先月の下旬、本コーナーで、松本清張(1909~1992)の長編小説を取りあげました。
その出来が、個人的には、あまり良くないと感じました。そのため、しばらくは清張作品から離れるつもりで、アーサー・コナン・ドイル(1859~ 1930)の『シャーロック・ホームズ』シリーズを読んでいました。
そのように、しばらくは清張から離れるつもりだったものの、この日曜日、清張が初期に書いた短編小説を読みました。きっかけは、その日、新聞のテレビ欄で、その短編を原作としたテレビドラマが放送されるのにたまたま気付いたことです。
そこで、そのドラマを録画し、録画したドラマを見る前に、原作を読みました。
作品名は『共犯者』です。本作は1956年、『週刊読売』(読売ウィークリー)の11月18日号に掲載されています。
清張は作家志望ではなかったものの、賞金目当てで、『週刊朝日』の懸賞小説宛てに、シャープペンシルで書くことをしています。それ宛てに書いた『西郷札』が三等に入賞し、直木賞候補にもなりました。
それが清張の職業的作家の出発点となったといえましょう。それを書いたのが1951年です。ということで、今回取りあげる短編が、清張の作家活動の初期にあたることがわかります。
『共犯者』を表題とする短編集を持っており、過去に読みました。それをもう一度、読み直しました。
この頃から、清張の関心が、人間の心理描写にあったことが窺えます。
本作の主人公・内堀彦介の視点で書かれています。筋はシンプルです。
彦介は故郷の福岡で、家具店を経営し、ひととおりの成功を収めています。そんな彦介には、消すことのできない過去がありました。
彦介が自分の店を持つ前は、食器具の販売員をして生活を立てていました。彼は外交員で、見本の食器具を詰めたトランクを下げ、全国各地のデパートや問屋を回る仕事を15年も続けていました。
客に見本を見せ、注文を取る仕事です。
その彼が5年前、ひとりの男と仕事の旅先で出会います。男は町田武治といい、彦介と似た境遇でした。
町田が扱うのは漆器で、彦介と同じように、見本品をトランクに下げ、注文を取る仕事をしていました。
得意先でふたりが顔を合わせることが何度かあり、顔見知りになっていました。
このふたりが、銀行強盗を共犯するのです。分け前は等分し、以後、ふたりはこの共犯事件を封印して生きていくことを誓い、以来、彦介は町田を忘れるようにして生きてきました。
しかし、彦介は過去に起こした事件を忘れることができません。そして、それが、自分ひとりの単独犯でなかったことを悔やみます。
共犯がひとりこの世にいて、あの町田が、あのことを誰かに告げないか、という不安が彦介の中で日に日に大きくなっていきます。もしそれが露見したら、今掴んだ成功をすべて失います。
そこからは、清張が得意とする、ひとりの人間の中で渦巻く猜疑心や焦りが描かれます。
清張作品に登場する人間が犯す失敗は、ひとり、自分の中で不安を増大させてしまうことです。そして、行動を起こすことで、負のスパイラルへ堕ちていきます。
彦介にしても、不安を、自分の中だけで停めておくべきでした。
本作を原作とするテレビドラマを確認しました。テレビ東京が10年前にドラマ化したドラマです。主人公を女性に換え、観月ありさ(1976~)が演じています。
私はドラマを見始め、すぐに見るのをやめました。見る気がなくなったからです。録画したドラマはすぐに消去しました。
シンプルな筋立ての原作を2時間ドラマにしています。しかも、主人公が若い女で、深みが感じられません。
これでは、ひとりの人間の内面の焦りをこのドラマで堪能することはできないと判断したのです。私のこの判断が正しいのかはわかりません。
しかし、続けて見ても、2時間を無駄に使ってしまっただろうと思います。
小説を原作とするテレビドラマを見るたび失望します。原作を上回るドラマに出会えるのは、日本では、ゼロに限りなく近いです。
原作を持つドラマでも、英国で過去に制作された、ジェレミー・ブレット( 1933~1995)版の『シャーロック・ホームズの冒険』なら、いつでも楽しく見ることができます。
小説は文字だけで、ひとつの世界を完結しています。それを、時間とお金をかけ、安易なドラマを作ることは思いとどまったほうがいいです。
若手の出演者を活かしたかったら、彼ら彼女らが存分に力を発揮できるような、オリジナル脚本を草案することです。
ともあれ、これをきっかけとして、清張の『共犯者』を表題に持つ短編集を、ひと通り読むつもりです。
