2007/02/05 ナンサといえば何さ?

昨日の産経新聞に、可愛らしい写真が載っていました。節分の日の3日、長崎県平戸にある寺で行われた“赤ちゃんの相撲大会”を伝える記事に添えられた写真です。

それは、相撲は相撲でも「子泣き相撲」でした。

「にらめっこ」では普通、一人と一人が向き合って、先に相手を笑わせたほうが勝ちになります。ところが、この「子泣き相撲」では、先に泣いた赤ちゃんが勝ちになるそうです。

記事には由来が書かれていますが、江戸時代の初期、同地方の平戸藩主の松浦鎮真(まつら・しげのぶ)15491614)が、寺社の創建(そうけん:初めて建てること=広辞苑)に絡んで亡霊に取り憑かれたのだそうです。そして、その亡霊を追い払ってくれたのが赤ん坊の元気な泣き声だったことにちなみ、節分のその日(なぜ節分なのかはわかりません)、そのお寺では、1歳未満の赤ちゃんが参加する「子泣き相撲」が行われるということです。

私は昨日の朝、その写真を見て、思わず「かわいいなぁ」と思ってしまいました。写真の“取り組み”の勝者は、泣いている左側の赤ちゃんで、そちらも可愛いのですが、私は“負け力士”となった右側の赤ちゃんが「かわいい(^~^0)」と思ってしまったのですが、どうでしょう?

実は、昨日の日曜日、私はまたしても親類の2歳になるボクちゃん(まもなく3歳です)の相手をして過ごしたわけですが、私は幼児が好きです。おそらくは、精神年齢が彼ら彼女らに近いせいだと思いますが;、たとえば、病院の待合室で待っているときも、子供の泣き声がすると、どこにいるのかとキョロキョロしてしまいます。

と、こんなことを書いていたら、あの映画の続きを書いていなかったことを思い出しました。そ! ナンサが出てくるあの映画、『天空の草原のナンサ』です。

この作品には、手垢にまみれていないモンゴルの姉弟が登場します。子供たちを育てる両親も、役を演じる役者ではなく、本当の母であり父です。モンゴルの草原に暮らす遊牧民の5人家族が、ドキュメンタリーさながらに登場する気持ちのよい作品です。

監督したビャンバスレン・ダバーはモンゴル出身の女性で、もともとがドキュメンタリー志向の持ち主で、ことさらに演技を求めず、モンゴルの草原で本来あるべき姿で生活する彼らを、フィルムに収めさせてもらうつもりで制作したのではないか、と私は考えたのでした。

The Cave of the Yellow Dog | Director Byambasuren Interview (In German)

日本では今、マスメディアが旗を振る形で、「格差拡大」への不安を煽っています。

そうすることでマスメディアは、人の不安心理につけ込んで、それを出版やテレビ番組などの“商売”に変え、一儲けしようと企んでいるだけです。

そんな貧相な心根の対極にいるのが、この作品に登場するモンゴルの遊牧民バットチュルーン一家です。学校へ通う歳になったばかりの主人公ナンサは、動物たちが生きていくことだけが“仕事”であるのと同じように、朝起き、明るい陽射しの下で妹や弟と遊び、また、母親を手伝うという意識もないまま、家畜の世話をし、食事の手伝いをします。

そんなナンサや家族の生き様を見ていると、何ともいえない懐かしい思いに駆られ、彼らの発するひと言、ひと言が心にスーッと沁み入ってくる思いがします。

ある日のこと。ナンサは母親から、牛の糞を拾ってくるように頼まれます。ナンサは「やったことがないからできない」といいますが、やがて、カゴを背負って、母親が燻製(くんせい)作業の際の燃料として使う牛糞拾いに独りで出かけていきます。

牛糞拾いが一段落して休んでいたナンサの耳に、突然聞き慣れない声が聞こえてきます。声は、向こうの洞穴の奥から聞こえてくるようです。ナンサは穴に近づき、「何かいるのぉ?」と声をかけます。

同じ頃、父親は年配者と3人で話をしています。男たちは銃を持ち、ひとりは双眼鏡で何やら警戒しているようです。モンゴルでは、昔は多くいた遊牧民が草原を離れ、町へ去っていってしまうようです。それに代わって増えたのは野生の狼で、銃と双眼鏡は、その被害を食い止める目的に用いられているのです。

だとすれば、とナンサがのぞき込んでいた洞穴の奥のうなり声が気になります。まさか、今頃ナンサは狼に襲われていやしないだろうか、と不安になります。

ナンサは無事でした。ナンサは犬と一緒に家を目指して歩いています。元々はどこかの家の飼い犬だったのか、野良犬はナンサのあとに続きます。

家に戻ったナンサは、犬に「ツォーホル」と名前をつけ、母親に飼うことの許しを請います。母親は咎めもせず、ナンサは安心します。しかし、そのあと戻ってきた父は、犬を飼うことを許さず、「元の場所へ戻してこい」と言葉少なに命じます。

