いい色を狙え

私は今、写真を見ています。誰かが撮った傑作写真ではありません。私が昨日の午後4時過ぎに庭で撮った何でもない写真です。

しかし、「いい色だ」と思って見ています。

世の中にあるさまざまな意見に左右されて、敢えて白黒の写真を撮る人がいます。私は、小学校の頃だったと思いますが、レンズ交換式ではないフィルムカメラを使いました。

私の家にたまに来る人が写真店か、写真関係の仕事をしていた人だと思います。その人の家へ父と行ったときのことを憶えています。話をした部屋の中に、現像したフィルムが何本も下がっていました。自分で現像したフィルムを乾かしていたのでしょう。

その人の勧めで、そのカメラを父が買い、私が使わせてもらったのだと思います。

その頃は白黒フィルムで写真を撮りました。その頃撮った写真が今も残っています。

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人々が長年信じていることと、信じている実体が実は大きく乖離していることがあります。というか、乖離しているのが基本ともいえましょう。

それは宗教でもいえます。いえますというか、私もほかの人と同じように、宗教の実体を知らずにこれまで生きてきました。

私の家は仏教で、地元にある真言宗の寺の檀家ということになっています。正直なことを書けば、日頃は宗教を考えることはありません。

夏のお盆や法要のとき、家に来てもらうか、寺を訪れるかして、そこで、住職の読経を聴きます。

仏教のほかの宗派のことを私は知りません。地元にある寺の住職の読経を聞きます。真言宗の読経では、途中で、音節がつき、まるで唄っているように聴こえるところがあります。

両親と姉が亡くなったあとにそれを聴いたときは、心の奥の何かが刺激され、涙がこみ上げるような心持ちになりました。

仏教の勉強をしたことがないので、どんなことを僧侶が誦じているかはまったくわかりません。