日常的にテレビ番組を見る人は、いつも以上にテレビの前に座る時間が長くなっていませんか? パリ五輪が開催中だからです。
日本とは時差が7時間あるため、寝不足気味の人もいることでしょう。
大会に参加して、懸命なプレーをしている選手には申し訳ないですが、私は五輪の中継はまったく見ていません。もともと五輪には興味がありません。五輪そのものを否定したいぐらいです。
男子マラソンだけは生中継で見るつもりです。いつ行われるか知りません。大会最終日でしょうか?
そんなわけで、五輪は無視して、見たい番組があれば録画して見ることをいつも通りしています。
見る番組はほぼ決まっています。その間に割り込む番組が時々あります。今月1日もそんな番組があるはずでした。しかし、録画したものの、ほとんど見ずに消去しました。
その番組を知るきっかけは、朝日新聞の番組欄にある「試写室」で紹介されたことです。その日は、当日午後10時からBSテレ東で放送する「あの本、読みました?」の紹介がありました。
本番組を私は見たことがなく、番組自体初めて知りました。本を紹介する番組としては、以前、BS日テレで久米宏(1944~)と壇蜜(1980~)が司会をする「久米書店」(2014~2016)という番組があり、私は毎回録画して見ていました。
今回のその番組では、新聞の書評欄を深堀する内容です。私も新聞の書評欄はそれなりに注意して見ているので、興味を持ち、その日の放送を録画しました。
録画した番組を昨日の午後に見ようと思い、再生を始めました。MCは鈴木保奈美(1966~)で、女性アナウンサーがアシスタントをしています。
オーソドックスな番組の作りで、新聞の書評欄を担当する新聞社の社員と、評者の経験を持つ小説家の朝井リョウ(1989~)らがゲストとして招かれていました。
私はその番組の作りを確認し、再生を始めて数分で再生を止め、録画した番組を消去しました。
そのまま見ていたら、私が知らなかったことを知ることなどができたでしょう。しかし、その後の展開がなんとなく想像できたため、続けて見る気を失いました。
スタジオで収録されるテレビ番組は、ずいぶん昔に定型のようなものが完成し、そのあとはほとんど変化が見られませんん。番組の進行役がいて、招いたゲストとひとつの話題について話す様子を伝える形です。
この形式は、ある話題を取り上げて伝えるのに使いやすいのでしょう。ただ、毎度同じような見せられ方をされると、それを見る視聴者は飽きてしまいます。
同じことは、YouTubeで顔出しをして何かを語る、YouTuberの動画にもいえます。
たとえば、カメラや周辺機材について語るカメラ系YouTuberは、カメラの前に座り、カメラやレンズなどについて語ります。語る内容は、カメラやレンズごとに変わりますが、スタイルはいつも同じです。
動画が撮れるカメラを使いながら、毎度自分自身を撮ってばかりでは芸がなさすぎではありませんか? 映像に関心を持つなら、毎回、いろいろな映像表現を試してみて欲しいです。
小型なアクションカムを使えば、これまで見たことがないような映像が撮れるはずです。それなのに、毎度カメラの前に座る自分自身の姿を撮るだけです。
自分の姿を見せるにしても、複数のカメラを同時に回し、カットを切り替えて見せてくれたら楽しめますが、そんな工夫をするYouTuberが日本では多くありません。欧米のYouTuberにはそういう見せ方をする人もいます。
複数のカメラは使わなくても、たとえばカメラやレンズについて語るのであれば、それぞれを別に撮影した映像をインサートカットにして見せるなど、編集の手間はかかりますが、最低限、それぐらいのことはして欲しいです。
欧米のカメラ系YouTuberはそういうことを当たり前にしています。
途中からYouTuberの話になってしまいました。見ようと思って見なかったテレビ番組の話に戻します。
新聞の書評欄をテレビ番組にするのであれば、スタジオトークで伝えるのではなく、書評欄を担当する評者が書評する本を選ぶ過程を見せてくれたら映像的にはおもしろそうです。
新聞の「試写室」では、20人ほどいる評者が、新刊本が並ぶテーブルの周りをぐるぐると回って一冊を選ぶというように書かれています。
書評欄の評者として私が思い浮かぶのは横尾忠則(1936~)です。横尾は朝日新聞の書評欄を長年務めています。
本コーナーで少し前に書いたように、横尾は昔から、本をほとんど読まずに過ごしています。
それは今も変わらないようで、書評欄のために読む本が横尾の読む本のすべてだというような記述を読んだことがあります。
たとえば横尾に取材し、書評について語ってもらうだけで、私には興味の持てる番組になったでしょう。ただ、それが多くの視聴者を満足させる内容になるかは別の話です。
やはり、幅広い視聴者を満足させようと思ったら、「試写室」で紹介されたような番組作りが相応しいのだろうと思います。
途中でYouTuberの番組について書きました。
YouTubeは、最大公約数的なことを考える必要がないため、自分勝手に自由な動画作りができるはずです。それなのに、単調なテレビ番組を模倣したような作り方をする人が多いのが、私にはもったいなく思えます。
自撮り動画を出す人は、自分の顔を撮ることに意義を感じているのでしょうか? それはそれとして、テレビ番組のマンネリ定型と同じで、見せ方の工夫はいくらでもできそうに感じます。
