他人から悪く思われたい人はいません。だから多くの人は、困っている人がいれば、その人に寄り添うようにします。本心ではその気持ちがなくても、寄り添うことを装います。
昨日の朝日新聞に、10日に記者会見を行った女流棋士を取り上げた記事が載りました。
福間さんは、昨年12月に長男を出産されたそうです。そのことで体調不良であることが増え、一部のタイトル戦に臨めず、不戦敗になったそうです。
その思いを福間さんは記者会見で次のように述べた、と記事にあります。
将棋は私にとって全て。妊娠を喜べず、苦しかった。
日本将棋連盟の現在の規定は次のようになっているそうです。
出産予定日の産前6週から産後8週までの期間が、タイトル戦の日程と一部でも重複すれば対局者が変更される。
福間さんは、自分が体験したことを連盟に伝えるか、福間さんの思いが洩れ伝わったりしたのでしょう。それを受けて連盟が規定の策定をしたものの、福間さんの要望が反映されることはなかったそうです。
連盟の規定が変更されないことを知った福間さんは、心境を次のように述べた、と記事に書かれています。
第2子を持つことはもう無理だと絶望的な気持ちになった。
現在、将棋連盟の会長は、清水市代さん(1969~)です。清水さんは女性ですから、女性の立場はわかるでしょう。しかし、西山朋香女流王将(1995~)の就任式に清水会長が出席した際、この問題を主催スポンサーの代表者から言及されたものの、挨拶でこの問題に触れることはなかったそうです。
本記事には、ジャーナリストで大学の名誉教授もされている女性が考えを寄せています。そこでも、女流棋士に寄り添うような対応を求めています。
本事案を伝えるマスメディアの報道も、福間さんに寄り添った形となっています。マスメディアはいつでもこの立場を採ります。
他人から悪く思われたくないのであれば、福間さんに寄り添った考えを述べるのが良いのだろうと思います。しかし、私は本記事を読み、記事が伝えるニュアンスとは違う考えを持ちました。
女性であるが故に、定められている規定に苦しめられることがあることは理解します。しかし、その規定は、妊娠してから気がついたわけではないと思います。
それを知った上で妊娠したのであれば、自分の意見を通すのではなく、その規定に従うより仕方がないのではと私は考えます。
世の中にはさまざまな決まり事があります。ときにはそれが、自分に不利なこともあるでしょう。しかしその場合、自分に合わせた決まり事に作り替えてくれとはなかなかいえません。また、それを訴えても、自分の思い通りにはならないことがほとんどだと思います。
将棋という世界は極めて特殊な世界です。プロの棋士になれる人は極めて限られています。その選ばれた人たちが、自分の人生をかけて対局に臨むのだと思います。
仮に、福間さんの望みを聞いて、妊娠した人に配慮するような規定に作り替えると、そのことで、対局のスケジュールが変更され、他の女流棋士に及びます。
今後、福間さんのように、出産する女流棋士が増えた場合、対戦のスケジュール変更が重なったりすることも考えられます。連盟としても、その調整に骨折りそうなことが想像できます。
そうしたことがあっても、自分の立場を優先して欲しいというのは、ある意味、自分勝手に思えなくもありません。
極論を許してもらえるのであれば、女性がプロの棋士を目指すからには、結婚や出産を放棄するぐらいの気構えが必要なのではと考えてしまいます。
実際、そのように考える女流棋士がいるかどうかわかりませんが、そんな考えを持つ人がいてもいいと私は思います。
それぐらい特殊な世界だと思います。
今は、結婚しても共働をしないと生活するのが難しいという面があります。しかし、本来あるべき家庭は、男性が外で働き、女性が家を守ることであるように私は考えます。
私の考えは古くさいでしょう。
しかし、結婚後に女性が外で働くようになったことで、それまでは円滑だった家庭のあり方が、悪い意味で大きく変貌したように私には思えます。
大学の医学部受験で、試験結果が同じである場合は、女性受験者が男性受験者より不利な採点をされるといった事象が一時期問題化しました。
このことについては以前、本コーナーで一度取り上げたことがあります。
医師の場合も、女性は出産の問題がどうしても絡んできます。それを理由に長期で休まれたり、やめられたりすると、現場は人手不足になります。そんな背景から、大学病院を持つ医大が、女性受験者を敬遠したい気持ちも理解できなくはありません。
福間さんに個人的な悪い感情を持っているわけではありません。できるなら、福間さんが望むような規定になればいいと考えます。
しかし、それとは別に、世の中には昔から守られているしきたりがあることも事実です。
大相撲の千秋楽の表彰で、女性だからといって土俵に上がれないのは理不尽だという声が昔からあります。しかし、これも、そういうものだと理解してもらうよりほかないです。
すべてのことが合理的であるわけではありません。それでも守ることが、伝統になるのだと私は理解しています。
