先月はじめ、一人の偉大な漫画家がこの世を去っています。その漫画家とは、「つげ義春」です。
私は、つげのことは知りません。つげの漫画も読んだことはないです。しかし、つげが、多くの表現者に大きな影響を与えたことは、あとになって知りました。
たしか、蛭子能収さんもつげの漫画が好きで、影響を受けたということだったと思います。
つげが亡くなったのは先月3日です。しかし、朝日新聞がそれを朝刊で初めて報じたのは、先月28日になってからでした。
それまで、つげの死が知られなかったのか、それとも、親近者がそのように依頼していたのでしょうか。
先月28日に朝日がつげの訃報を伝えたあと、昨日、美術史家の山下裕二氏による、つげへの寄稿を朝日が載せています。
私は、新聞に載る寄稿は、それを書いた人が、自分の意志で書き、新聞社に送った文章かと思っていました。それをGoogleのAI Geminiに聴くと、私の間違いを次のように指摘してくれました。
結論から申し上げますと、ご認識とは逆で、新聞に載る「寄稿」のほとんどは「新聞社側からその人に『この記事を書いてください』と依頼して書いてもらった文章」になります。
新聞社にお願いされずに、自分から自発的に書いて送る文章との違いを含め、詳しく解説します。
1. 「寄稿(きこう)」とは?
主に、新聞社の外部にいる専門家、学者、作家、あるいはそのニュースの当事者などが書いた記事を指します。
- 経緯: 新聞社が「この問題については、社内の記者よりも、専門家である〇〇氏の意見や解説を載せた方が読者のためになる」と判断し、テーマや文字数を指定して執筆を依頼します。
- 目的: 記者の客観的な報道とは別に、専門的な知見や独自の視点、深い考察を読者に提供するためです。記事の最後に「〜氏の寄稿」などと紹介されます。
あとになって、ある人物を知り、その人について、もっと知りたい場合は、生前にその人と親交を持った人の話が頼りです。
山下氏の寄稿でわかりましたが、山下氏は、高校時代につげの作品に出会い、その後、本人に会う機会を持つようになり、手紙のやり取りもしたが書かれています。
であれば、山下氏だけが知る、つげについて、もっと寄稿に書いて欲しかったと思わざるを得ません。
山下氏が今回の寄稿で書くことは、山下氏がどれほどつげに影響を受けたかについてだけです。
そこまで、山下氏を強く引きつけた、つげが持つ作品世界の凄さが書かれていません。それこそが、つげをよく知らない人が教えて欲しいことです。
寄稿が、新聞社がその分野をよく知る人に依頼するものであるなら、今回の山下氏の寄稿で満足したのか訊いてみたい気持ちになります。
そして、私が感じたように、つげ本人と作品の掘り下げが足りないと感じたなら、もう一度、山下氏に、つげについての寄稿をお願いして欲しいです。
つげを語る上でどうしても欠かせないのは、漫画家として絶頂期であったろう時期に、つげは自分の意志で、表舞台から去っていることです。
つげが漫画家としてデビューしたのは1954年です。つげが生まれたのは1937年ですから、17歳の年になります。つげの黄金期は、1960年代から1970年代といえましょうか。
ひとつの分野で高く評価されたなら、普通の人であれば、その分野にしがみつき、生涯、その分野で生きようと思うだろうと思います。
しかし、つげはそれを自分から捨て去ろうとし、実際、捨て去りました。
このあたりのことを、山下氏は、寄稿で教えてくれるべきでした。
仕方がないので、そのあたりのことをGeminiに訊き、教えてもらいました。
おっしゃる通り、彼は1987年(昭和62年)、50歳の時に発表した『別離』という短編を最後に、一切の新作漫画を描かなくなりました。ちょうど『無能の人』などの名作を発表し、表現者としてさらに高く評価され始めていた矢先のことだったため、当時のファンや関係者に大きな衝撃を与えました。
彼が筆を折った(漫画を描かなくなった)ことには、いくつかの複合的な事情が絡んでいました。
1. 心身の不調と極度の疲労
最も大きな理由は、彼自身の心身の健康状態でした。つげは若い頃から対人恐怖症や神経症(不安障害)に悩まされることが多く、自分の内面を深くえぐるような作品を描くことは、精神的に凄まじいエネルギーを消耗する作業でした。それに加えて身体的な不調も重なり、「もうこれ以上、漫画を描く気力が湧かない」という極度の疲労状態に陥っていたと語られています。
2. 「漫画家」以外の生き方への渇望
彼はそもそも「有名な漫画家になって富と名声を得たい」という野心が非常に薄い人物でした。むしろ、世間の荒波から身を隠すように、ひっそりと静かに生きたいという願望(隠遁志向)を強く持っていました。
そのため、漫画の執筆から離れようと、別の商売で生計を立てようと何度も試みています。多摩川で拾った珍しい石を売る「石売り」や、古本屋、あるいは趣味であった中古カメラやアンティーク(骨董品)の買い取り・販売など、様々な商売に手を出しました。こうした「何とかして漫画以外のことで生きていけないか」という葛藤自体が、のちに名作『無能の人』のテーマにもなっています。
3. 家族の事情
1980年代後半以降は、妻であり女優・絵本作家でもあった藤原マキ氏がガンを患い、その闘病生活を支える必要があったことも、執筆から遠ざかった大きな理由です。つげは主夫として、妻の看病と一人息子の育児や生活の切り盛りに専念する道を選びました。(妻の藤原氏は1999年に他界されています)。
多くの人は、名声を得ることを願います。つげは、その名声を得ながら、自らの意志で、そこから遠ざかろうとし、実際、遠ざかりました。
一度名声を得ながら、それから遠ざかったつげのような生き方をした人は、非常に稀だと思われます。
つげ以上に評価される人が今後現れることがあっても、つげと同じように生きていける人は、めったに現れないのでは、と私は考えます。
