ヘヴン(リサ・ニルソン)

独特な作風で知られる棟方志功(むなかた・しこう)は、生前、このようないい方をしていたそうです。「わだは(私は)自分の作品に責任を持たない」。彼は自分を無責任だ、といっているのではないのだと思います。▼宗教の世界には“他力道”(「ウィキペディア>他力本願」)というのがあるそうですが、彼はまさにそれを実践していたのではないでしょうか。つまり、人間というものは本来ちっぽけなもので、そのひとりの人間が創り出せる作品もタカが知れている。従って、もっと大きな力、“他力”に自分をゆだねることによって初めて自分を超えた作品を生み出せる。そんな風な考え方かもしれません。▼「自分の言動には責任を持て」とはよくいわれることですが、責任を持とうとするあまり、結局当たり障りのないことばかりいっているのだとしたら、それはそれでつまらないことだ、とも思います。時には“他力”に責任をゆだねてみては_。

運命なんてどうにでもなる(リサ・エクダール)

いよいよ梅雨の季節となりましたが、今年の場合は、まだ割合良い天気の日が続いています。そんな梅雨空以上にスッキリとしないのは、佐藤さんをはじめとする、ジャイアンツ・ファンの心境ではないでしょうか。その点、私の場合は、ファンになったりアンチ・ファンになったりと気まぐれですから、いたって気楽なものです。▼佐藤さんは、不振の理由の一つに「勝つことを義務づけられた伝統チームのプレッシャー」を挙げていましたが、私が思うに、幸か不幸かジャイアンツの場合は親会社が大新聞社であることがいろいろな意味で影響しているのではないでしょうか。▼どの業界にもライバル争いというのはあるわけですが、それがマスコミであるために余計目立ってしまっています。下世話ないい方をすれば、“やっかみ根性”がジャイアンツの親会社以上のマスコミに感じられることがあります。

冬と炎と雪(ケイティ・マクマホン)

リクエスト曲の日本語タイトルを見て、とっさにターナーのある1枚の絵を連想しました。『雨、蒸気、スピード』という絵です。▼ターナーは19世紀のイギリスの画家で、この作品は1844年といいますから、彼が亡くなる7年ほど前、ちょうど今から150年前に描かれたことになります。▼それにしても、今観ても斬新なこの絵を当時の人たちはどのように観ていたのでしょうか。伝統を重んじた当時の評論家はターナーの一連の絵を観て、「石けん水や卵の黄身、ホウレンソウ、クリームにチョコレートなどを適当にカンヴァスに投げつけたようだ」と酷評したともいわれています。▼ターナーは1度目にした光景を何年も経ってから細部に至るまで思い出すことができたといいます。そのことからこの一見抽象画のような絵も、以前見た現実の光景を“超リアル”に表現していることになります。

NATURE BOY (ヴィクトリア・ウィリアムス)

日進月歩といういい方がありますが、コンピュータをはじめとするテクノロジーの進歩のスピードは“時進日歩”(?)、あるいはそれ以上かもしれません。ですから、関心を持っていないと追いつけなくなりそうです。▼ところで、インターネットでラジオ番組を聴けるというのはご存じでしょうか? 私は聴いたことがないというか、まだインターネットそのモノを利用したことがない(-_-; のですが、何でも、世界中のラジオ番組が楽しめるという話です。NHKのFMがそうしたサービスを提供しているのかどうかわかりませんが、もししているのであれば、国内はもとより、世界のどこにいてもこの『サンセット・パーク』を聴けることになります。▼ラジオでできるのですから、近い将来、テレビでも同じことができるようになるのでしょうか。良くも悪くも、放送の世界が大きく変わりそうですネ。(便利さと危うさの同居?)

