4百年も前といえば、昔も昔、大昔です。そんな395年前の寛永3年8月末に始まる話です。
その時代、京の色町のひとつに祇園(ぎおん)がありました。この町は、今でも京都では名が知られ、今は代表的な観光名所といえましょうか。
その当時、京で公認の色町として認められていたのは、六条柳町(六条通|下京区)の遊女屋だけでした。そのほかに、祇園、西石垣、縄手、五条坂、北野がありましたが、これらはいずれも非公認の色町であったそうです。
色町として次第に力を持ち始めた祇園にある「花菱(はなびし)」という揚屋(あげや 遊郭)の賑やかな座敷を離れ、ひとりの女が、薄暗がりの欄干にもたれかかっています。
座敷からは賑やかな声が聞こえますが、女はその声が聞こえる耳を塞ぎたい心境でしたでしょう。居たたまれない気持ちで、裏の溝川(どぶがわ)から聞こえる蛙の声を聞くともなく聞いていました。
これは、岡本綺堂(1872~1939)の『鳥辺山心中』という話です。綺堂の作品全集を電子書籍版で持っており、折々に、綺堂の作品に接することをしています。
私は時代物は苦手としており、本作も綺堂の全集によって初めて知りました。ネットで検索すると、本作は綺堂によって歌舞伎のために戯曲化され、大正4年9月に本郷座で上演されたようです。
なるほど、これを歌舞伎仕立てにしたなら、見ものとなるであろうと思います。
私は筋立てを知らずに読み始めましたが、悲恋が心に沁みました。
冒頭で紹介しました女は、名をお染(そめ)といいます。歳は17になったばかりです。内気な女です。
生まれは京の六条で、父親の与兵衛は米屋を営む商人でした。父の商売が傾き、お染は、父がこしらえた借金のかたか何かでしょうか、色町の「若松屋」という遊女屋へ売られてたのです。
揚屋の花菱から声を掛けられたお染は、生まれて初めて客の相手をさせられることになり、不安と恐怖で押しつぶされそうになっていたのでした。
折も折、京の町は江戸から来た侍で賑わいでいました。三代将軍の徳川家光(1604~1651)が、後水尾(ごみずのお)天皇(1596~1680)の二条城行幸のため、家来を連れて上洛していたからです。
お染が呼ばれた座敷には、坂田市之助ら、若い江戸侍らが陣取り、酒を飲み交わしています。夜が更ければ、それぞれにあてがわれる遊女と、男女の営みをするという段取りです。
不安で押しつぶされそうになったお染は、誰に助けを求めることもできず、裏の暗がりで、涙に暮れるしかないのでした。
姿を影にして心細げにしていたお染は、不意に声を掛けられます。
「これ、何を泣く」
不意に声をかけられて、お染ははっとした。泣き顔を拭きながら見返ると、自分のうしろに笑いながら突っ立っている男があった。
「泣くほど悲しいことがあれば、おれが力になってやる。話せ」
お染は身をすくめて黙っていると、男はかさねて言った。
「いや、怖がるな。叱るのでない。何が悲しい、訳をいえ」
岡本 綺堂. 『岡本綺堂全集・242作品⇒1冊』 (Kindle の位置No.56101-56105). Kido Okamoto Complete works. Kindle 版.
不安に押しつぶされそうになっていたお染に助けの者が現れ、読者は心強くなります。
男は江戸から来た若侍で、歳は二十歳を一つか二つ出た程度です。酒の席でも口数は少なく、黙って酒を飲んでいました。
彼も将軍のお供で上洛している侍で、名前は菊池半九郎というのでした。
お染を憐れんだ半九郎は、自分が花代を払ってやるから、すぐに家へ帰れといいます。半九郎の好意はわかっても、自分がそれを受け入れることができないことを、年若いお染であっても知っています。
しかし、仲居を呼んで確認すると、幸いなことに、その日のお染の相手はその半九郎なのでした。天が救いの手をお染に差し延べた格好です。
それが縁となり、翌日から半九郎はお染を指名し、他の男から守ることをします。
それでも、話の題が『鳥辺山心中』です。逃れても逃れきれない命の定めが、二人には待ち受けています。それを知りつつ、読み進めずにはいられない作品に仕上がっています。
綺堂の作品は良いです。いつ接しても、心を酔わせてくれます。
関心を持たれたなら、綺堂の諸作品に接してみてください。