私は今朝、Googleの人工知能(AI)、Geminiに次のような質問をしました。
わかりきっていることかもしれないことを質問させてもらいます。「負の側面」といういい方があります。この反対は「正の側面」でいいのでしょうか? こういういい方はあまり使われていないような気が私はするので、質問させてもらいました。
すると、次のような回答をしてくれました。
結論から申し上げますと、言葉の組み合わせとして「正の側面」という表現は間違いではありませんし、実際に使われています。
ただ、質問者様が「あまり使われていない気がする」と感じられた感覚は非常に鋭いです。なぜそう感じるのか、また他にどのような言い換えがあるのかを整理しました。
1. なぜ「正の側面」に違和感があるのか
「負」という言葉は、借金やマイナスイメージを強く連想させるため、対照的な言葉として「正」を使うのは論理的に正しいです。しかし、日常会話やビジネスシーンでは以下の理由で避けられることがあります。
- 専門用語っぽさ: 数学や物理、あるいは心理学的な文脈(正の強化など)のように聞こえ、少し硬い印象を与えます。
- 「負」のインパクト: 「負の側面(遺産・連鎖)」という言葉があまりに強力な慣用句として定着しているため、それに対する「正」が少し弱く感じられたり、説明的に聞こえたりします。
2. 文脈に応じた「反対語」のバリエーション
「正の側面」と言っても通じますが、状況に合わせて以下のような言葉を使うと、より自然でしっくりくることが多いです。
表現 ニュアンス 陽の側面 「光と影」のように、表に出ている明るい部分を指すときによく使われます。 プラスの側面 最も一般的で、日常会話からビジネスまで幅広く使われます。 好ましい側面 価値判断が含まれており、それが良い影響を与えることを強調します。 建設的な側面 議論や批判の中に、何かを生み出す良さがあるときに使います。 光明 「負」の状況の中に見える、わずかな希望や良い兆しを指すときに使われます。
3. 使い分けの例
- 「負の側面」を強調したいとき:
「この政策には負の側面があるが、一方でプラスの側面も無視できない。」- 対比を美しく見せたいとき:
「物事には必ず光と影がある。負の側面ばかりでなく、陽の側面にも目を向けるべきだ。」
まとめ
「正の側面」は正しい言葉ですが、少し「理屈っぽい」響きになることがあります。自然な流れにしたい場合は、「プラスの側面」や「陽の側面」と言い換えてみるのがおすすめです。
もし、特定の文章の中で使おうとして迷われているのであれば、その前後を教えていただけますか?より最適な言葉をご提案できるかもしれません。
毎度のことながら、「なるほど」と頷ける回答を届けてくれます。たしかに、「負の側面」に対して「正の側面」は硬い印象がありますね。一般的には「プラスの側面」や「陽の側面」が良さそうなことを理解できました。
私が「負の側面」が気になったのには理由があります。
本日の朝日新聞に次の見出しの記事があります。
一週間前の11日、朝日新聞は、紙面の多くを使って、10日にオーストラリアで法律の施行が始まったSNSの規制を歓迎する記事を多く載せています。
また、この法律ができる基となった具他的な出来事を詳しく報じています。
オーストラリアのある男子高生が、SNSでトラブルに巻き込まれ、自殺をしています。そのトラブルというのは、SNSで知り合った「18歳の女性」から、「裸の写真の交換」を持ちかけられたことから始まります。
男子高生はよく考えず、自分の裸の写真を「18歳の女性」に送ってしまいます。送る前に冷静になれたら、自分がやり取りしようとしている相手が本当に「18歳の女性」だろうかと疑うことができたでしょう。
「18歳の女性」を名乗ったのは、実は中年の男性でした。男子高生は、その男から「裸の写真をばらまかれたくなかったら500豪ドル(約5万2千円)を払え」と強迫されたそうです。
このことを苦にした男子高生は、家族にはいつもと変わらずに見えながら、妹の誕生日を家族と祝った翌日、自分の部屋で自分の命を絶っていました。
