先日の本コーナーでは、22日まで池袋の新文芸坐で開催中の「社会派映画特集」について書きましたが、昨日はかねてよりどうしても見ておきたいと思っていた作品を見るため、新文芸坐へまた足を運びました。
昨日のプログラムは『さようならCP』(1974年疾走プロ)と『ゆきゆきて、神軍』(1987年疾走プロ)で、いずれもがドキュメンタリー作品で、共に監督は「ドキュメンタリーの極北を行く」と評される原一男(1945~)です。
当劇場は自動販売機でチケットを購入するシステムになっていますが、昨日、私は自販機へは向かわずに受付へと向かいました。当劇場が募集している友の会に入会するためです。1年間有効の入会金は2000円で、購入時に1回分の招待券がつきます。なお、当会に入会することで有効期間中は通常料金1300円が1000円に割引されます。つまりは、入会金そのものは実質的には1000円ということになり、入会時の招待状をそのまま当日券として使ってかねてから見たいと思っていた作品を見ることになりました。
その『ゆきゆきて、神軍』について書く前に、同時上映された『さようならCP』についても書いておくことにします。
先ほども書きましたが、これもドキュメンタリー作品で、原一男の第一回監督作品だそうです。作品はモノクロームで、始まってすぐに見客は奇妙な光景を見せられることになります。
一人の男が、身体を激しく動かしながら懸命に横断歩道を渡っているのです。彼は立つことができず、地面に四つん這(ば)いになり、両腕と動かない両脚の膝とを使って何とか前へと身体を進めています。
身体の激しい動きで縁(ふち)が太く度の強そうな眼鏡は飛び、それを拾い直しては信号が赤に変わる前に向こう側へ渡るべくもがき続けます。信号待ちをしている他の健常者は奇妙な生物でも見るように冷ややかに彼を見つめます。
画面にはインタビューに答える彼の言葉がかぶさりますが、ハッキリいって何をいっているのかほとんど聴き取れません。そのことで彼の心の叫びは獣の悲痛な叫びに変わり、画面の印象を一層強めることになります。
私はこの作品を見るまで、「CP」の意味を知りませんでしたが、「Cerebral Palsy=脳性麻痺」を意味するようで、同じ障害を持つ若者たちの姿を記録したのが『さようならCP』です。
彼らは障害を持ちながらも家に閉じこもることなく、むしろ積極的に自分たちのありのままの姿を他人の目に晒していきます。彼らは都会の駅前に立ち、自分たちを理解してくれるよう拡声器で通行人に呼びかけ、寄付を募ります。
カメラは寄付をする一般健常者の姿を捕らえ、音声では「なぜ寄付をしたんですか?」と問いかけ続けます。
現代の小綺麗なドキュメンタリー作品を見慣れた目には、16ミリフィルムで傷だらけ、ゴミだらけのモノクローム映像は汚く、音声も画面とシンクロしていません。それでもなお、いや、それだからか、現代のドキュメンタリー以上に見る者に迫ってくる「何か」が感じられます。
監督の原一男は、通り一遍の「障害者もの」とは一線を画すように、タブーともいえるような彼らの性生活についても切り込んでいきます。
彼らはカメラの前で、自分は何歳で童貞を捨てたか。その時どう感じたか。性についてはどんな考えを持っているかを正直に語ります。
それを見せつけられる一応健常者の見客はこの作品をどう受け止めるべきなのか。自分の中の欺瞞(ぎまん:人目をあざむき、だますこと=広辞苑)の度合いを試されているようで、落ち着かない気分になってきます。
私自身に関していえば、私の亡母が中途失明の全盲であったため、少しは障害者についての理解はあると思っていますが、それでも確実に自分の中にも欺瞞はあり、最後まで居心地の悪さを感じ続けました。
続いてはいよいよ『ゆきゆきて、神軍』について書くことにします。原一男監督によるこの作品は以前から題名だけは耳にしていましたが、実際に見るのは今回が初めてです。
映画が始まってすぐ、画面は祝言(しゅうげん:婚礼=広辞苑)の場面が映し出されます。婚礼とはいってもごく身内だけによるもので、おそらく新郎の実家であろうと思われる民家の一室で行われます。
その席でよく通る声で挨拶をする男がいます。彼こそが当作品の“主人公”である「奥崎謙三」(1920~2005)です。声が通るというのは、彼が自分の話すことに自信を持っているからで、その自信が世間に波風を立てているのでした。
彼は型破りな挨拶を行い、新郎は神戸大学卒の前科者であると紹介します。新郎は反体制運動に身を投じ、牢獄にぶち込まれたことがあるようです。そして続いて、自らの前科を半ば誇らしげに披露します。
不動産業者の殺害でまず十数年の独房生活。さらには昭和44(1969年)年1月2日、皇居で例年行われる一般参賀において、バルコニーの昭和天皇目がけてパチンコ玉を発射し、その場で取り押さえられて牢獄行き。
それでも懲りずに、天皇の図柄を使った猥褻ビラを配ってまた逮捕。それら全ては、「反体制活動家」としての活動の一環であるようです。
その酔狂ともいえるようなひとりの男の行動を原一男自身が構えるカメラが追い続けます。
彼の移動手段は自家用車ですが、その屋根には四角く囲むように大きな看板が取り付けられており、そこにはデカデカと「田中角栄(1918~1993)を殺す」と書かれています。彼はその車を自分で運転して、その日も東京の皇居を目指します。
彼は拡声器を通して、昭和天皇の戦争責任を鋭く追及します。彼は自らの行動を「神の法」に基づいて行っているもので、現在の国の法律で自分を裁くことはできないと主張します。
騒ぎを知って駆けつけた警察官が彼の車を取り囲みますが、彼の「説法」はそのことによってさらにエスカレートし、取り囲んだ警察官を罵倒し続けます。
貴様らは、金をもらって雇われているロボットに過ぎない! 私は神の法の下に信念を持って行動しているんだ! 金のためだけに動いている貴様らに私が負けるわけがない!
