清張も一役買った性の解放?

この土曜日から、新たに本を一冊読み始めました。それは、松本清張1909~ 1992)の作品そのもの、ではなく、清張の作品に登場する女に絞って分析した、酒井順子氏(1966~)の『松本清張の女たち』です。

土曜日には多くの新聞が書評欄を設けます(産経新聞は日曜日)。朝日にもあります。そこで紹介された一冊が酒井氏の一冊です。それを書評した中に次の記述を見つけ、興味を持ちました。

「お嬢さん探偵」が活躍。美人で高学歴、処女だが「彼女に好意を抱く男性がサポート」。明るいが心の闇を持たず、ツルッとして物足りない。

私が1カ月ほど前に読み、本コーナーで取りあげた『蒼い描点』1959)で素人探偵をする「リコちゃん」こと典子についても書かれています。

清張作品を彩った女たちをどのように分析しているのか興味を持ち、早速Amazonの電子書籍版を購入し、読み始めました。まだ4割弱しか読み終えていませんが、ここまで読んで感じたことを書いておきます。

清張の作品で特徴的なのは、夫婦が登場しても、円満であることがないことです。ほとんどは、夫か妻のどちらかが相手に不満を持ち、不倫をしています。

マスメディアは、何かといえば、女性を擁護する立場を取りたがります。常に視点は女性で、たとえば、男性議員に対して女性議員がまだまだ少ないといった報じ方です。

マスメディアが求めるように、国会議員の男女比が接近した未来を想像してみましょう。女性議員が増えることで、国会運営が上手くいき、国民は幸せになるでしょうか。私にはそんな未来は描けません。

悪いことをする女性議員の数が増えるだけではありませんか?

清張は物事をシビアに眺めることができました。

女も男と同じで、良いことをする代わりに、男と何も変わらず、悪いこともする、と。だから、浮気をする男ばかりでなく、男以上に、男を漁る女も平気で登場させることができたのです。

酒井の著書を知るきっかけとなった朝日の書評を書いた人は、清張とほかの男性作家の違いを次のように書いています。

(勉強のために小説をよく読んだが)不満は男性作家だと大家でも女性の描き方があまりに定型的なこと。(中略)松本清張の女性へのまなざしは違った。著者という観察者を得て鮮やかによみがえった。

それが発刊されたとき、「最も愛する作品だ」と清張が自身で宣伝文句を書いた作品があります。『霧の旗』1961)という作品です。

『霧の旗』は読んだことがありますが、後味が良くなかったことを憶えています。桐子という主人公の行動が独りよがりで、あまりにも突飛と感じたからです。

桐子は教師をする兄の正夫と九州の炭鉱町で暮らしています。その町で殺人事件が起き、正夫が容疑者に浮上し、逮捕されます。正夫は神に誓うように自身の無実を訴え、妹の桐子は兄の無実を固く信じます。

桐子は正夫の無実を勝ち取るため、地元出身で有名な弁護士となっていた大塚に弁護を依頼します。

しかし、弁護を受け入れてもらえず、正夫は死刑の判決を受けたのち、無念を残して獄死してしまいます。

桐子はそのことで大塚に強い恨みを持ちます。桐子は大塚の名声を奪い、彼の人生を破滅させることを誓うのです。

それを果たすため、桐子が選んだ復讐の手段があまりにも突飛でした。

それまで、桐子は男と一度も身体の関係を持ったことがありません。その桐子が大塚に自分から近づき、相手を酒で酔わせ、大塚が自分の身体を奪うように仕向けるのです。

桐子は、自分の身体を張ってまで、大塚の人生をメチャクチャにするのです。

『霧の旗』予告篇

小説家が小説を書くとき、登場人物に実在する人物を投影したりすることがあるでしょう。

清張は、1965年に、取材のため、中近東へ旅行します。当時は、中近東への直行便はなく、ヨーロッパ経由だったのでしょう。その飛行機で、清張は、自分が憧れていた女優と一緒になる幸運を得ます。

