2003/01/26 チェス界の伝説の男・フィッシャー

今日の朝日新聞社会面に興味深い記事があります。かつてチェスの王者として君臨した伝説的な男の話です。

男は名前をボビー・フィッシャー(Bobby Fisher)(59)といいます。

記事によりますと彼は「史上最強」といわれるチェスの名人だそうで、若干14歳で全米選手権に優勝し、その後同選手権で8連覇を果たしたそうです。

アメリカとソ連(現在のロシア)の二大国がある意味絶妙なバランスで冷戦状態にあった当時、チェスの世界では圧倒的にソ連優位の状態にあったそうです。そんな1972年、フィッシャー氏が大会に出場するや居並ぶ強敵を次々に打ち破り、ついにはチェスの世界王座に就いてしまいます。フィッシャー氏29歳の年です。それまで太刀打ちできずにいたソ連の選手を負かしたということで、全米でもてはやされところとなり、彼は一躍寵児に祭り上げられました。

しかし、今回の記事が面白いのはそのあとです。

まず、フィッシャー氏の人となりですが、身長は2メートル近くの大男で、眼光は鋭く、性格は気難しく短気、とあります。また大のマスコミ嫌いとして知られ、「自分のことを記者に話したら、友人でも絶縁する」と公言していたため、誰も彼のことは語りたがらず、人物像はますます謎めいたものになっていきました。

私個人の好き嫌いでいいますと、どこか歪な部分が感じられる人間には強い興味を抱いてしまいます。そういった意味では、この伝説的な男には大いに興味をそそられます。

凡人であれば、チェスの世界で頂点にまで上りつめ、アメリカ中から注目を浴びたとなればそれを大いに利用して露出度を上げることに励むでしょう。しかし、天才にありがちな行動を彼は採ります。

世界チャンピオンに就いたあとの1975年、タイトル防衛戦の対局をすっぽかし、そのままチェスの世界から姿を消してしまったというのです。

それから時が流れた1992年、フィッシャー氏は再び忽然と姿を現し、ユーゴスラビアで組まれた対局に臨み、見事勝利して300万ドルを超す賞金を手に入れました。

ところが当時のユーゴスラビアは経済制裁の対象になっており、その国で賞金を賭けた対局をした彼の行為を商行為とみなし、アメリカ政府は彼を「制裁違反罪」で起訴したのでした。

こうして祖国であるアメリカにも戻れなくなった彼は、己の姿を世間から消すことになるのですが、その彼が現在日本に滞在している、と記事は書いています。

そのことを証拠付けるように、東京・池上の私鉄沿線にある「CHESS CENTER」にはかつて1枚の絵が掛けられており、そこにフィッシャー氏直筆のサインが残されていたといいます。

その事情を尋ねた記者に、センターの受付の女性は、彼がその場所を訪れた際「自分のゲームだ」といって、対局の盤面を描いた絵に名前を書き込んだということです。ちなみに、現在同じ場所には、彼のサインが残された絵に代わり、映画『ハリー・ポッター』のポスターが掛けられているそうです。

いつ頃、なぜ彼がセンターに現れたのかについてセンター側は何も明らかにしていないようですが、今現在(新聞記事の取材が行われた2003年1月現在)も彼が日本にいることは確からしく、彼宛の郵便物の送り先も東京都内になっている上、彼のサイトやメールアドレスも日本のサーバを使っているそうです。

そんな史上最強といわれる彼が日本にいるのですから、さぞや日本のチェス関係者も彼に関心を寄せているのでは、と思いきや、冷淡ともいえるほど、彼には関心を示していないようです。たとえば首都圏でチェス・サークルの運営に当たっている人物からも「日本にいると聞いてももう昔の人。今活躍しているのは、彼が世界一になった時にはまだ生まれていない世代だ」と実に素っ気無い反応しか得られません。

そんな中、彼に強い関心を寄せる人物が日本国内にもいます。それは、日本の将棋界の頂点に立つ羽生義治竜王(2003年1月末現在)です。彼は次のようにフィッシャー氏を絶賛しています。

モーツァルトは生きている間の行動はほめられたものではなかったが、残した楽譜は素晴らしい。フィッシャーも、残した棋譜は素晴らしいものです。かなうならぜひ対局したい。

羽生氏自身も中学生でプロ棋士になり、25歳で7冠を獲得するというように、フィッシャー氏に重なるような人生を歩んでいます。それゆえに、彼の偉大さを誰よりも理解することができるのかもしれません。

またこれはあまり知られていませんが(少なくとも私は知りませんでしたf(^_^))、羽生氏は本業の将棋の傍ら、チェスでも国内2位にランクされていらっしゃるそうで、そこから「対局、云々」という談話につながったものと思われます。

謎のベールの向こう側にいるフィッシャー氏ですが、2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが勃発したその日、それ以前にインタビューをしたことのあったフィリピンのラジオ局幹部パブロ・メルカドという人物宛てに彼から一本の電話がかかってき、興奮した口調で次のようなことをまくしたてたそうです。

素晴らしいニュースだ! くそアメリカが頭をけり込まれる時がきたんだ! アメリカなんてくそ食らえ! オレは合衆国が壊滅するのが見たい! これは報いだ! アメリカに死を!!

彼の声は興奮で上ずり、時に声は裏返り、放送禁止用語連発で一方的にがなり続けたそうです。その裏には「オレほど一人でアメリカのイメージ・アップに貢献した者はいない。オレが世界一になるまでアメリカに知性的なイメージなんてなかっただから。それなのに今はもう用なしだよ。冷戦が終わり、奴らはオレをもみ消そうとしている」という積年の思いが彼の根底にあるためといえるでしょう。

これには後日談があり、この時の“暴言”はネットを通じてアメリカのチェス協会にも知られるところとなります。それまで彼を大目に見てきた理事からも「とんでもない。国家反逆罪にあたるかもしれない」とたちまち批難の声が挙がり、この“暴言”によって、協会は史上唯一のアメリカ人チェス世界王者の除名決定措置を下すに至っています。

ともあれ、稀有な才能を持つがゆえに波乱に満ちた生涯を歩んでいる伝説の男が、今この時も東京の片隅で姿を隠すように暮らしています。願わくはこのまま“真っ当な道”などくそ食らえ!」で、才能と共にその特異な性格をもって独自の道を歩んでいって欲しい、と願わずにはいられません。

間違っても、各界でそれぞれ“王者”になったあと、つまらないテレビのお笑いタレントに身を落とす日本のバカどものようにはならないように_。

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