彼は太平洋戦争中、一兵卒としてニューギニア(パプアニューギニア)戦線で戦い、命からがら戦地から復員した経験を持っているようです。そのニューギニア奥地における日本軍の戦いは究極的な極限状態に陥り、奇跡的に生をつないで日本に帰ったかつての部隊の上官を奥崎は訪ねていきます。これまで表沙汰にされなかった部隊での銃殺事件の真相を探るためです。
奥崎の突然の訪問を受けたかつての上官は恐怖に戦(おのの)きながらも、カメラが回っている手前、ぼそぼそと当時の話を奥崎に語り始めます。しかし、彼らは一様に奥歯に物が挟まったような話し方で、「真相」の周辺をのらりくらりと回ってみせることに終始します。
気の荒さにおいてはおそらく天下一品の奥崎は、瞬間湯沸かし器(しゅんかんゆわかしき:怒りっぽい人をひやかしていう語=広辞苑)の如くに怒りがたちまちの内に沸点に達し、気がつけば相手に馬乗りになって暴力を振るってしまう有様です。
訪問を受けた家の家族は驚き、懸命に奥崎の暴力を止めに入ります。
奥崎は警察権力を少しも恐れず、「警察を呼びたいなら呼べ!」と叫び、家族が呼ばないと自ら110番して、警察を呼んでしまいます。
こうした場面では見客から思わず失笑も。
彼は自分自身の暴力を全く否定しないばかりか、逆に「これからも世の中を良くすると自分が判断したなら、私は迷わず暴力を振るい続ける」と「宣言」までします。
それはともかく、戦後になってから明らかになってきた上官の命令による銃殺事件(終戦後23日目に発生した「殺人事件」だが、遺族には「戦病死」の処理で済ます)ですが、最初の内は銃殺の事実を認めつつも「逃亡を企てたから」としていたものが、次第に真の理由が透けて見え始めます。
当時、4キロ四方に封じ込まれた1万数千人の日本軍は飢えにもがき苦しみ、「人肉を食べて生き延びていた」事象が確かにあったようなのです。
当作品の撮影当時、兵庫県神戸市内の長田区(阪神・淡路大震災で大きな被害を出した地区)で飲食店を営んでいたかつての衛生兵は、その人肉を「黒ブタ・白ブタ」という「隠語」で明らかにしました。いうまでもなく、黒ブタというのはニューギニアの原住民の人肉のことで、白ブタは白人の兵隊の肉のことです。
奥崎は、黒ブタ・白ブタに限らず、日本兵も肉にして食べたのではないか、とかつての上官に迫ります。彼らは奥崎の迫力に圧倒されつつ、しかし、時に涙を流してでもその場を何とか凌ぐことに専念します。
奥崎は奥崎でどこまでも追及の手を緩めることなく、狂人のごとくに突き進んでいきます。
そんな彼にさすがの原一男のカメラもついに最後までは付き合いきれなくなったのか(あるいは、実際には撮影できているものの、編集段階でカットされたか)、「決定的」な場面は映されず、字幕によって、奥崎がかつての上官の息子を銃で撃ってまた牢獄送りになった事実だけを伝えて終わります。
そのクライマックスこそスクリーンで見てみたかったのですが、さすがにそれは無理な注文というものでしょうか。
良くも悪くも奥崎という人物は強烈な個性の持ち主で、それがこの作品を支える全てといっても過言ではありません。
今現在、原一男は次の作品の構想を持っているのかどうかわかりませんが、原をこれほどまでにのめり込ませるような“魅力”を持った人物が現代社会に存在しているのかどうか、それが気がかりではあります。
僭越(せんえつ:自分の身分・地位をこえて出過ぎたことをすること。そういう態度。でしゃばり=広辞苑)ながら私がひとり候補を挙げるとすれば、2001年6月8日に大阪府池田市の小学校で児童8人を殺し、28日にも判決を迎える宅間守(1963~2004)に取材し、犯行までのいきさつを描いてみるのも意味がなくはなさそうです、が_。
ともかくも当作品を見終わった今、私の脳裏には赤いジャンパー姿の奥崎謙三の姿が強く焼き付き、耳の奥には彼の激しい語気が残ったままです。当分は消えそうにもありません。