今はもう晩秋といったところでしょうか。秋にはいろいろな「○○の秋」がありますが、「読書の秋」というのもあります。
夜、布団の中に入って本を読むのは、味わいがあってなかなかいいものです。ただ、読むことで、せっかくの愉しみの時間を台無しにしてしまう本もあります。
私がつい先日読んだ本もそんな本でした。まだ出たばかりの新書で、おもしろそうだと思って買い求めました。それが、読んでみたらつまらなく感じ、買い求めたことを後悔しました。
それでも、一応最後まで読みましたけれど。どなたがお書きになった本かは、その著者の今後の活動に差し障りがあるといけませんので、ここでは伏せておきます。
同じ本を読んでおもしろく感じたり、有益だと感じる人もいるでしょう。同じものから受ける感じ方が人によって異なるのは、それぞれの人が持つ価値見が異なるからだろうと思います。
その「価値観」につながるような話をこれからするつもりで書き始めました。
私がよく見る番組に「久米書店 ヨク分かる!話題の一冊」があります。この番組については本コーナーで何度か取り上げています。
話題の新書をお書きになった著者をゲストに迎え、久米宏(1944~)が店主、檀蜜(1980~)が店員という設定で、ゲストの新書を肴にしばし談笑する、といった番組です。
昨日もその番組の放送がありまして私は録画をしながらオンタイム(←「放送されている時間」ぐらいの意味で遣っています)でも見ました。
今回番組が取り上げた新書は、大阪で精神科医をされているという片田珠美氏(1961~)がお書きになった『他人を攻撃せずにはいられない人』です。
私は片田氏のことは存じ上げません。ネットでお名前を検索してみました。すると、検索結果の上位に「片田珠美という精神科女医さん:なんか変じゃありませんか?」(Yahoo!知恵袋)というのが表示されました。そのページで中身を確認してみると、厚生労働省の医師等資格確認検索では、同名の該当者はいないと表示されるようです。
ほかにも、片田氏が産経新聞に持つコラム「精神科女医のつぶやき」でお書きになったことがもとで、ネットで炎上するようなことが一度ならずあるようで、別の意味で片田氏は注目される人なのかもしれません。
私は片田氏の本は読んだことがありませんのでわかりませんが、昨日の番組を見ただけでも、ネットユーザーへの敵意のようなものは感じました。
番組冒頭で、久米が片田氏に対する戸惑いを正直に述べました。片田氏がご自身を「精神医学界の沢尻エリカ」と称していることについてです。
画面に映る片田氏は、美形とは間違ってもいえない、などと書きますと、 私が文字で片田氏を攻撃しているように思われてしまうでしょうか?
それでは、ご容貌を具体的に書きます。一目見てどなたでも感じられると思いますが、お顔のエラが非常に発達されていることです。ですから、お顔が角張って見えます。
また、口元が発達されているといいますか、お話しされるたびに開閉されるお口にうっかり指を入れてしまおうものなら、構わずかみ砕かれてしまうような迫力があります。眉はぼうぼうで、眼は大きくありません。
番組は、椅子に腰をかけた格好で進みますが、こちらに向いてお座りになった片田氏の両膝が開いています。ですので、立ち姿といいますか、この場合は「座り姿」となりましょうが、だらしなく映ってしまうように私には感じられました。
それでも、お話の格調が高ければ、見た目を補ってあまりあるでしょう。ところが、専門のお話から格調といったものを感じることができません。また、どのようなデータをもとにお考えになっているのか、疑問に感じる点がいくつもありました。
たとえば、久米の、他人を攻撃せずにはいられない人には地域性のようなものがありますか、というような問いかけに対しては、「東京は陰湿な攻撃をする人が多い」というようなことを述べました。
一口に東京といっても、地方出身の人も多いわけで、気質がみんな同じということはないでしょう。片田氏がおっしゃったことを裏付ける研究データのようなものがあるのだろうか、と私は話を聴きながら疑問に感じました。