仲良しになったばかりの愛犬ツォーホルと離ればなれになりたくないナンサは、切ない表情を見せます。彼女の遊び相手といえば、妹と弟です。ゲルという移動式家屋に暮らす彼らは、基本的に家族単位で行動するため、周りに民家はありません。草原を吹き渡る風が友達代わりです。

そんな娘の姿を見た母親は、ナンサにあることをさせます。掌を上に向けさせて、指を後ろに押して掌を反らすようにいいます。そうしておいて、突っ張った「掌を噛んでごらん」といいます。

ナンサは母親にいわれたようにして、小さな掌を噛もうとします。でも、いくらやっても噛めません。それを確認した母親はナンサに、「ほら、噛めないでしょ? 世の中には自分の思い通りにならないこともあるのよ」と諭します。

それでもナンサはツォーホルを手放す決心がつかず、ずるずると一緒の生活を続けます。父親は妻に「子供を甘やかすな」と迫ります。どこででも見られそうな、家族の風景です。

別のある日。ナンサは馬にまたがり、ツォーホルと一緒に遠くまで羊たちの放牧に出かけます。しばらくすると天候が急変し、見る間に雲が厚みを増し、大粒の雨が落ちてきました。家で娘の帰りを待っていた母親は心配になり、娘と羊を探しに馬で走り向かいました。

ナンサはナンサで、家に戻ろうとしますが、ツォーホルの姿が見えません。どこかで遊んでいるのかもしれません。ツォーホルの名を呼ぶナンサを雨が濡らします。ずぶ濡れなったナンサは、独り暮らす老婆の家に招き入れられます。

老婆は、ナンサに暖かい飲み物を与え、不思議な「黄色い犬の伝説」の話を聞かせます。

昔々の話です。ある金持ちの家に、それはそれは美しい娘がいました。その娘が重い病気にかかってしまいます。薬代に金をかけても、大切な娘の容態がちっともよくならないため、父親は賢者に相談を持ちかけます。どうしたら、娘を元通り元気にすることができるか、と。

賢者から意外な言葉が聞かれました。「飼っている黄色い犬を処分せよ」というのです。確かに黄色い犬を飼っていましたが、娘のためとはいえ、どうしても殺す気にはなれません。そこで、父は付近の洞穴に捨てました。そうしておいて、エサだけは洞穴に運んでいたのです。

ある日のこと、いつものように洞穴へエサを持って行くと、そこに犬の姿がありません。どこかへ消えてしまったようです。すると不思議なことが起こりました。あれだけ、いくら手を尽くしても良くならなかった娘の病気が治ったのです。

娘には好きな男がいたものの、犬がそのふたりの恋仲を邪魔し、娘を病気にさせていたのでした。それでは、消えてしまった黄色い犬はどうしたのでしょう? 老婆は、「人間に生まれ変わったのだよ」といいます。

モンゴルでは生まれ変わりの伝説が信じられているらしく、娘と男が結婚して生まれた子供は、あの犬の生まれ変わりだと老婆はナンサに話して聞かせたのでした。ナンサは濡れた髪を乾かすのも忘れ、老婆の話に聞き入ります。そこへ、嵐の中、母親が救いに駆けつけました。ツォーホルも見つかり、家族の暮らしも元通りの“晴天”へと戻っていきました。ナンサの心に、「黄色い犬の伝説」の話を刻みながら。

季節が流れ、ナンサ家族が暮らすゲルの解体作業が始まりました。遊牧民の彼らは、次の草原をめざし、移動を始めるのです。一家総出で引っ越し作業です。

引っ越しの準備が整い、いよいよ新天地へ出発です。父は、ツォーホルを一緒に連れて行くことを許してはくれません。ツォーホルは、羊たちを囲っていた柵にロープでつながれ、ナンサ一家に置いてけぼりにされます。必至にナンサたちと行こうともがくツォーホル。

ナンサは、最後尾の馬車にポツンと座り、いつまでもいつまでもツォーホルを目で追います。「ツォーホル、こっちへおいで!」と口に出そうになるのを必至に押さえながら_。

それを見る私はといえば、あることに必至になっていました。映画がラストに近づいていることを悟ったため、涙を早く止めて平静に戻らなければ、と奮闘していました。しかし、無駄な抵抗でした。どうしても止めたかったら、目を閉じるしかありません。でも、そんなことはできません。諦めました。

作品は、そのあともう一波乱あったのち、エンドロールへと移ります。

上映が終わり、場内が明るくなりました。見客は三々五々席を立ち、次の上映までの時間を利用し、トイレへ売店へと向かいます。私はといえば、いつもならトイレへ立って起きたいところ、席を立つことができません。なおも涙が止まらなかったからです。

何か笑えるようなことを無理にでも思い出して、その涙を消し去ろうと試みました。が、ダメです。できません。何がそれだけ自分を泣かせたのか。ナンサ一家が見せた純な家族の懐かしさであり、優しさであったろう、と今にして思えます。

ビャンバスレン・ダバー監督の『天空の草原のナンサ』は、私にとり、宝物のような作品となりました。

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