音を立てずに(ファビオ・コンカート)

初めて、ワープロを使ってリクエスト・カードを書いてみました。パソコンは、使い始めて2カ月足らずですが、とてもデリケートな機械で、泣かされる(?)こともしばしばです。私の場合でよく起こるトラブルといえば、“起動”のトラブルです。テレビなどでは、スイッチを入れても画面が映らないということはまずありませんが、パソコンではそうしたことがたまにあるのです。▼そうなる原因はあるのでしょうが、素人には皆目分からないからやっかいです。説明書には「画面が止まっているように見えても、正常な処理が行われている場合があるので、電源は切らないでください」などと書かれているため、はじめの頃は素直に(?)暗い画面を呆然と見つめていました。今ではその辺はズルくなって、ダメだと思ったらさっさとスイッチを切ったりしていますが。もしかして、それがトラブルの原因だったりして_。


【訂正】これまでに何度もワープロでハガキを書いていながら、「初めてワープロを使ってリクエスト・カードを書いてみました」なんてことを書いている。何とも単純なミステークをしているなァ。

PARIS SKY (ケイト・セント・ジョン)

佐藤さんが放送の中で「以前は10代の人からのリクエストが多かった」というようなことを話していましたネ。必ずしもそうではなかったし、現在でもそうではないと思いますが、一方、ある一定の歳になると音楽を聴かなくなることも確かで、個人的には、もったいないことだと思います。▼野見山暁治という画家がこんなことをインタビューで答えています。「人間は自分で見ていないものは描けない」(産経新聞『アート』5/2)。確かにそうですね。よく想像力といいますが、ひとりの人間が想像できることはたかが知れていて、結局はそれまでに見た映像の範囲内でしか想像していないのです。そうであるからこそ、逆に映像を自分の中に蓄える必要性を強く感じるのです。そんなわけで、一応(?)絵を描く者のひとりとして、私も様々な映像や音楽などをせっせとため込むようにしているのですが_。▼話がそれてしまったかもしれません。要は、いつまでも子供のような好奇心が大切だ、ということとを主張(大げさな!)したかったわけです。

LIKE SONEONE IN LOVE” (ビョーク)

4/28の前半は、さしずめ、千葉県人の千葉県人による千葉県人のための放送のよう(?)でしたネ。まず、パーソナリティの佐藤さんと選曲の東さんが千葉の人。続いて、リクエスト曲が4曲続けて千葉県内から。とどめ(?)として、観光案内までもが千葉県の方。そんなこんなで、千葉県内向けの放送を聴いているような錯覚にとらわれてしまいました。何はともあれ、これからも“千葉県パワー”全開でがんばろー!?


今回リクエストした曲が収められたCDのブックレット(というのかナ?)の対訳者の表記もそうなのですが、最近、ローマ字で日本人の氏名を書く場合の書き方が変化してきているように思いませんか?具体的には、これまでとは書き方が逆になって、姓・名の順に書かれたものを見かけることも多くなったように思うのです。個人的には、このほうがより自然でいい、とは思ったりしているのですが_。

TWO SHOOTING STARS”(ジェイニー・クルーワー)

洋楽・邦楽といういい方についてですが、私も佐藤さんと同じように、あまり適切だとは思わないのですが、便宜上使っています。また、音楽というものは、そもそもこのように分ける必要はないのだとも考えます。ただ、これも便宜上仕方がないのかもしれません。▼私だって日本の曲も聴きますヨ。(当たり前!)最近では、小島麻由美の『ふうせん』というCDを買いました。NHKの『みんなのうた』で流れている曲です。アレ、アニメーションも彼女の作だそうで、才能を感じますネ。ちなみに、このCDにはカラオケも入っているのですが、私にはちっとも歌えません_▼私は気に入った曲があったら、なるべくCDを買うようにしています。そのアーティストの次のアルバムも聴きたいからです。

YOU TAKE ME AWAY(ヴァージニア・アストレイ)

日本の曲云々で“議論“になっているようですネ_なんて書いたら他人事みたいですが、これについては議論の余地というか、選択の余地はないのだと思いますヨ。なぜなら、金曜日は洋楽をかける曜日だからです。▼佐藤さんは、パーソナリティーであると同時に、プロデューサー兼ディレクター的立場(?)なのでああいった発言が出たのかもしれませんが、やはり個人的な趣味とお仕事でかける曲は別にすべきでしょう。お好きな歌謡曲はプライベートな時間に充分に楽しんでいただくことにして、一週間の内の50分間だけは洋楽にお付き合いいただくというわけにはいかないでしょうか? 以前、日野直子さん(かつてFM『あさのバロック』を担当)が洋楽の担当になった当初にも似たようなことがあって、必死に‘抵抗’したことを思い出しました。(なぜに、金曜日だけがこんな“事態”に_)