私が昔から映像好きであることは、本コーナーで事あるごとに書いているとおりです。
ただ、私の場合は趣味でやっていることなので、それが何かに結び付くことはありません。
映像が好きだったため、一度、あるいは二度といってもいいかもしれません。プロの現場に足を踏み入れかけたことがあります。
それが一度目だったか二度目だったか、昔のことなので忘れましたが、テレビドラマを作る大映テレビでカメラのアシスタントの職を得かけたことがあります。
当時は中河原(中河原駅)に撮影所がありましたね。
私が回された現場は、民放が昼の時間に放送していた、おそらくは主婦向けのテレビドラマの制作です。当時ですから、撮影は16ミリフィルムのムービーカメラが使われました。
私は集団に馴染めないたちなので、そこはすぐに去ってしまいました。
次は、NHKで大道具の仕事をしたことがあります。今はあるかどうかわかりませんが、たしか、NHK美術センター(NHIKアート)とかいうところだったと思います。
略して「美セン」といっていました。
腰に、金づちやくぎ抜きなどの道具を入れた袋を下げ、NHKのスタジオでセットを作る仕事をしました。
見習い期間でここもやめてしまいましたが、さまざまな番組のセットを作る現場を回りました。
こんな昔のことを思い出したのは、今朝、朝日新聞にあった「ひと」のコーナーを読んだからです。本コーナーでは、有名無名を問わず、世の中で生きているひとりの「ひと」を取り上げます。
本日分では、東京・下北沢に「一風変わったカフェ」を昨年10月に開業したひとりの若い男性を取り上げています。
そのカフェは「TAN PEN TON」といい、10分足らずの短編映像作品を鑑賞できるようになっているそうです。しかも、その短編を見るのに使っているのは、アナログビデオのVHSです。
このカフェを作ったのは林健太郎という人です。現在30歳だそうです。
林氏は高校時代に映画と縁ができますが、きっかけは、友達に「柔道着貸してくれない?」と声を掛けられたことです。ということは、林氏は柔道部の部員をしていたのでしょうか? 記事に添えられた写真を見る限り、そんな感じがあまりしませんけれど。
柔道着を貸した友人は、おそらくは自主映画か何かを作っていたのでしょう。数カ月後、友達の映画が出来、それを見ると、自分が貸した柔道着が、「異世界の住人の衣装」となっていたそうです。
しかも、作品のエンドロールの中に、「衣装協力」として、「林健太郎」の名があったそうです。それが林氏を感激させたのかもしれません。
大学に入ると、「ミニシアターが企画した映画制作のワークショップ」に参加し、映像の専門学校でも学んだそうです。
大手の映画会社に入社しますが、自分の望みとは違っていたのかもしれません。
彼の根底にあったのは、輝かしい才能を持ちながら、大手の映画会社で作品を作るチャンスになかなか恵まれない現実です。
ただ、これは口でいうほど簡単なことではない一面がありそうです。劇場でかける映画を一本制作するのには大変な制作費がかかるであろうことが素人にも想像できるからです。
別の分野で名が売れた人が、たまに映画を制作することがあります。昔でいえば、シンガーソングライターの大御所、さだまさし(1952~)が『長江』(1981)という映画を撮っています。
その映画と撮ったことで、さだは約35億円の借金を作り、それを返済するのに大変な思いをしたという話を、さだ自身が書いたエッセイ集か何かで読んだ記憶があります。
そんな背景があるため、映画を制作する会社としても、採算の見通しを綿密に立て、石橋を叩いて渡るようにして、作品を作っているのかもしれません。
ただ、どんな背景があるにしても、一介の映像作家が世になかなか出ていけない現実がありそうです。
林氏はそんな現実の打破を図るため、2022年、仲間と「NOTHING NEW」という映画会社を設立したそうです。
それと並行して、若手クリエーターが「名刺代わり」となるような短編作品を紹介するためのカフェ「TAN PEN TON」を作ったということらしいです。
それにしても、短編作品をビデオのVHSで見せるというのは特徴的に感じます。取材した記者が理由を訊くと次のように答えたそうです。
あえてVHSを選んだのは、「映像を手にとって選ぶ」という実感を味わってもらいたいから
デジタル全盛の時代になり、映像にしても音楽にしても、データとして扱うようになり、それまでのCDやDVD、ましてや、ビデオテープという物質性から離れたところでやり取りされています。
そんな今、おそらく、最も遠いところにあるビデオテープを介して見てもらうことに、林氏はこだわったということでしょう。
今は、たとえばネットの動画共有サイトYouTubeで、自分が作った動画を簡単に公開することができます。そこからは、YouTuberが誕生しています。
そんな彼らが次代の映像作家になれるかといえば、簡単にはいいきれません。
カメラ系に限ってみると、多くは、カメラやレンズのレビューをしています。「作品」はあまり作っていません。
映画やテレビ番組のスタッフになる人やすでになっている人はいるでしょうが、監督になって「作品」を作れる人は限られるでしょう。制作の資金集めを含めて。
どんなに困難な状況にあっても、映像クリエーターになる人、なれる人は現れます。
しかし、機会を得たがゆえに、ときには、数十億円単位の借金を背負うことになることもあります。人生は最後までいってみなければわかりません。
「覚悟」のある人は、それを目指してみればいいでしょう。