今のテレビ界を象徴する漫画家の死

漫画の神様といわれた手塚治虫19281989)が、テレビアニメを嫌っていたことはご存知でしょうか? たしか、そういう態度であったと記憶しています。

日本のテレビアニメが手塚の「鉄腕アトム」で始まったことを思うと、逆のような気もするかもしれません。しかし、手塚はテレビアニメを嫌っていたのです。

理由は何となく理解できます。

日本のアニメの長寿番組に「サザエさん」があります。これも、作者の長谷川町子19201992)はどんな風な思いを持っていたでしょう。

原作とテレビアニメは似て非なるものです。

長谷川町子が残した「サザエさん」の原作が4コマ漫画であることを知る若い「サザエさん」ファンはどのくらいいるでしょうか? 私は「サザエさん」のテレビアニメは見ないのでわかりませんが、ほとんどは、原作にはないことが描かれているのではありませんか?

ひとつの話は4コマの1コマ目で始まり、起承転結を経て、4コマ目で終わります。どう考えても、そこから、CMの時間も含めて30分弱の番組が作れるとは思えません。

「サザエさん」を名乗るテレビアニメは、原作の「サザエさん」の登場人物をキャラクターに仕立て、勝手に物語を作っているのです。

手塚の「鉄腕アトム」にしても、同じことがいえるでしょう。アトムの生みの親の手塚は、アニメのアトムが「いい子」に描かれ過ぎるのを不満に感じていたそうです。

漫画がアニメになれば、それを基にした商売が生まれます。「いい子」のアトムの方が商売上はやりやすかったということでしょう。

要するに、作家が生み出したものが、商売の名のもとに、本質とは違うものに換えられてしまうということです。このことに手塚は反発し、日本のテレビアニメを嫌ったのだと思います。

このようなことを書いたのは、女性の漫画家が、自分の書いた原作をドラマ化したことで起きた問題がおそらく原因となって、自殺したことが報じられたからです。

これを報じるマスメディアにも問題があるように感じます。女性漫画家の芦原妃名子19742024)が「急死」とだけ書き、「自殺」と書かないのはなぜでしょうか。

今はまだ「自殺」と断定できないということなのかもしれません。それでも、遺書と採れるようなものが発見されているということで、限りなく「自殺」のように思われます。

その引き金になったのは、芦原の漫画『セクシー田中さん』を日本テレビがドラマ化し、昨年10月22日から12月24日まで、10話にして放送しています。

私は芦原という漫画家を今回の報道で初めて知りました。私は基本的に日本のドラマを見ないため、芦原原作のドラマも見ていません。

このドラマ化を巡っては、制作する日本テレビに、芦原が原作に忠実であることを求め、それが変更されるようなことがあれば、加筆修正することまで求めていたようです。

そこまで要求しておいたにも拘らず、放送されたドラマは、原作者の芦原が見るに堪えない出来だったのでしょう。

芦原は居ても立っても居られなくなったのか、第9話と最終話の第10話を、芦原の脚本でドラマ化させています。

昨今は、日本のテレビ局のネタ不足が原因しているのか、漫画が原作のドラマを安易に作っているように思います。その漫画を原作にするにしても、原作が持つ世界観のようなものを無視し、脚本家が安易に脚本にしてしまう傾向が強いということでしょう。

年初にテレビ朝日が開局65周年を記念して、松本清張19091992)の短編小説『顔』1956)をドラマ化して放送しました。

それを録画して見ましたが、非常に出来が悪かったと本コーナーで取り上げました。あのドラマの脚本を書いた女性脚本家は、今も、あのドラマの「問題点」に気がついていないのでしょうか。

今は、女性の脚本家が増えました。それぞれに才能を持つのでしょうが、それが活かしきれていないように感じます。

そもそもが、小説や漫画を原作としてドラマを作るのであれば、原作に忠実であるべきです。

私は昨年、アーサー・コナン・ドイル18591859)原作の『シャーロック・ホームズシリーズ』を英国で制作されたドラマで見ました。

ドラマはどれも、ほぼ、原作に忠実にドラマ化していました。

清張の『顔』のように、作品が発表された当時と時代が違い過ぎると考えるのであれば、現代に舞台を移してドラマ化するのではなく、ドラマ化を諦めるべきです。

小説は、小説家が書いた小説として完結しています。それ以上の想像物はありません。漫画も同じことがいえるでしょう。

ドラマや映画を作るのであれば、オリジナルの話を作り、それを映像化すべきです。それでこそ、自由に映像作品を作ることができます。

登場人物も舞台も、話の飛躍も、脚本家の頭の中で自由に描くことが出来ます。それが映像化されたとき、脚本家はこれ以上ない喜びを味わうでしょう。

もしも、手塚治虫に一本の映像作品を依頼したら、自分が過去に書いた作品を映像化しないのではないでしょうか。

手塚は晩年、漫画にするネタであれば、バーゲンセールをしたいほどあると、NHKが手塚の制作現場に固定カメラを据えて作ったドキュメンタリー番組の中で語っています。

あと40年(100歳)は描きますよ、僕は。アイディアだけは、もうバーゲンセールしてもいいぐらいあるんだ

手塚には漫画化や映像化したいストーリーを、漫画の執筆が追い付かないぐらい持っており、映像化のための話など、ポンと簡単に差し出すことができたでしょう。

その一方で、テレビ局や映画会社は、作品化する基の話に枯渇し、手当たり次第に、目についた原作に手を伸ばすありさまです。

そして、漫画をドラマ化するにしても、脚本家が勝手な解釈で書き、今回のような悲劇を生みます。

ドラマにするネタがないのであれば、無理にドラマを作る必要はありません。放送枠に穴が開けば、その時間帯は放送を休むぐらいのことがあってもいいでしょう。

今の時代、テレビ番組を見る人は昔に比べて圧倒的に少ないです。

私もテレビ番組はほとんど見ません。テレビニュースは見ません。ワイドショーやバラエティ番組はいうまでもありません。NHKの看板番組であろう「NHKスペシャル」も見ません。

テレビ番組を見ない人が多いのが現実なのですから、無理して番組を作らなくてもいいです。

馬鹿々々しい新コロ騒動では、テレビのワイドショーが連日煽ったことで、恐れる必要がまったくないのに、大半の国民が新コロウイルスとやらを恐れました。

新コロウイルスに限らず、ウイルスというものはこの世に存在していません。

テレビはどれだけ人々を不幸にするのですか。

芦原が「自殺」であることがわかったなら、ワイドショーでもそれを速やかに伝えることをしてください。それぐらいのことならできるでしょう。

それもできない? それなら、もう、テレビなどいりません。自民党の派閥解消を求める前に、テレビ局を解散してください。