人を自分の物差しで見ることを徹底した清張

700冊にも及ぶ松本清張1909~ 1992)の作品から、女性の登場人物に絞って分析し、解説した酒井順子氏(1966~)の『松本清張の女たち』を読み終えました。

本書からはこれまでに二度、本コーナーで取りあげました。今回が三回目で、しかも連載です。なにやら、清張を倣い、私も何かに連載でもしている気分です。

清張が自作で描く人物は、性別に関係なく、予断を持たずに書かれます。

酒井氏の本のあとがきに次のような記述があります。それが、清張作品の本質であり、根幹であるように思われます。

お嬢さんだからといって、全てが清いわけではない。エリートだからといって、常に正しいわけではない。どんな人の中にも、黒い欲望、黒い傷、黒い不幸が隠れている。……これは、全ての清張作品を貫く確信である。同時に全ての人々の身に覚えのある確信であるからこそ、清張作品は人々の心を摑み続けた。

酒井順子. 松本清張の女たち (p.211). 新潮社. Kindle 版.

同じことは、僭越ながら、私も昔から感じています。

得てして、人は自分の良い面だけを他人に見せたがります。誰であっても、他人から自分を悪く思われたくはないからです。しかし、それが過ぎるように感じた場合は、鼻白んでしまいます。

口には出しませんが、あなたにも腹黒い部分はあるのではありませんか? といいたい気分になります。特別意地悪な性格でなくても。

酒井氏が本書で名付けたのが「お嬢さん探偵」です。

私が本書に接する少し前に読んだ清張の『蒼い描点』1959)に登場する椎原典子が酒井氏のいうお嬢さん探偵です。なんでもこのときに書いた典子こそが、清張が初めて手がけたお嬢さん探偵だそうです。

私も読んで感じたように、みんなから「リコちゃん」の愛称で親しまれる典子は、悪い面はまったく持たないような若い女性に描かれています。

作家が作りあげた世界の人物なので、どんな人物で描こうと作家の勝手です。しかし、それを読む読者は作家ほど簡単には割り切れません。

完全無欠な人物に描かれると、それこそ、鼻白んでしまうというわけです。

清張は、「お嬢さんだからといって、全てが清いわけではない」とした考えをしっかり持っていました。それでも、初めて女性誌に執筆するにあたり、多少は女性読者に阿(おもね)ったところがあったのでしょう。

清張は、お嬢さん探偵を扱ううち、裏表を持たない人物では、話に厚みを持たせにくいと感じるようになったでしょう。そのことで、清張の描きたい女性が、裏の顔を持つ悪女に取って代わったというわけです。

清張は、高等小学校の卒業です。それ以上の学歴は持ちません。小説家は学歴を必要しません。清張は学歴コンプレックスをバネにして生きた人です。だから、学歴に惑わされず、人をひとりの人間として見ることができました。

文藝春秋社で清張の担当をした編集者に藤井康栄氏(1934~)がいます。彼女は早稲田大学文学部史学科の出身です。

藤井氏が清張の編集者として初めて清張に会ったときのエピソードがあります。

おそらくは、清張に会い、自分が清張の担当をすることを挨拶をしたのでしょう。彼女が早大出身であることも清張氏は知らされたかもしれません。

しかし、清張は学歴でその人を見ません。

代わりに、まだ若かったのかもしれない藤井氏に清張はぐっと顔を近づけたそうです。藤井氏の顔をじっと見たということです。それは、藤井氏の内面まで見るつもりだったのでしょう。

そんなことをする人を、私は知りません。藤井氏にしても、初めての体験で、驚かれたに違いありません。

藤井氏はそれをあとあとまで記憶し、次のように解釈されています。

性別、学歴、職業といった一般的なものさしで人を計らず、自身の価値観で、清張は人を判断した。

酒井順子. 松本清張の女たち (p.212). 新潮社. Kindle 版.

前回の更新で、受験生の息子を持つ母が息子と性的な関係を持つ話が出てくる『歯止め』という短編小説があることを書きました。

その作品に登場する主婦の江利子には姉がいて、T大(東大)出身の優秀な学者と結婚します。夫としてこれ以上望めるものはないと考えたかもしれません。

しかし、結婚した翌年、姉は自殺してしまいます。その理由がわからずにいましたところ、親密すぎる息子と母親の例があることを知り、謎が解けたように感じる、といった具合です。

清張は、権力というものにも強い疑い持つ作家です。理由は、これまで書いたことに通じ、世間で絶対と考えられていることを絶対とは信じなかったからだろうと思います。

酒井氏の本書からは、清張が疑いを持ち、それを作品にもした事件について、書ければ書く予定です。