前回の更新では、少雨とダムなどについて書きました。
私は少雨傾向そのものよりも、そのことでダムの水位が下がり、ダムの底に沈んでいたかつての集落が目視できる状態になったことに関心が向かいました。
今回の渇水では、大坂の水源となっている滝畑ダムでそのことが起きました。
昨日の更新では取り上げませんでしたが、これらのことをGoogleのAI Geminiと「対話」したとき、滝畑ダムに沈んだ集落についても訊きました。
私はそのダムのことを今回初めて知りました。そのため、そのダムが大阪府内のどこにあるのかもわかりませんでした。
おそらくは、大阪府内の北部にあるのではと見当をつけ、マップで見つけようとしました。しかし、見つかりません。私には意外でしたが、そのダムは、大坂の南部、和歌山県との県境付近にありました。
ダムの場所をマップで確認したのは、あることをしたあとです。
私は前回の更新で、滝畑ダムを、生成AIで動画にし、それも紹介するつもりでした。
そこで、まずは、水をたたえた滝畑ダムの画像を、Geminiに生成してもらいました。しかし、複数枚生成してもらった画像を見ると、ダム周辺の様子が同じではありません。
そのことから、ダムの構造そのものも、実物とは違うのではないかと考えました。
そのため、本物のダムとその周辺の様子を確認するため、Google Earthでダムの位置を確認したというわけです。
Google Earthを使えば、航空写真で撮影された画像(?)により、実物のダムと周辺のリアルな様子がわかります。それを見て、Geminiで生成された画像が、現実のダムと周辺の様子と違うことがわかりました。
そのあと、Google Earthで表示されるダムと周辺をスクリーンショットで画像にし、それを基に、動画生成AI FLOWで動画にしてみました。
しかし、仕上がりが芳しくなく感じたので、紹介することは見送りました。
Geminiに、ダムに水没した集落のことを訊き、次のように教えてもらいました。
水没した旧・滝畑村の歴史
ダムの底には、おっしゃる通り間違いなく人々の生活の営みがありました。
- 中世から続く歴史ある集落: 水没したのは、葛城山系の谷間にあった「旧・滝畑村」という集落です。周囲を山に囲まれた地形でありながら、古くから続く自然豊かな美しい村でした。
- 苦渋の決断と移転: 昭和30年代(1960年代)に、下流域の農業用水や水道水を確保するためのダム建設計画が持ち上がりました。住民たちは先祖代々の土地や山林を一度に失うことに強く反対しましたが、長年の話し合いの末、最終的に約80戸(79戸)の家族が移転を受け入れ、故郷を水底に沈めることになりました。(ダムは1981年に完成)
前回の更新で取り上げた御母衣(みぼろ)ダムは、昭和30年代初頭にダムの建設がまとまっています。滝畑ダムも、建設計画が持ち上がったのは同じ時代です。
その時代、ダムの建設や計画が、日本の各地であったことがわかります。
ダムや原子力発電所は、人口密集地からは離れたところに建設されます。それを考えたとき、国や電力会社によって建設場所に選ばれた地域に暮らしてきた人は、人口密集地域の人々のために、犠牲を強いられているといえます。
そんなことを考えたので、ダムが渇水したことで、かつての生活の跡を見たかつての住民は、どんな思いになるのだろうと考えました。
ダムができる前の滝畑村の様子を知りたくなり、その画像をGeminiに生成してもらおうと思いました。しかし、その画像の生成は断られました。何か、倫理的な問題があるのでしょうか。
Geminiには、次のような、「河内滝畑の民話」を教えてもらいました。
淵の主が化けた「赤子淵(あかごぶち)」 かつて川の深い淵で、赤ん坊がえらく泣いている声が聞こえました。通りかかったお遍路さんが可哀想に思って助けようと淵へ近づいたところ、なんとそれは赤ん坊に化けた「淵の主(化け物)」であり、お遍路さんは食べられてしまった……という少し恐ろしいお話です。 これは単なる怪談ではなく、急に深くなる川の危険性を子どもたちに教え、水難事故を防ぐための「戒め」として村で語り継がれていたものだと思われます。
現代社会を動かすのに電力は欠かせません。それを得るために、「犠牲」に鳴った人々がいることを、今も続く渇水状態が、そのことに気がつく人には、示唆しています。
ダムの底に沈んでしまった集落をイメージして、音楽生成AIのSunoに『底の町』を生成してもらいました。よかったら聴いてください。
