1カ月前の本コーナーで、ブログの文化が消えつつあるとされることを書きました。
私としては、それを提供するサービスがどれほど廃れようとも、これまでどおり、何も変わらずに今後も、活字による発信を続けていくつもりであることを書き添えました。
その更新で、後の世に貴重なブログであれば保存の必要性があることが触れられています。私はそれに関連して、映像であれば、普通の個人が撮った、そのときは取るに足らない内容であっても、後々は貴重になることもあるのではないかと書きました。
本日の朝日新聞に、江戸川乱歩(1894~1965)が、おそらくは自分の楽しみのために撮影した映像の貴重さについて書かれた記事が載りました。
その取材を受けたのは、近現代の演劇を研究されている後藤隆基氏です。
乱歩は引っ越し魔として知られています。生涯で46回も引っ越しをしたとされています。その乱歩が後半生の約30年間暮らしたのが、立教大学となる敷地に隣接する家と土蔵です。
今は、乱歩が暮らした家と土蔵を立教大学が譲り受け、2006年には、乱歩が残した資料を管理、研究する目的ででしょう、そこが「大衆文化研究センター」になっています。
乱歩宅の土蔵は、まさに豊かな鉱脈が眠る「宝の山」で、その方面の興味を持つ人には、汲めども尽きない底なしの井戸のようなもののようです。
演劇の研究を専門とする後藤氏が、乱歩の残した、おそらくはプライベートの16ミリフィルムに着目されたことが朝日の記事になっています。
乱歩がカメラやレンズに強い関心を持っていたことは知られています。当時のことですから、8ミリ映画はまだ登場していなかった(?)でしょうか。
乱歩は動く映像にも興味を持っていたようで、16ミリカメラで映像の撮影を楽しんでいます。
先の大戦の前までの乱歩は、人嫌いの傾向が強く見られました。そんな乱歩が、戦争中、周囲に暮らす人々と交わざるを得なくなったことによってか、他者との交流を逆に好むように変わります。
私個人は、人嫌いの頃の乱歩に親しみを持つため、社交的になってしまった乱歩には、いささか、残念に思うところがあります。
名士のようになった乱歩はテレビ番組にも出演するようになり、交際の範囲も広がっていったのでしょう。歌舞伎俳優の十七代目中村勘三郎(1909~1988)とも深い親交を得たようです。
その勘三郎を16ミリフィルムで撮影した映像に、演劇を研究する後藤氏は強い興味を持たれています。
今回の記事で私は知りましたが、勘三郎は1955年に大病を患い、再起が危ぶまれたことがあったそうです。勘三郎はその大病を乗り越え、翌年の7月に復帰を果たしています。
それに先立ち、帝国ホテルで全快祝いのパーティが開かれますが、そこへ乱歩が16ミリカメラを持参して参加したというわけです。
会場には、勘三郎夫妻を中心に、当時の俳優や文化人が集まりました。その模様が、乱歩がモノクロの16ミリフィルムで撮影したことで、貴重な映像になっているというわけです。
乱歩は、勘三郎の復帰公演を、16ミリカラーフィルムで、客席の1回から撮影しているそうです。
そればかりか、歌舞伎座の楽屋で化粧する様子も撮影しているそうで、これは貴重な映像になるでしょう。
別の歌舞伎俳優が化粧する様子を、昔、NHK総合で見たことがあります。とても興味深いものでした。
映像が持つ資料という話では、昔にラジオで聴いた話が思い出されます。
作家の胡桃沢耕史(1925~1994)が、資料という意識をまるで持たずに製作された商業映画は、映像による貴重な資料だと話されていました。
ロケで撮影されたフィルムには、その当時の風景や風俗がそのまま定着されています。それを、資料という観点で見ると、映像資料の宝庫に感じられるだろうという意味です。
そういうことでいえば、普通の個人が撮影した映像フィルムにも、撮影した当時にしかなかった風景や風俗が必ず定着されています。どんなに高価な機材を使っても、あとになっては、決して得ることが出来ない資料です。
私がNHK総合で放送された過去の「新日本紀行」に興味を持つのは、過ぎ去りし日本の姿がそこに写っているからです。
このことは常に現在進行形です。今現在撮影する写真や動画にしても、数十年後には、どんなつまらない写真や動画であっても、貴重な資料になる可能性を秘めているといえましょう。
将来の資料になると思って撮っているわけではありませんが。乱歩にしても、道楽として撮影した映像であったのだろうと思います。
