾にも通わずに成長しました。通った塾もありますが、それは算盤(そろばん)と習字です。どちらも長くは通いませんでした。

今も昔もといいますか、自分の子供への教育に熱心な親がいます。

本日の朝日新聞に、「早期教育へのギモン」の三回目として、「幼少からの英語熱『異常な状態』」と見出しがつけられた記事が載っています。