つげ義春を追悼した寄稿を読んで

先月はじめ、一人の偉大な漫画家がこの世を去っています。その漫画家とは、「つげ義春」です。

私は、つげのことは知りません。つげの漫画も読んだことはないです。しかし、つげが、多くの表現者に大きな影響を与えたことは、あとになって知りました。

たしか、蛭子能収さんもつげの漫画が好きで、影響を受けたということだったと思います。

つげが亡くなったのは先月3日です。しかし、朝日新聞がそれを朝刊で初めて報じたのは、先月28日になってからでした。

それまで、つげの死が知られなかったのか、それとも、親近者がそのように依頼していたのでしょうか。

先月28日に朝日がつげの訃報を伝えたあと、昨日、美術史家の山下裕二氏による、つげへの寄稿を朝日が載せています。

「二六時中」を知っていますか?

「二六時中」という表現、使ったことがありますか?

先ほどまで、阿刀田高が昔に書いた短編小説を読んでいました。その中に「二六時中」というのが出てきました。私は「四六時中」なら知っていましたが、二六時中というのは聞いたことがなかったように思います。

そこで、本を読むのを一旦やめ、GoogleのAI Geminiに、そのことを訊いたことで、江戸時代の時間のあり方や、岡本綺堂が書いた『半七捕物帳』における半七の役割についての話などを教えてもらったので、共有します。

まずは、「二六時中」についての、Geminiの回答から見ていきましょう。

「二六時中(にろくじちゅう)」という表現は存在します。意味は「四六時中」とまったく同じで、「一日中」や「常に」を表します。

結論から申し上げますと、現代で一般的なのは圧倒的に「四六時中」です。

『耳袋』を知っていますか?

岡本綺堂の短編小説に『池袋の怪』があります。読んだことはありますか。

話は、安政の大地震の翌年に起きた事として始まります。このことから、長く続いた江戸時代後期のことが書かれているのがわかります。

その頃に、武家の屋敷で、怪異なことが次々に起きたとされています。

たとえば、麻布にあった某藩邸では、カエルが座敷に這い出るといった具合です。それが幾日も続き、数が増えたりするのですから、どうしてこんなことが起きるのだろう、と思わずにはいられないでしょう。

またある屋敷では、屋敷内にいるのに、どこからともなく、小石がひょいと飛んで来るといいます。人に危害を加えないからいいものの、謎が謎を呼ぶ出来事ではあります。

綺堂が書く作品の中で、江戸時代に起きたそれらの怪異が、『耳袋』という書物に収められていると書かれています。その記述を読み、少し前に、朝日新聞にあった書評を思い出しました。

クリスティの生き様と作品

昨日の朝日新聞「天声人語」は、ある女性推理作家について書いています。アガサ・クリスティです。

クリスティが世界的な推理作家として評価されることになった『アクロイド殺し』が1926年に刊行され、今年がちょうど百年目にあたるからでしょうか。

私もそれなりにクリスティの作品は読んでいるつもりですが、全部を読むのはなかなか大変といえましょう。

先ほどまで、GoogleのAI Geminiとクリスティや彼女の作品について、「対話」をしました。

彼女は30歳の時に作家デビューしています。生涯に書いた作品数はどのくらいだと思いますか。Geminiが次のようにまとめてくれましたので、共有します。

定海の現世利益 律仙教

人々が長年信じていることと、信じている実体が実は大きく乖離していることがあります。というか、乖離しているのが基本ともいえましょう。

それは宗教でもいえます。いえますというか、私もほかの人と同じように、宗教の実体を知らずにこれまで生きてきました。

私の家は仏教で、地元にある真言宗の寺の檀家ということになっています。正直なことを書けば、日頃は宗教を考えることはありません。

夏のお盆や法要のとき、家に来てもらうか、寺を訪れるかして、そこで、住職の読経を聴きます。

仏教のほかの宗派のことを私は知りません。地元にある寺の住職の読経を聞きます。真言宗の読経では、途中で、音節がつき、まるで唄っているように聴こえるところがあります。

両親と姉が亡くなったあとにそれを聴いたときは、心の奥の何かが刺激され、涙がこみ上げるような心持ちになりました。

仏教の勉強をしたことがないので、どんなことを僧侶が誦じているかはまったくわかりません。

転落するまでの男を描く清張『危険な斜面』

数日前の本コーナーで、松本清張19091992)の『たづたづし』(1963)という短編小説について書きました。

私はそれを、清張の短編集『三面記事の男と女』に掲載された分から読みました。同じ短編集から、今度は『危険な斜面』という短編小説を読んだので、ここに少し書いておきます。