息子の苦しみに気づいてやることができなかった父親は、SNSの危険性を訴え、それが国を動かし、オーストラリア政府がSNSを制限する法律を成立させと朝日は記事にまとめています。
オーストラリアが、世界に先駆けて、国として規制をかけたのは、16歳未満がYouTubeやXなど主立ったSNSプラットフォームで新規のアカウントを作れなくすることや、すでにあるアカウントを凍結することです。
私はこれを報道で知ったとき、次のようなことを直感しました。16歳以上であることをどうやって確認するのだろう、と。自殺した男子高生を騙した中年男性にしても、「18歳の女性」と偽り、それを男子高生が信じています。
本日の朝日新聞に、その「後日談」のような次の記事があります。それが上で紹介する見出しの記事です。
オーストラリア政府としても、本人確認をするため、パスポートなど公的身分証で年齢確認することを模索したそうです。しかし、個人情報を保護する観点などから見送られています。
16歳未満を取り締まることは、実質的にできないか、きわめて難しいというのが実情です。
オーストラリが始めたSNSの法規制について報じた11日、朝日は、欧州でもその動きがあることを伝え、それに比べて日本はその方面の対策が遅れていると書いています。
たしかに、SNSに「負の側面」があるのは事実です。しかし、これは、SNSに限ったことではありません。世の中で使われているさまざまなことには、負の側面を持つものが大半です。
現代社会を回していく上で、車の利用を抜きにしては語れません。車は日々、人を運び、荷物を輸送します。これを使わないことは考えられません。
この車にも「負の側面」があります。
SNSのトラブルで愛息を失った父親と同じように、車の事故によって我が子を失う人は、それが起きても、大きなニュースにはならないほど、当たり前のこととなっています。
車の事故で家族を失った人が、車の廃止や規制を訴えても、それによって、国がその対応に動くことは考えにくいです。
私も、ときには、車がなくならないまでも、今ほど多くの人が車を使わない社会であったら、もっと違った世の中になっていたのでないかと考えることがあります。
もしも、車のすべてがオートマチックではなく、マニュアルでギアを変換する仕組みであれば、今ほど、誰もが車を利用するようにはならなかったでしょう。
女性といっても、その人によって異なりますが、一般的には、自分でギアを変換する車しかなければ、自分で車を運転することを敬遠する人が多くいたかもしれません。
オートマチック車が主流になったことで、アクセルとブレーキを踏み間違えた結果の事故が急増しています。
マスメディアは、どんなに交通被害者が出ても、車廃止のキャンペーンを展開することはありません。新聞やテレビは、自動車会社が大事な大スポンサーです。そのスポンサーに悪い印象になることはするはずがないからです。
オーストラリアや欧州がSNS規制に動いたり、動こうとしているのは、何も、青少年を守るためではありません。その裏に隠されている本当の意図を見誤ってはなりません。
彼らは、できることなら、SNSというものをこの世から排除してしまいたいのです。なぜなら、「全体主義」のためには、SNSは邪魔な存在だからです。
今のオーストラリや欧州の主要国は、もはや民主義国家ではありません。全体主義国家です。
それらの国は、国民の自由を奪うことを狙っています。
物事には、「負の側面」ばかりでなく、「プラスの側面」も必ずあります。
昨日の紙面では、画像を生成AI(生成的人工知能)を使って、中学生がエロティックな画像を作ったことを問題にしています。
どんな技術も、使い方が大切であることは、いわずもがなのことです。最終的には使う人に任せるよりほかりません。あとは、正しい使い方をしてくれることを信じ、国民の自由を制限することはやめましょう。
SNSがあったことで救われた人もいるはずです。
マスメディアには、SNSの「負の側面」ばかりに光をあてるのではなく、今度は、SNSの「陽の側面」に注目した記事を期待します。
