個々人が楽しんでいることを、他者が否定することはできません。
朝日新聞に「声」という読者から寄せられた投書を紹介するコーナーがあります。本日、そのコーナーに「レコード店巡りがマイブーム」という60歳代男性の投書がありました。
その男性はここ数年、中古レコード店巡りを楽しんでいるそうです。そこで、小中高時代によく聴いたアナログのLPレコードに出会ったりすると、とても幸せな気分になるそうです。
そのようにして手に入れたLPを家に持ち帰り、部屋に飾ったり、針を落として聴くのが、男性にとっては至福のときとなっているのでしょう。
こうした行為を否定できる人はいません。
このことは本コーナーで書いたばかりですが、ネットの動画共有サイトYouTubeなどを見ると、デジタルに比べてアナログの音は劣り、アナログレコードにお金をかけるのは無駄と指摘する動画が目に飛び込んできたりします。
そのような動画を配信する人も、「声」欄に投書した男性のように、アナログレコードとその人なりの付き合い方をする人を否定しているわけではないでしょう。
デジタルとアナログの音を比較する人は、物事に厳密な傾向を持ち、数値を測定し、その結果を示しながら、事実を事実として示しているだけなのだろうと思います。
ただ、このことを自分なりに取り上げた投稿でも書いたように、耳で音楽を楽しむことは、数値では表せない心理効果が加わっていることも否定できないのではと私は考えます。
投書を寄せた男性は、音の良し悪しを追及するのを目的とされていないと思われます。
男性は、昔に聴いた音楽を、今の年代になった今、数少ない楽しみのひとつにされているのではないでしょうか。投書では、今の年齢だからこそ味わえるような幸福な体験の必要性を書いています。
結びの部分では、ささやかな楽しみが持てることに感謝し、大切に、飽きないように、付き合っていこうと思っていると綴っています。
男性は、中古レコードから聴こえてくる音を次のように書いています。
何とも言えない、やわらかく懐かしい音が、ノイズといっしょに耳に飛び込んでくる。
アナログの音に厳しい考えを持つ人は、アナログの音が柔らかいという意見には耳を貸さず、それは、心理作用によって、柔らかく聴こえているだけというかもしれません。
その人が持つ心理作用を、数値によって表すのは難しいように考えます。
このことは、昔、本コーナーで書いたことがあります。
私は、ある昼下がり、部屋にいるとき、隣の家のほうから、パンパンという音が聴こえてくることがありました。干した布団をしまう前に、布団を叩く音です。
前にはその音をうるさく感じたこともあったかもしれません。しかし、そのときは、懐かしい気持ちになりました。
その音を聴いたときには、私の母が亡くなって何年も経っていました。母は私が中学のときに失明して全盲だったので、布団をしまうことも、布団を叩くこともしていません。
しかし、布団を叩くパンパンという音を聴き、母が懐かしく思い出されたのです。
人の心理作用というのは、論理的には説明できません。その心理作用によって、懐かしさに包まれることもあるということです。
音楽を聴くときも、現実の音とは別に、説明できない心理作用が働くことで、幸せな気分になることがあるでしょう。
私がいいたいのはそういうことです。