本作は、『オール讀物』に掲載されますが、1959年2月号といいますから、『たづたづし』の4年前になります。

その頃にも飛行機は利用できました。しかし、清張の作品にある飛行機は30人乗りです。今と比べると乗れる数が少ないので、一般の庶民はなかなか利用できなかったかもしれません。

当時の飛行機は、たとえば東京の羽田空港から九州の小倉空港へ行くのでも、途中で、大阪に一旦降りて一度給油する必要があった(?)のでしょうか。

ヘンテコな話 『たづたづし』

松本清張19091992)の短編小説に『たづたづし』という作品があります。多分、何度目かで読みました。

私はAmazonの電子書籍版で本を読む習慣です。私はちょうど一カ月ほど前、それに該当する電子書籍版であれば、その期間に何冊でも追加料金なしで読めるKindle Unlimitedという本来は有料(月額980円)のサービスを無料で利用できる権利を得ました。

Amazon Kindle 第12世代

この期間に、水上勉19192004)のエッセイ集『閑話一滴』2015)や、水木しげる19222015)が大きな影響を受けたというヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ17491832)が残した言葉から選んで紹介する『ゲゲゲのゲーテ』(2015)などを読みました。

【紹介】ゲゲゲのゲーテ 双葉新書 (水木 しげる,水木プロダクション)

この二冊はおもしろかったので、Kindle Unlimitedの利用期間が終了した今、購入しようかと考えています。

ともあれ、Kindle Unlimitedが終了したことで、次に読む本がすぐにはありません。そこで、過去に読んだ本をKindle端末から捜し、清張の短編集を読み始めたというわけです。

天女にも悪女にも変える恋心 コナン・ドイル『ボール箱』

私は、Amazonの電子書籍版で本を読みます。今月末までは、思わぬ形でその権利を得たKindle Unlimitedを利用して、「シャーロック・ホームズシリーズ」の第2短編集『ホームズの回想 シャーロック・ホームズ』(『シャーロック・ホームズの思い出』1893〕)を読んでいます。

Amazon Kindle 第12世代

私はホームズものをすべて読んでいるので、何度目かの読書になります。

本短編集には、当初は二話目に収録されるはずだったものの、話の内容が残虐だったことで、一度は見送られた作品があります。

私が今読んでいる短編集は新訳版で、これには、当初の予定どおり、その作品が二話目として登場します。

その作品は「ボール箱」(1893)です。

本短編作品を取り上げようと思ったのは、26年間未解決のままだった事件が今になって動き出した名古屋で起きた女性殺害事件の容疑者の心理に相通じるものがあるのではないかと考えるからです。

清張が描く身を挺して息子を守る母親

松本清張19091992)の中編小説を3作品収める『黒の様式』を読み始めました。その1作目が『歯止め』であったからです。

本作は、以前、サンプル版をダウンロードした『黒の様式』で知り、読み始めました。しかし、特別関心が持てなそうだったので、冒頭の部分だけで読むのを止めていました。

主人公の江利子という40代の女性が、ひとり、能楽堂を鑑賞する場面から始まります。彼女は、視線の端にひとりの男の姿が入り始めてからは、心が落ち着きません。

本作を改めて読んでみようと思ったのは、酒井順子氏(1966~)が、清張作品に登場する女性たちを考察する『松本清張の女たち』を読んだからです。酒井氏の本については、本コーナーで取りあげました。

本作を酒井氏が取りあげていたものの、重い内容でありそうだったので、すぐには読む気にならず、今になりました。

3作品が収録された『黒の様式』から、1作目に収録されている本作を読み終えました。

1960年代の男と女 清張の『溺れ谷』

松本清張19091992)の長編小説『溺れ谷』を読みました。本作は、文芸雑誌『小説新潮』に、1964年1月号から1965年2月号まで連載され、1966年5月に単行本化されています。

この時期はアジア初の東京五輪の開催もあり、日本は経済も活気づくなどしていたでしょう。しかしそれは、五輪のイメージに引きずられた印象のようなもので、実際のところは、いつの時代とも変わらず、社会はさまざまな闇と共にそこにあっただけかもしれません。

本作では殺傷事件は起きません。精糖業界を巡る人々の思惑が描かれます。

本作は、三流、四流の形ばかりの経済誌で「トリ屋」をする大屋圭造という三十代(だったかな?)の独身男の視点で描かれます。

トリ屋というのが、清張の造語なのか、それとも、本作が書かれた当時は一般に流通したいい方なのかはわかりません。

清張は、「トリ屋」を次のように解釈しています。