朝日新聞・土曜版には、読者に二択の回答を問う「be between 読者とつくる」というコーナーがあります。本日そのコーナーで問われたのは「クマの駆除、賛成? 反対?」です。
結果はご想像のとおりです。駆除に賛成が86%、反対が14%です。
この問題については、最近、本コーナーで取り上げたばかりです。そのときの私の考えは、駆除には反対の立場です。今もその考えに変わりはありません。
マスメディアは、熊が人間に危害や恐怖心を与えるため、熊を人間が銃で殺す行為を「駆除」と書いて「逃げて」います。マスメディアによって「駆除」とされていることは、紛れもなく、熊を人間の銃で殺すことです。
銃で殺す前に、熊に人間が「どうして人里に降りてくるのか?」とか「どうして人間に危害や恐怖心を与えるのか?」と訊くことはしません。いきなり、銃でズドン! です。
朝日の本コーナーがもう一度本問題で二択の質問をすることがあるのであれば、訊きかたを次のように変えてほしいです。
あなたは自分の手で野生の熊を殺すことはできますか?
今回の質問に、熊の駆除を賛成とした86%の人のうち、実際に自分の手で熊を殺せると答える人はどの程度の割合になるのか、私には関心があります。
本問題を本コーナーで取り上げたとき、私は自分で熊に限らず、野生に生息する動物を自分で殺すことはしたくないと書きました。
世の中には、野生の動物を自分の銃で殺すことを自分の楽しみにする人がいます。熊でなく、空を飛ぶ鳥なら、銃で撃ち殺せるという人がいるかもしれません。
私は野鳥も自分の手で殺したいとは思いません。
今回の朝日の質問では、熊からの被害を防ぐ対策についても訊いています。その中に、「ハンターを増やす」があり、776人がそのような答え方をしています。
この場合、自分も熊を殺すハンターに加わるという人がどれぐらいいるのかはわかりません。自分はハンターに加わらず、どこかの誰かに殺してもらうのを待ついうのであれば、「熊の駆除は他人任せ」になります。
モンゴルの大草原を舞台に描く『天空の草原のナンサ』(2005)という映画作品があります。ご存知ですか? 私は、18年前に東池袋の新文芸坐で見て、とても感動したのを憶えています。

ナンサというのは、モンゴルに実在する少女の名前です。遊牧民である彼女の家族をドキュメンタリーのように描くのが本作です。
本作で描かれていたのだと記憶しますが、ナンサの五人家族は、飼育する羊を、自分たちの食料にするために殺します。殺すのも自分たちなら、肉を切りさばいて、無駄を出さずに食べるのも自分たちです。
生産地から離れたところに暮らす人々は、食用に加工され、パックに入った肉をスーパーマーケットで買い、食卓に載せます。
食肉用の動物を飼育するのも、その動物を殺して食肉にするのも、自分とはまったく関係のない人です。
焼き肉を食べて舌鼓を打つ人が、肉になる前に生きていた動物を想像することはしません。
人間の銃で殺されるときの熊はどんな目をして人間を見ているでしょう。それを想像するから、私は自分で熊を殺すことはできないと考えるのです。
空を飛ぶ鳥も、銃で撃たれる直前まで、そんなことは全く想像せずに、空を飛んでいただけでしょう。
熊を害虫のように考える人には、ナンサの家族を描く『天空の草原のナンサ』を一度見てほしいです。見終わったあと、何かを考えるでしょう。
考えてみれば、人間の文明は進みすぎてしまったのかもしれません。世界の人々が、モンゴルの大草原に生きたナンサの家族のような生活をしていたら、野生の熊と別の付き合い方を模索できたかもしれません。
「ここは熊が出没して心配だから、別のところへ移って、そこに住もう」と。
東京都心にあるマンションの値上がりが激しいと報道されています。それでも利便性を求める人は、そこにしがみつきます。
文明が進みすぎたことで、人間の生活を圧迫しています。この現象は、野生動物との共生につながる問題を持つように感じます。
