朝日新聞に「語る 人生の贈りもの」というコーナーがあります。そこからの話題を本コーナーで取り上げたことがあります。
そのコーナーでは、各界の著名人をひとり取り上げ、その人にまつわる話を連載で紹介します。今年に入って紹介されているのは由紀さおり(1946~)です。
昨日と今日は、由紀さおりの代名詞ともいえる『夜明けのスキャット』(1969)にまつわる裏話が書かれており、興味深く読みました。
由紀さおりの芸名に決まった背景についても書かれています。
芸名をつけるにあたり、『夜明けのスキャット』の作曲をしたいずみたく(1930~1992)は、由紀の色が白いことから、「雪」というのはどうかと提案したそうです。
これに反対意見がなければ、「雪〇〇」に決まったことでしょう。
いずみの提案を聞いた由紀の母が次のように反対意見を述べたそうです。
雪は溶けて無くなるから、この業界(芸能界)向きじゃない。
なるほどですね。由紀の母親は只者ではないですね。「ゆき」の語感の良さは活かし、「由紀」の字をあてたそうです。
下の「さおり」は、夏の着物の「紗」にちなんでつけられたとのことです。なんでも、由紀の母は着付けの学校へ通い、自分で着付けの教室を持ったりしたので、着物とは縁が深かったといえましょう。
『夜明けのスキャット』は、ラジオ番組のテーマ曲として作曲されています。「夜のバラード」(1966~1971)という番組で、明治製菓が番組スポンサーでした。
その曲に歌詞はついておらず、はじめから、スキャットにしようと決められていたそうです。当時公開されたフランス映画に『男と女』(1966)があり、「シャバダバダ」というスキャット形式のテーマ曲が一世を風靡していました。
それを吹き込む当日にメロディの楽譜を渡され、いずみからは次のようにいわれます。
ルーでもアーでも何でもいいから、歌詞をつけて歌ってみてくれ。
ここで、咄嗟に歌えないシンガーがその音楽を受け持ったら、今に残る『夜明けのスキャット』は生まれなかったでしょう。
由紀はいずみの期待に、期待以上に応え、2回ぐらい謳っただけで、あっさりOKとなったそうです。
由紀によるスキャットの新テーマが1968年にオンエアされます。すると、それを聴いたリスナーから、「誰が歌っているのか」といった問い合わせのハガキが、毎週、段ボール箱1箱分ぐらい局に届いたそうです。
反響の大きさを知ったいずみは、早速、レコードにすることを思いつきます。
当時は、自分の音楽出版社で原盤を作り、レコード会社に持ち込み、そこで採用されればレコードになるといった手法がようやく始まった頃でした。
しかし、本曲は、由紀のスキャットだけで、歌詞が出てこないので、どのレコード会社へ持って行っても、「キワモノ」の扱いで、相手にしてもらえませんでした。
そんな中、最後に持ち込んだのは東芝音楽工業(EMIミュージック・ジャパン)でプロデューサーをしていた高嶋弘之(1934~)でした。というのも、高嶋は、1967年に、ザ・フォーク・クルセダーズの『帰って来たヨッパライ』を担当し、その「キワモノ」的な曲を大ヒットさせた実績を持っていたからでした。
いずみの持ち込んだ由紀のスキャット曲を原盤で聴いた高嶋は、「こういう高く澄み切った音楽はなかなかない」とおもしろがり、レコード化が決まります。
作詞家の山上路夫(1936~)に2番の歌詞をつけてもらい、由紀さおりの『夜明けのスキャット』がレコードになって、世の中へ出て行き、ミリオンセラーになったというわけです。
1969年に発売されたレコードのジャケットには、「日本初のスキャット・ヒット!!」の宣伝文が踊っています。