その女優は、新珠三千代19302001)でした。新珠は、ヨーロッパで催される映画祭へ出席するのが渡航の目的です。

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そのときの取材をもとに書いた『砂漠の塩』1967)には28歳の人妻・泰子が登場します。その泰子を、清張は新珠をイメージして描くのです。

ほかにも、『波の塔』の頼子、『ゼロの焦点の』1959)禎子、そして、『霧の旗』の桐子が、新珠をイメージを重ね合わせて書かれたのです。

『ゼロの焦点』予告篇

ほとんどの清張作品を読んでいるつもりですが、『砂漠の塩』はまだ読んだことがないように思います。近いうちに読んでみましょう。また、『霧の旗』をもう一度読み、前に読んだときと感じ方が変わるか確認することにします。

今年は、先の大戦が終わって80年の節目の年にあたります。あの戦争は、国民には多大な負担でした。しかし、その不幸な出来事を経ることで、良い意味で、大きく変わったことがあります。

それは、女性の立場です。

戦前までの長い期間、既婚女性が夫以外の男性と肉体関係を持つことが固く禁じられていました。それを破ったことが発覚すると妻である女性には姦通罪が適用されました。夫である男が同じことをしても、罰せられることはなかったのにです。

戦後になり、女性だけに適用されていた罪が問われなくなりました。

それもあってか、戦後の1950年代になると、姦通小説や「よろめき」といった言葉が流行します。

大岡昇平19091988)は『武蔵野夫人』1950)を、三島由紀夫19251970)は『美徳のよろめき』1957)を書き、ともにベストセラーとなります。

時代の変化を敏感に感じ取ったのでしょう。清張は、女性向け雑誌で、女性を主人公にした作品を精力的に書くことを始めます。

その当時、『女性自身』で清張の編集を担当していたのが櫻井秀勲氏(1931~)です。若くてずばずばとものをいう櫻井氏を、清張はよく面倒見たそうです。歳は22歳違いです。

その櫻井氏から 「清張さんも早く女を描けるようになってくださいよ」とハッパをかけられた、と清張自身がエッセイに残しています。

女性の性が解放され、それまで我慢して耐えていた女性たちが、自分たちも自由に恋をしていいんだと考えるようになり、それを実践する女性が増えていったのだろうと思います。

しかし、それは人それぞれというよりほかないと私は考えます。

私は、父が40歳、母が37歳の時の子供です。8歳上の姉がおり、本当はその姉と私の間に姉がもうひとりいるはずでした。しかし、死産でした。

母は私が小さい頃から病気がちでした。私が小学生の時、失明した片方の目を摘出し、義眼になりました。そして、中学生の時、もう片方の眼も失明し、全盲になっています。

そんなこともあってか、母は化粧をすることがありませんでした。どこかへ出かけるときも、口紅ひとつひきませんでした。

父も母も、どこかよそに愛人を持つようなことは考えもしなかったでしょう。実際、そんなことはまったくありませんでした。

また、姉も姉の夫も、浮気のうの字もありませんでした。

清張が、世の女性はみんな性に飢えていると考えているとしたら、それはそれで、偏った考え方というよりほかありません。

女性誌に連載される清張の作品を読み、そこに登場する女が好き勝手なことをすることに刺激され、自分も同じようなことを、と考える女性もいたかもしれませんが、あとの考え方は、人それぞれというしかないです。

作品は作品として楽しみつつ、庶民の多くは、これまでと変わらない日常を淡々と送っているようなイメージがあります。

清張が男女の性を赤裸々に描いた作品は『神と野獣の日』1963)です。本作も過去に読み、本コーナーで取りあげました。そのときは、別の意味を込めましたが、本作も、もう一度読んでみたい気になっています。

酒井氏の『松本清張の女たち』を読み終えたら、また、本コーナーで取りあげるかもしれません。