今の世界を生きる上で必要なことは、「常識」とされているものを鵜呑みにしないことです。最近はそれを強く意識します。
「がん」とされている病気も常識を鵜呑みにしないほうがいいです。今はこんなふうに考える私も、少し前までは、がんを怖い病気と考えていました。
発表されるところでは、この病気になる人が日本だけで年間100万人ほどとされ、40万人ほどがその病で命を落としたとされています。
本当にそうだろうか、と立ち止まる必要を強く感じます。
そのきっかけを与えてくれたのは、徳島大学名誉教授の大橋眞氏が書かれた『がんの真実 「患者よ、がんと闘うな」の真相を探る』です。本書を2カ月前に読み、本コーナーで取りあげました。
その本を今、再読しています。このほど、朝日新聞が、がんと疑う細胞の診断や治療に関わる人を、その道の権威として取りあげたからです。それらの記事を書いたのは、朝日でその分野の記事を書く女性記者です。
その女性記者に、紙面を使って、がんとはどういう病気なのか、詳しく解説して欲しいです。しかし、こうお願いしても、書いてはくれないでしょう。
がんという病気がある「かもしれない」とされてから今日に至るまで、がんという病気が定義されたことが一度もないそうだからからです。
がんは、細胞に腫瘍ができ、がん細胞になるとされています。がん細胞は無限に増殖し、それができた臓器の別の部位や、他の臓器に転移するとされています。
こんな説明を聞くと、治療をせずに放っておいたら、がん細胞が全身を脅かし、生命の危機に瀕すると想像するでしょう。
しかし、大橋によると、これまで、がん細胞というものが特定されたことは一度もないそうです。病気の基であるがん細胞がわからないのであれば、それが増殖したり、転移することを確認するのは不可能です。
それでも現実に、がんと診断される人があとを絶ちません。それらの人は、何を根拠にその病に冒されたとされるのでしょう。
ここにひとつのからくりがあります。
がんであるかを確認する方法に「細胞診(細胞診断)」があります。このほど、朝日に載った記事で紹介されたひとりが、この検査をする人です。
検査をする人は、体内にできた腫瘍を観察し、がん細胞との類似性を見極め、それに似ていることがわかれば医師に伝え、医師が患者に、がんであることを伝えるそうです。
ここで問題になるのは、類似性を見極める基となる、がん細胞というのが、本当のがん細胞である保証がまったくないことです。なにしろ、これまで、がん細胞を特定したことが一度もないからです。
がん細胞を疑われる腫瘍は、目で見て確認できます。
大橋氏によれば、腫瘍というのは、何らかの原因で、細胞が正常に展開することができず、塊になった状態のことをいうそうです。
がん医療はその腫瘍をがん細胞と決めつけ、治療をします。
しかし、その腫瘍が増殖したり、転移することを確認することはしていません。それが、その部分の腫瘍だけで、増殖も転移もしないのであれば、そのまま放っておいてもいいでしょう。
細胞には寿命があります。細胞にできる腫瘍にも寿命があります。放っておいても、それが増殖も転移もしないのであれば、いつかは寿命が尽きて、消えます。
腫瘍が大きくなって骨を圧迫しない限り、人体に悪影響はありません。
ところがその腫瘍を、存在が証明されたことがない、がん細胞であるとして、徹底的に「攻撃」をします。
「攻撃」とされる治療が、人体に悪影響を及ぼします。
そっとしておけば、腫瘍がいつかは自然に消えるのに、それを無駄に「攻撃」することで、健康が脅かされます。
その悲惨な結果として、年間、40万人もの人々が、意味のない細胞診によって、がん患者とされたばかりに、命を落としているというのが現実です。
医療業界で働く人の中にも、今の細胞診と、がん治療に疑問を持つ人がいるそうです。しかし、がん治療が西洋医学の中心となっているため、異を唱えることは難しい状況にあります。
ひとりの個人ができることは、無意味な細胞診は極力受けないことです。そんなものを受けて、がんと診断されても、それを受け入れる意味がないからです。
存在しないかもしれない、がんという病気のため、好き好んで、自分の命を危険に晒す治療などさせる意味はありません。
愛妻をがんで失った老医師は、妻がいなくなった悲しみで、3カ月間泣き暮らし、酒浸りとなったそうです。
がん治療にあたった老医師は、がんという病気の存在を信じ、愛妻を危険ががん治療に向かわせてしまったのでしょう。
がんという病気が存在するという常識を鵜呑みにすることがなかったら、愛妻と共に静かな余生を送れていたでしょう。