画面で片田氏を見ていますと、おそらくは美貌に対するコンプレックスのようなものをお持ちなのではないかと思いました。いみじくも、「羨望」をフランソワ・ド・ラ・ロシュフコー(1613~ 1680)がどのように定義付けしたかの話がありました。それによりますと、「他人の幸福を我慢できない怒り」を羨望とした、そうです。
もしかしたらですが、片田氏はそのような羨望を抱きつつ成長なさったのではないでしょうか。
番組の中でも、初めて会う檀蜜には、(女としての?)ライバル意識のようなものを持って収録場所へ来た、というようなことをお話されていました。片田氏のコラムにも、「壇蜜さんのあら探しをしてやろうと意気込んでいた」とハッキリお書きになっています。
しかし、目の前の檀蜜を想像していたより美しく感じたのでしょう。素直に「負けました」というようなおっしゃり方をしました。
片田氏のこのような考え方といいますか、行動のようなものからも窺えますが、『他人を攻撃せずにはいられない人』という本をお書きになった片田氏ご自身が、彼女自身がおっしゃる「迷惑な人」なのではないのかという印象を受けました。
おそらくは、そのあたりはご自身も自覚されているのでしょう。精神科医という職業を選んだ理由をおよそ次のように述べる下りがありました。
自分自身に何か病的なところとか、弱いところがあるんじゃないのか? そんなことを何となく感じていた。それで、精神医学や心理学を勉強すれば、そういうことがわかるかもしれない。自分を自分で治癒することもできるかもしれない。そんな幻想を抱いて精神科医を選んだということもあります。
私が考えるに、人間という動物の内面は複雑で、ひとりの人間の中に良いところも悪いところもない交ぜになった状態にあるように考えています。
ですから、常に他人を攻撃するだけという人もいないでしょう。ある人が、ある時は善人で、ある時は悪人になるというようなことが、複雑に繰り返されているイメージです。
私が、いわゆる「いい人」というのが信用できなかったりするのも、このあたりにつながる解釈からです。
片田氏は、ご自分のことを闘う精神科医とおっしゃっています。途中でも触れたように、主にネットで叩かれることがあり、そのときはそれに対する怒りをご自分の中にため込むことはせず、「売られた喧嘩は高く(? 喧嘩に高い安いがあるのでしょうか?)買う」そうです。
この発言にも、片田氏がお持ちになる攻撃性の一面が強く出ているように私は感じてしまうのですが、どうでしょうか?
片田氏はネットなどで振りかざされている「正義」が胡散臭く感じられ、それに対抗した気持ちをお持ちのようです。ただ、正義を各人の「価値観」に置き換えることで、対抗意識を弱めることはできないでしょうか。
誰に教わるでもなく、人にはそれぞれに価値観のようなものが育ち、それを基準にして森羅万象に対応しているように思われます。
その場合の価値基準は各人固有のもので、客見性というものはありません。ですから、どこまでいってもわかり合えないことが出てきても仕方ないように思うのです。
そのような各人が別々に持つのであろう「価値観」を片田氏が「けしからん!」といっているように感じられる部分があり、他者から理解が得られないことも起こるでしょう。
片田氏のコラムは今回初めて知りました。時には、片田氏のお考えが一般的な考え方からかけ離れていることで、ネット上で炎上してしまうこともあるのでしょう。
しかし、それが、片田氏の正直な思い、片田氏がおっしゃる「正義」で、片田氏の「価値観」に基づく結論なのであれば、他者がそれを一方的に「間違っている」とはいえなくなりそうです。
私も本サイトで思いついたことを書いていますが、これは私の価値基準によって結論づけたことで、その結論を他人がいい悪いで判断できるものではないだろう、と考えてもみます。
ときには、あるいはいつも、「イタい」ことを書いているかもしれません。そんなときは、一方的に攻撃するようなことは控え、生温かい目で見守っていただけたら幸いです。